ヘルメス主義とは?

このQ&Aのポイント
  • ヘルメス主義とは、古代の思想であり、開祖はヘルメス・トリスメギストスと言われています。
  • ヘルメス主義は、ユダヤ教徒にも関連があると言われており、発展していく過程でユダヤ教の影響を受けていったと考えられています。
  • また、ヘルメス主義はグノーシス思想とも関連しており、共に発展してきた思想と言えます。
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ヘルメス主義とは?

ヘルメス主義について調べているのですが、歴史的な観点から解説をお聞きしたいです。 あまり参考文献等もなく困っています。 ヘルメス主義について調べてみますと、まずどこのサイトでも開祖はヘルメス・トリスメギストスで、彼はアトランティスの司祭だった、そしてエメラルドタブレットがどうのこうの・・・と触れられています。 私が知りたいのはこんなことではなくて、現実の歴史に照らし合わせてヘルメス主義がどのような発展を辿ってきたかを具体的に知りたいのです。 開祖がヘルメス・トリスメギストスだなんていうのはどうでもいい情報で、実際にはどのような人物がこの思想をまとめあげていったのか、歴史的にヘルメス・トリスメギストスの名が登場するのは何世紀ごろの話なのか? この思想の発展にはユダヤ教徒は関係があるのか? 他にもエメラルドタブレットの初出について、またこれがピラミッドの中で見つかったという尾ひれが加わったのはいつ、誰が言いだしたのか? そしてこれについても伺いたいのですが、グノーシス思想とヘルメス主義は共に発展してきたのでしょうか? 調べても全然情報が出てきません。ヘルメス主義の実像とは一体どういう物なのでしょうか。詳しい方よろしくお願いします。

  • lugal
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質問者が選んだベストアンサー

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  • amaguappa
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回答No.3

なるほど。 イェイツはお好きですか? ロンドン大のルネサンス史家でウォーバーグ研究所の至宝というべき女傑ですが、わたしはGiopdano Bruno and The Hermetic Traditionという著作を英語で輪読したことがあります。フランス語で議論しながら英語で読むのが相当しんどかったのと、最後の方は飛ばし読みになってしまったので、たいした感想は言えませんが、3世紀のラクタンティウスによって、続いて4世紀のアウグスティヌスによって、ヘルメス・トリスメギストスが実在らしく権威づけられたり批評されたりしたことや、17世紀カゾボンによる年代同定による批判が、いかに重要とはいえ同時にいかにささいなことであるかが、よくわかる本です。 トリスメギストスがいなくともヘルメス思想があるという事実の、歴史における「糸」と「織り柄」のすべてが書かれている良書だと思います。あなたの知りたいことはそこで見つかるのではないでしょうか。 これの訳書が最近出たのには驚きました。翻訳はたいへんだっただろうと思います。 「ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統」フランセス・イェイツ著、前野佳彦訳 工作社 2010年

lugal
質問者

お礼

度々の回答ありがとうございます。 このような本があることを初めて知りました。内容が回答者様の言う通りならまさしく私が求めていたのもこのような本であると思います。 アマゾンで見たら値段が高かったのですが図書館等でさっそく読んでみるつもりです。ありがとうございました。

その他の回答 (3)

