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なぜ鄧小平は完全抹殺まではされなかったのか?

trajaaの回答

  • trajaa
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回答No.6

鄧小平も江青らに第一次天安門事件で失脚させられていることから、 走資派ナンバー2だった鄧小平も江青の目の敵にされたはずで、 それでも文革期に抹殺はされなかったあたりに、モヤモヤが残ります。 -------------------------- 劉少奇夫人の王光美さんに触れてみましょう もう、名前からして良い名前ですね 親が政府高官で大学に進み語学に堪能、とても美人だし言わば才色兼備 劉少奇が第二代の主席に就任して、言わば中国のファーストレディとして脚光を浴びる輝かしい経歴をお持ちです 一方の江青さんは、元は映画女優ですからソレなりの美貌は持っていたようですが、後世聞かれる話だと自分の身体を武器に役を取っていたと噂されるような人ですから当然苦労したんでしょうねぇ で、毛沢東と知り合い様々な経緯の後に毛と結婚する際に、政治活動をしない毛夫人として前面に出ないなど様々な制約を掛けられたことで毛夫人とは言ってもずっと日陰で暮らしてきました こう見てみると、毛沢東を主席の座から追いやった政敵とその妻が、自分が望んでも適えられなかったスポットライトを浴びる姿を見て 劉少奇主席を追い落とすこと=王光美の不幸=復讐の完遂という図式になったと思われます そう言う意味では、文革というのは毛沢東の思惑と江青の思惑とがぐちゃぐちゃに絡みあった政治活動だったのです。 毛一人でも、江青や四人組だけではあのような規模や範囲にはならなかったのでは無いかと思っています 文革期に関する様々な階層や立場の人々の回想録や調査資料などを多方面から突き合わせないと 何でそうなるのかな~という謎が深まるだけの摩訶不思議な出来事です

ssnagoya
質問者

お礼

trajaaさま 再びありがとうございます。 文革というのは毛沢東の思惑と江青の思惑とがぐちゃぐちゃに絡みあった政治活動だった... 鄧小平が毛沢東や江青の猜疑心や嫉妬心から逃れることができたのは、 運やタイミングだけでなく、やはりその立ち位置や実務能力・軍歴による ところが大きいのでしょうね。 鄧小平が完全抹殺・粛清されずに、 復権できる程度の(中途半端な?)失脚で済んだことが どうしてもわからずモヤモヤしておりましたが、 ずいぶんとスッキリしてきました。 いろいろ勉強になります。

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