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松戸女子大学生殺害事件、死刑判決破棄で検察が上告
- 千葉県松戸市の女子大学生殺害事件で、東京高検は21日、無職竪山辰美被告の一審死刑判決を破棄して無期懲役とした東京高裁判決を不服として上告した。
- 竪山被告は2009年に千葉大4年の荻野友花里さんを殺害したとして強盗殺人罪などに問われた。裁判員裁判の千葉地裁判決は、事件の残虐性や複数の前科を重視したが、今月8日の東京高裁判決は「殺害された被害者が1人で計画性はなく、死刑選択は誤りだ」と判断した。
- この裁判で一番の無念を感じたのは荻野友花里さんのご両親ですよね。そして、東京高検の判決を疑問視する声も少なくありません。裁判員の存在意義を否定する声もある中、裁判員は必要と思いますか?また、東京高検が一審と同じ判決を出していたら、どういう問題がありましたか?
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死刑判決には、最高裁の永山判決が重大な影響を与えており、 これを「永山基準」と呼んでいます。 検索すれば、すぐにヒットします。 日本の裁判は、過去の判例に影響を受けます。 (日本だけでなく、多くの国がそうなのですが……) なので、永山基準に合わない場合には、死刑にしない というのが、裁判では一般的になっています。 なので、死刑としなかったことは、ある意味、当然でしょう。 これと裁判員制度との整合性ですが、 法律の解釈、判決は、時代と共に変化するものです。 裁判員制度は、その変化を促すシステムです。 例えば、性犯罪については、過去の判例よりも、 裁判員裁判の量刑が重くなる傾向がみられ、 上級審でも、それが認められています。 多くの裁判員裁判が行われており、 いくつかの判決が覆ったからといって、 この制度の問題視するのは、針小棒大です。
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- fict923ikayoma
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これまでの判例がおかしいから裁判員制度でしょ、よく計画性があったかどうかといいますが、どこで線引きするのでしょうか、そんな曖昧な事よりも結果を見極めることで決めるべです。最高裁は裁判員の判断を重視するように指導しています。裁判員の判断を小馬鹿にするのなら裁判官を辞めて貰うしかないですね、上告は当然です。
お礼
回答ありがとうございます。 fict923ikayomaさんはもっと聡明な方だと思っていましたが、些か失望しました。ちょっぴり残念です。 裁判員制度自体、試験的に導入されたものです。それで、過去の判例主義を修正する目的で導入されたましたが、素人の感情論に任せたら 量刑を度外視した判決が続出し、死刑判決も多発したので、裁判員の裁定の暴走に歯止めをかける意味でも賢明な判断だと思いますよ。裁判員の判断に依存しすぎると #1さんのお礼で書いた問題点の他に、殺人の「計画性」についても軽視される傾向があります。これは、遺族にとっても それほど問題にしないかもしれませんが、社会正義の観点からは重要なファクターです。ついでに、#1さんのお礼に付けたしますが、求刑より重い判決がでても 何の為の求刑か と疑問視する人は少数です。 あと、上告しても2審の判決が支持される公算が高いですね。もっとも、裁判官が何らかの形で買収されれば話は別ですが。 fict923ikayomaさんももっと、社会のこと、法律のことを勉強しましょうね。
- shironeko4
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だいぶ前に殺人が一人だけだと死刑にはならないと聞いた事がありますが、計画性、残虐性などを考慮せずに機械的に無期懲役という判決を出すのは裁判官の怠慢ではないでしょうか。 そのような前例が既定事実化すれば、「一人だけなら殺しても死刑にはならない」という誤ったメッセージを社会に与えて、殺人を助長する事になるのではないでしょうか。 司法関係者からは行き過ぎた前例主義を問題視して自己で改革する動きが全く見られません。 三権分立の建前があって難しいかもしれませんが、国会議員の先生が見られていたら司法改革に取り組んで欲しいです。
お礼