回答No.4

 こんにちは。  アウグスティヌスは ヘルメス文書から 次のようなくだりを抜き書きして ヘルメス・トリスメギストスの思想を批評しています。  まづは 偶像の神々は 人間がつくったものだというくだりおよびそのような偶像崇拝は滅びるであろうと予言するところです。あらかじめ言えば 最終の結論としては その思想を批判しています。  ▲ (ヘルメス文書より) ~~~~~~~~~~~~~~~~~  われわれの論議は 人間と神々との関係 協力関係について明らかにするであろうから アスクレピオスよ 人間の能力と力とを知れ! 主または父 ないしは最高の存在者である神は 天界の神々(* bragel.註 =天使)の創造者であるが それと同じように 人間は 神殿の中で人間の近くにいることに満足している神々(* すなわちその偶像)の製造者である。   (『アスクレピオス』23および24参照)   (アウグスティヌス:『神の国』vol.8 ch.23  著作集12 茂泉昭男訳)  ▲ (同上) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  アスクレピオスよ エジプトが天界の似像であることを知らないのか。さらに もっと真実を言えば われわれの大地は全宇宙の神殿なのである。  しかし〔未来〕全体を予知することが英知の者にふさわしいのだから あなたがたには次のことに当然ながら無知であるべきではないのだ。すなわち エジプトの人びとが 敬虔な精神と熱心な敬神とによって神に仕えたことが無益であったと思われる時がやがてやってくるということに。   ((『アスクレピオス』24参照)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~      * ちなみに《神々の偶像は 人間がつくった》というのは       訳者註ならびに解説によると アリストテレスも言っている      らしい(『政治学』1・2・7)。姿かたちよりも その思      惟や振る舞いにかんして人間のありさまを投影したのだと。  これにかんするアウグスティヌスの批評は 護教論的なところは極力省きしかも議論を出来るだけ端折ることにすれば つぎのごとく。  ◆(アウグスティヌスのヘルメス評) ~~~~~~~~~~~~  エジプト人ヘルメスは・・・こうした事柄(* 偶像の神々への崇拝)がやがて取り除かれる時の到来するのを知っていたので・・・歎き悲しんだのである。  ・・・・  〔* どうして知ったか? それは旧約聖書の〕預言者たちはそれらの事柄を予見し 歓喜をもってこう言っている。    もしひとが神々を作るとしても みよ そうしたものは神々ではない。         (エレミヤ書 16:20)    主は言われる その日には わたしは地から偶像の名を取り除き    重ねて人に覚えられることのないようにする。         (ゼカリア書13:2)  聖なるイザヤはこのこととの関連で 特にエジプトについて    エジプトのもろもろの偶像は み前に挙げられ エジプト人の心はかれ   らの中に溶け去る。          (イザヤ書19:1)  等々と預言したのである。    (『神の国』8・23・3)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~    ヘルメス・トリスメギストスは 偶像崇拝に未練があったということのようです。

lugal
質問者

お礼

この質問を閉じるのを失念しておりました。 回答ありがとうございました。参考にさせて頂きます。

回答No.2

ネットで少し検索しましたが、 ヘルメス主義の世界観 http://www2.plala.or.jp/Rosarium/indigo/herm/herm.htm あたりが簡潔にまとめられて、わかりやすいかと思います。 なのですが、  秋山さと子著  ユングとオカルト  講談社現代新書 から、ヘルメス主義の説明の箇所を引用します。 ───────── ヘルメス文書 グノーシス主義の各派は、多かれ少なかれユダヤ・キリスト教の伝統とかかわりながら、正統の教義からは大きく逸脱し、特にユダヤ教に対しては、反撥する傾向が強いものが多い。しかし、同じ地代のエジプトで生まれながら、明らかにユダヤ・キリスト教徒は出所の違う教説を唱える一派があった。それがヘルメス・トリスメギストス、すなわち「三重の偉大なるヘルメス」と呼ばれる伝説的な人物をめぐる宗派であった。 この宗派の人々が、聖書の創世物語を知っていたことは疑いがないし、その点ではユダヤ・キリスト教の影響がまったくないというわけではないが、エジプトの神とトート神とギリシアのヘルメス神が同一視されたヘレニズム時代の混合的で超越的な雰囲気を伝える一種の宇宙的汎神論でを持っていた。 彼らの説く感覚的なものと霊的なもの、身体と精神をわける徹底的な二元論は、グノーシス主義とも近いが、キリスト教やプラトン主義の枠組みともよく合致する。そして、ここからいわゆる錬金術が発展するのである。 トート=ヘルメス、またはヘルメス・トリスメギストスが説いたとされる文献は、一時は二万巻近くあったという。しかし、現在残されているのは、わずかの錬金術に関する文献と、その精髄を集めたものとされる。いわゆる『ヘルメス文書』のみである。 この文献それ自体は、どちからといえば、新プラトン主義的な思想に基づいているが、しかし、その中には、まごうことなき反宇宙的なグノーシス主義の雰囲気がみられる。。。。 ポイマンドーレス (略) こうして彼が姿を変えると、眼前に無限の眺めが展開し、あらゆるものが〈光〉となるが、しばらくすると《闇〉が垂れ下がってきて、恐ろしげで忌まわしく、とぐろを巻く蛇のように見えた。この〈闇〉はやがて湿った自然(フェシス)のようなものに変化し、火のような煙をだし、名状しがたい哀訴の叫び声のようなものを発していた。〈光〉から聖なる〈言葉(ロゴス)〉が出て自然に乗ると、火が自然から跳び出し、空気がこれに続いて、火からぶら下がっているようになったが、土と水はその場にとどまって互いに混じり合い、土と水は区別できなくなった。 そしてポイマンドレースは、あの光こそお前の神なる私であり、闇より生まれた自然より以前から存在する。そしてヌースから出た輝ける〈言葉〉は〈神の子〉である、と告げる。そして私は自分の精神の中に、光が無数の力となり、果てしない宇宙となり、火が強力な力によって包み込まれ、統制のものに各自の位置を保ったものをみる。 。。。 ───────── あまり引用すると、怒られてしまうので、 もしも興味がございましたら、この本を購入するなり、図書館で探し出すなりなさって、読んでくださいませ。 なお、〈ヌース〉とは《知性》のことです。 これを読んだ限りですと、 新プラトン主義の開祖・プロティノスの《流出説》に非常によく似るように思えます。 そして〈光〉と〈闇〉の二元論は、ゾロアスター教の影響なのでしょう。また、ゾロアスター教の《ズルワーン》思想の創世神話にも非常によく似ているように思えます。 流出説 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E5%87%BA%E8%AA%AC

