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なぜ鄧小平は完全抹殺まではされなかったのか?

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回答No.5

>なぜ鄧小平は完全抹殺まではされなかったのか? 先ず結論から申し上げますが、最初の失脚時同様、鄧小平を温存しようという毛沢東の思惑が明確に働いていた、そう考えるのが妥当であろうかと思われます。 そもそも鄧小平は革命第二世代に当たり、つまりは毛沢東の地位を脅かす存在ではなく、そして何より当時の中国共産党には、思想家は掃いて捨てるほど存在したが、実務に堪能な人材が誠に少なかった。 その稀少な人物の筆頭が周恩来でありましたが、実のところ毛沢東は周恩来をこそ、粛清したかったようです。 但し賢明な周恩来は粛清される口実を与えなかった、加えて当時の中国共産党には、彼に代わる実務者・人材が見当たらず、更には民意の圧倒的支持は、文化大革命に一定の距離を置いていた周恩来にありましたから、自らの保身の観点からみても断念せざるを得なかった。 依って周恩来への数少ない対抗馬として鄧小平を温存した、最初の失脚に際して鄧小平への不完全な処分はその構図であり、第一次天安門事件での失脚時もその延長線上にあった、そう考えるのが合理的な推測かと思われますが・・。 四人組の存在もまた然り、彼らのレゾンデートルは周恩来への牽制にこそあった訳で、毛沢東の意志を無視して、鄧小平を完全抹殺出来るほどの権限の委譲が無かった、そう考えるのが妥当なのでしょう。 但し一方に於いて、第一次天安門事件は、「周恩来追悼=四人組批判(その実毛沢東批判)」といった意味合いを含んでおり、それを沈静化させる為のスケープ・ゴートも必用であった訳で、その全責任を被らせる事が可能な、周恩来派を象徴する大物という事で、粛清の槍玉に挙げられたのが鄧小平、そういう事であろうかと思われます。 世に周恩来の取り巻きとの印象が強い鄧小平ですが、実のところ毛沢東・周恩来・鄧小平の間には、微妙な距離感があった、少なくとも毛沢東が見る鄧小平は、思想性が希薄なテクノクラートであり、周恩来べったりの人物ではなかった、私としてはそう考えますが・・。

ssnagoya
質問者

お礼

詳細に教えていただきまして、ありがとうございます。 文革期の失脚時だけでなく第一次天安門事件での失脚時も 「鄧小平を温存しようという毛沢東の思惑が明確に働いていた」 と理解するとずいぶんとスッキリします。 四人組の影響力も、「毛沢東の意志を無視して、 鄧小平を完全抹殺出来るほどの権限の委譲が無かった」 ということは、やはり第一次天安門事件のときも 毛沢東の意向が働いて、不完全な失脚に止まり、 完全抹殺まではいかなかった...なるほどスッキリしました。 鄧小平という大物の運命をも決定づけてしまうわけで、 晩年とはいえ毛沢東の影響力は最後までとてつもないですね。 ご回答くださいました皆さまからは ご親切に詳細に教えていただきました。 とても勉強になりました。 ありがとうございました。

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