• 締切済み

わからないものに対する態度

人は全知全能ではありません。生きていると自分の理解を超える何かに出会うことがあります。 そのようなものに出会ったとき、皆さんはどのような態度を取りますか? 1 わかるまで考える 2 答えを知っていそうな人に訊く 3 考えることをやめ諦める 4 その他 

みんなの回答

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.8

2番やね。

  • koiprin
  • ベストアンサー率23% (72/306)
回答No.7

古代より人間はわかないものに対しては恐れを抱きました。 結果、徹底的に迫害・排除するか、神とあがめるかです。 ということはさておき、 私の場合は、無視できる環境であれば無視する。 無視できないのであれば2⇒1の順ですかね。 このサイトに見受けられる現象としては、 1、知ったかぶりをする   2、分かったと思い込む   というのもあるように思えます。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.6

「壁」に当たって、ひとまずは避けても、そうしてやり過ごした積りになっていても、 巡り巡って、また当たる。 ま、そういうもの(限界)と括って、「保留」というところで。 (ここでも、「全然判らないけど、将来的には?判り得るのかなあ?」みたいなことは、多くて)

noname#184712
noname#184712
回答No.5

 敢えて言えば、3。理由。  ・興味が無いことは考えても仕方がない。他にやるべきことがある。  ・例えば超能力とか、オカルトには巻き込まれたくない。  ・知らないでも生きていける。  ここでは「わからない=興味が無い」と考えています。傲慢かもしれませんが、興味があって探求していけば、全ては分からなくてもある一定のところまでは分かるつもりです。  ただし、諦めた後の振る舞いの方が肝心です。いろいろあります。  ・自分には分からないと白状した上で、大切なことなんだろうと相手を尊重する。  ・相手のことも自分のことも傷つけないように、話を合わせて、分かった振りをする。  ・全くお前は無駄なことをしていると罵倒し、誹謗中傷する(=見ない振り)。  それらを適宜選んでいますね。  しかし「全くお前は無駄なことをしていると罵倒し、誹謗中傷する(=見ない振り)」を選択する人は始末に負えません。

回答No.4

好奇心により謎を楽しむ。

回答No.3

4 その他      「わかるまで」という制限を付けず、自由に考える。

回答No.2

第一に判らないのだという事を判らない場合がありますね。 ほとんどの場合がそうなんではないですか。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13114206213 この質問の趣旨は、解脱したといわれる釈尊は何故池の中に下りてカンダダたちととともに悩み苦しみ、そして戦い、ともに人間と人生の問題にとりくまないのか。ということなんですが多くの方が問題が理解できない。つまり判らない、然るに判らないことが判らない。 こういうことが人間の常なんでしょうね。 第二に、物事に関する知識の不足から判らないということがあります。それは調べたり聞いたりすればいいのですね。 第三に、想いが未熟鳴るが故に判らないという事があります。それはいろいろに自己啓発や思索、瞑想などで判ってくることもあります。 私達が一番留意するべきは、本当に自分がわかっているのかどうか。どこまでわかっているのか。 どの側面、どこの側面立場から判っているのか。 ということの省察が必要なんだという事でしょう。

回答No.1

こんばんはです。 わたしは、  1 自分の頭で考える  2 考えても分からない時には、なぜ、分からないか、考える  3 知識や情報が不足しているのならば、人に聞く、本やネットで調べ、情報や知識の収集  4 それで、問題解決の糸口を探り当てたならば、1に戻って、自分の頭で考える 基本的には、問題が解けるまで、この1~4までを繰り替えします。 なのですが、 これでも手に終えない時には、ひとまず、その1~4までの作業を保留し、時を待ちます。 ひょっとしたら、何かの拍子で、問題解決の方法が閃くかもしれませんので。 まったく別なことをしていて、新しいことをしていて、それが問題解決の手がかりになることもあるかもしれませんので。 ですから、 質問者さんの「3 考えることをやめ諦める」ということは、まずしません。 諦めたら最後、その問題は永遠に解くことはできないので。

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