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李氏朝鮮の権力争い

国王とかは、うまく王朝内の政治でして後を継いでいくというように思えます。 それで老論派とか西人とか派閥の均衡とかを取りながら維持していくというように思えます。 これって実力とかより言っていることが正しいとかが派閥での政権奪取や国王の継承者、国王と両班の派閥間で影響あるのでしょうか。そういう感覚は日本人の感覚よりもぱっと読んだ感じでは低いように思えます。誤解でしょうか? 中国のほうが異民族支配と脅威が多いためか良い統治の議論も起き名君もでてきますが、暗君もでてきているように思えます。

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noname#224207
noname#224207
回答No.1

>派閥での政権奪取や国王の継承者、国王と両班の派閥間で影響あるのでしょうか。 権力闘争というのは、国王の力量よりも、ご指摘の派閥、両班(貴族)の影響の方が大きいのが通常です。 権力を得ようとする人間は、その時の最高権力者である国王をも利用します。 要は競争相手を潰していけば良いだけの話ですから、お互いに潰しっこをします。 李朝鮮の場合には、儒教思想から血族が最優先されました。 更に血族の中でもいかに自分の血を受け継いだ、即ち子供に権力を得させて継承するか、ということを命がけでやりました。、 この論法で行くと兄弟姉妹は敵ということになります。 まず、自分の血族以外の人間を潰しておいて、次に兄弟姉妹間で潰しあいをするということをやってのけました。 厄介だったのが、血の継承を確保する為に複数の女性との間に子供をもうけました。 幼児死亡率が高かった時代には、生まれた子供が確実に成人するという保証がなかったためにとられた手段です。 この異母兄弟姉妹が常に紛争の種になりました。 更にこの闘争を利用して自分が這い上がろうとする人間がいました。 異母兄弟姉妹間の闘争で誰かに加勢して、運良く、その人が権力を手に入れれば、後はその権力を利用するか、その人を潰してしまえば良いだけということになります。 その為には、兄弟姉妹の仲を裂いて無理やり闘争に持ち込むということもやりました。 この兄弟間の潰し合いは日本でもなかった訳ではありません。 有名なのが頼朝による義経潰しです。 ただ日本では、戦国時代以降、血族の継承よりも「家」の継承が最優先となりました。 「家」が継承されるのであれば、跡継ぎは適当な人間であればだれでも良いという考え方が浸透しました。 「のれん」を守るという考え方で一般の人達にも浸透しました。 日本で100年200年続く老舗が幾らでもあるのはこの為です。 韓国は現在でも、財閥と呼ばれる大企業であっても、経営陣は血族者で、経営権は常に血族に継承されます。 これを日本や欧米のような経営体制にしようという運動があって、経済の民主化運動と呼ばれ、現在も盛んに行われていますが、芳しい成果が上がっていません。 このように古代王朝から受け継がれた血の継承という感覚が薄い現代の日本人には判り難いのは止むを得ません。 尚、名君と呼ばれる人達は、自身が聡明であっただけではなく、常に優秀な官僚に恵まれていた人達です、 優秀な官僚の協力を取り付けることができるのも、名君の力量だと言われれば間違いはありません。 李朝鮮で名君が少ないのは、兄弟どうしの争いという救いようのない一面が色濃くあった為かと思います。 本件とはややはずれますが以下の点を書き加えさせていただきます。 日本の儒教は忠、とか義を重要視しますが、中国や韓国では「孝」を重要視します。 日本で孝と言うとせいぜい親孝行ですが、 中国では自分を入れて五代前、朝鮮では七代前までのご先祖さまの供養が必要です。 中国や韓国では死後の世界よりも現世を最高のものと考えます。 儒教の供養というのは、死者を現世に呼び戻して飲食を共にして楽しむということです。 現在の韓国でもお墓の前で家族揃って飲食するという習慣が残っています。 この為に、現世に呼び戻してくれる子孫を生み育てるということも「孝」に含まれます。 とにかく、曽祖父から曾孫まで連綿と繋がらなくはならないのですから大変です。 古代の中国や朝鮮では、戦闘中でも自分の親が死んだ知らせが入れば、サッサと戦線を離脱して帰ってしまいました。 又、そうしないと、敵味方から不孝者として蔑視されました。

noname#209756
質問者

お礼

家と血というのはおもしろいですね。 やはり兄弟同士潰しあいをしていたら、やはり名君なんてでてこないですよね。有能より脇の甘さがないかで生きることになりますし。 ご回答ありがとうございます。

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