回答ありがとうございます。 > そのような前例が既定事実化すれば、「一人だけなら殺しても死刑にはならない」という誤ったメッセージを社会に与えて、殺人を助長する事になるのではないでしょうか。 北風と太陽、考え方は二つ。北風的な考えで行けば、例えば 娘がレイプされ自殺し、父親が復讐で男を殺しても死刑にすべきです。太陽的な考えで行けば、命を命で償うのは誤りだというのを国民に啓蒙し、結果的に死刑を廃止に方向に進めることです。今の日本の死刑制度では 復讐殺人を助長しているようなものです。 また、一人だけで死刑になるのなら、一人殺したら歯止めが利かなくなり 特に営利目的殺人なら、口封じに連続殺人が増加する可能性も否定できないでしょう。
今回無期懲役になったのは、裁判は全て法例が下に有るからです。過去に一人殺人で死刑の先例はありませんので死刑にはならなかったのです。一人の殺人で死刑になったら先例に鑑み不公平になるじゃありませんか。
お礼
回答ありがとうございます。 理由の一つに死刑の判決が異常に増えたというのがあるようです。 死刑に判決を出した裁判員に 死刑執行のボタンを押させるといいかもしれませんね。 そうやって、改めて 命と向き合った方がいいかもしれませんね。
- oska
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>東京高検の判決を疑問視する声も少なくありません。 東京高検でなく、東京高裁ですよね。^^; >裁判員って必要だと思いますか? 裁判所関係者としては、「必要ない」と考えていますよ。 最高裁も「新たな判決はしないで、過去の先例に基づいた判決を出せ!」と、全国の判事・裁判長に命令しています。 つまり、たった一人しか殺していない場合は「加害者の人権を尊重し、無罪若しくは懲役刑にする」という事です。 司法の世界では「加害者の人権は、被害者の数十倍重い!」という不文律があります。 「ずぶの+ど素人が、判決を下す事は出来ない!」という、優越認識があります。 裁判員制度を設けた方が必要だと思っているだけで、司法当局自体は「縄張りを荒らすな」と思っているのです。 どんな事件も「前例に従う」事が、裁判官に要求されます。 過去の判決をデータベース化すれば、裁判所も無人化できますね。 端末から事件内容を打ち込めば、自動的に判決が出ます。 裁判所も、やっとIT化が進みます。 会社を休んで+長期間拘束される裁判員の苦労も、裁判所では「大笑い」しているのかも知れませんね。
お礼
回答ありがとうございます。
- ape_wise
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判決を出したのは東京高裁であって、東京高検ではないですよ。 東京高検は上告しただけです。あなたの質問文だと何を支持するのかが分かりません。 プロの裁判官の場合、上級審の判例に拘束されますから、仮に裁判員制度がなかった場合、地裁レベルから永山基準に基づいて「被害者一人では死刑にできない」と判断しただけだったでしょう。それに反する判断を地裁がしたところで「何無駄なことやってんだ」と揶揄されるだけです。 この状態では永山基準が見直されるタイミングは永遠にやってこないと言ってもいい。 裁判員はそのようなものには拘束されない点がポイントだと思います。つまり従前のプロの裁判官と一般の人ではしばしば量刑に対する感覚のギャップが存在している。司法の判断は硬直的であってはならず、都度そのときの社会通念に照らして納得のいくものではなければならない。裁判員の量刑の感覚についても適宜裁判の場に採り入れて従前の裁判のあり方を適正化していく試みが裁判員制度なのだと思いますけどね。 もちろん今回の一件だけで永山基準が見直されるとは思いませんが、これが何度も続けば、もしかすると、死刑の基準が変わるかもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございます。 裁判員制度については私も疑問を感じております。素人の感情論ばかりに委ねていては法の秩序が損なわれますからね。 裁判員裁判の特徴として次の点が挙げられると思います。 (1) 被告の外見的な印象で刑が左右される。 (2) 一方的に、被害者にばかり肩入れする。 (3) 司法のバランスには無頓着。例えば、求刑より重い判決を疑問視する人も少ない。 (4) 証拠の信憑性よりも 犯行状況の物語で物語で判断する。つまり、冤罪も生まれやすい。