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あまりに多くの漢字は日本語を貧しくする

TANUHACHIの回答

  • TANUHACHI
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回答No.10

 先ず論理が逆ですね。「漢字イコール中国語」と定義する限りならば、なぜ仮名文字が派生したかを説明する殊ができないことになります。  >日本語が中国語化する  >実務上マイナスである  >日本語を学ぶ意欲が損なわれること  >文学的表現にプラスにはならないこと 等々色々な口実を見つけているようですが、その一つ一つに合理的な理由と裏付けがあるでしょうか?。僕は疑問です。  『abさんご』も読んでみましたが、正直「読みづらかった」との第一印象が残った作品でした。逆に『日蝕』を読んでいて安心感を持ったのも、文章としてのパラパラ感がないとの部分に違いがあるのかもしれません。小学校の一年生が書く文章は平かなと片カナだけですから、読みにくい、そのまま読んでいると何か記号の羅列としか見えてこない違和感もあります。  一つ一つの漢字には「意味がある」。それは漢字が表意文字として本質的な特性を有するからであって、それも元を辿れば、甲骨文字に端を発するといった文化的特質に起因するともいえます。  同じ「はかる」であっても「度量衡」との言葉が示すのは、「何をどの様にしてはかり、そして知ることができるのか」との「使い方により生ずる意味の違い」があっての理解になることもおわかりでしょう。  さきほどの「文体の問題」に戻れば、ハ行転呼音の問題を見ても藤原定家や契沖が「日本語」を発音と表記の両側面でどの様に分化させあるいは統合性を持たせるかとの問題に行き着くことになり、表記された作品群に優劣を求めたり、経済的合理性を求めるなどの野卑な発想とは隔たりもあります。  三点目の「日本語を学ぶ意欲」の問題ですが、小学生の好奇心を見たなら一目瞭然です。篇と旁で形作られた「漢字」を学ぶ上で、木篇に黄と書いて「横」とはなるが、横は樹木の種類ではない、では「なぜ木篇が付いているのか」との疑問を持って「調べる」との動機付けに至りもします。  そして「漢字イコール中国語」とは必ずしも断定できない背景を考えてみると、「音訓両方の読み方」があって、「暑い」も「厚い」も共に「あつい」と読みますが、使い方はまるで異なりもします。この点が日本語と中国語で事情も異なります。  別に『abさんご』を貶すわけではありませんが、同じ「今の言葉」を使った作品ならば、僕はいとうせいこうさんの『想像ラジオ』の文章に魅力を感じ、安部公房や丸谷才一そして健三郎や由紀夫、龍之介や漱石の言葉を目にすると「言の葉としての言葉」と同時に「音としてのリズム感」も感じます。  残念ながら『abさんご』にはそれがなかった、身辺雑記としての評価ならそこらに山とある女子中学生や女子高生の書いた日記と突出して変わる部分がなければ受賞にも至らなかったはずで、逆にそれら全てが受賞しまうことにもなります。  「かくありし時過ぎて」で始まる『蜻蛉日記』などを読むと、質問者様は面食らうかも知れません。そしてこのタイトルも読み方によっては『かげろふ日記』ともなれば『トンボ日記』ともなり、作品のイメージに大きな違いを生じさせもします。  結論からすれば、僕はもっと「漢字を多く使った方が良い」とも考えます。読み方は人それぞれ、その時の気分によって「様々なルビを振る」ことも許容される。  もしこれを現代の中国語の様に「この読み方はコレ」と枠を嵌めてしまうならば、言葉の持つ広がりや可能性を全て一元化する危惧を持つ可能性も多分にある、との理由です。  経済合理性を第一に求めた太平洋の向こう側にある国では、文学の言葉がすっかりと輝きを失ってもしまったことを考えるとこの様な結論に辿り着くことになりました。寛容さや多様性の上に成り立っている「言葉の役割」こそが同時に「自由を守る最後の砦」としての命綱といえますから。

volter555
質問者

お礼

  > 経済合理性を第一に求めた太平洋の向こう側にある国では、文学の言葉がすっかりと輝きを失ってもしまったことを考えるとこの様な結論に辿り着くことになりました。 私は全く別の解釈をします。 アルファベット26文字しか持たない彼らは、言葉に何を求めたのか。 彼らは言葉にサウンドを求めたのである。 彼らはビジュアルよりサウンドを大切にしたのである。 だから彼らは全身を使ってサウンドを発し、言葉は生むのである。 一方日本語は漢字を使ったビジュアルを選んだ。 しかしその日本語とてサウンドを求めることは可能である。 そのためには漢字を制限しなければならない。 これからは日本語もサウンドを求めて良いと思っている。 これからの日本語はサウンド的に豊かになり、パワーを持つようになる。 エグザイルがそれを証明しつつある。  

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