lugal
質問者

お礼

詳細な回答ありがとうございます。 引用文を読むと、なかなか複雑ですね。グノーシス主義、新プラトン主義、ヘルメス主義、そしてカバラもありますが、どうも関係性がよくつかめません。 回答ありがとうございました。

  • amaguappa
  • ベストアンサー率36% (140/385)
回答No.1

まえおきさせてもらうと、歴史的、に対象を捉えることと、実像、を問うことは違う。 糸をみることと、織り柄を見ることくらい違います。 ちょうど最近、そんなことがわからない人が、 案の定、歴史的にという言葉をやすやすと見落として、対象の内容の同定と混同していたので 話がまったく通じないということがありました。 質問者さんのこの質問はじつはかなり面白いです。 だから慎重に考えをすすめてもらえればもっと面白くなると思う。 さて、「ヘルメス思想」とこのQ&Aサイトを検索して、既に掲載されている回答を見てみましたが、 〈錬金術の思想的、宗教的位置づけ〉という質問と、 〈近代科学の祖、および、宗教に関する質問〉という質問がありました。 どちらも同じ方がベストアンサーを取っていて、よくざっくりとまとめてあるので、 わたしは、グノーシスの件についてだけお話ししようと思います。 グノーシス主義は紀元2~3世紀のローマを中心とした運動ですが グノーシス主義の思想がグノーシスで、こう呼んだ場合、かなり広い思想傾向を指して マニ教やカバラを含むことになるので、注意が必要です。 最初にグノーシスをヘルメス思想と関連付けた張本人と言ってよい人物は、3世紀ごろのローマ人司祭ヒッポリュトスです。 グノーシス主義者をギリシアの叡智のエピゴーネンに位置付け、異教徒とか無神論者とみなして攻撃するのが目的でした。 グノーシス論駁の流れには、異端視のほかにもうひとつ強力な論陣かあって、 2世紀のリヨンの司教エイレナイオスによる、聖書を誤読しているというものです。 グノーシスをめぐる宗教学的論争というのは、それ以来ずっと、おもにこの2つの意見の対立の構図で成りたっています。 そして、20世紀になって発見されたナグ・ハマディ文庫から定着したイメージも見過ごせません。 グノーシスは掴みがたい思想で、千の頭を持つとまで言われたことがあります。 グノーシス主義者は、旧約聖書の神をすでに悪意ある偽りの神であるとして否定し、地上の魂についての概念を持ち、"言い表せないもの"と"沈黙"が"充満"しているという"上なる世界"を説きました。おびただしい寓意を使うのが彼らのやりかたでした。 そして何よりもキリストの人間としての属性を認めず、十字架に架けられた肉体をキリストそのひとであるとはみなましませんでした。 彼らは結婚についてもも出産についても懐疑的でした。また、知る者は初めから知る者である、という階層的な考えを持っているので、初期キリスト教の素朴さとはまったく異質です。 1世紀ごろの活動家であるシモンやその弟子がサマリアの出身であることからユダヤ教が身近であるのも確かですし、2世紀までには、パシレイデスやヴァレンティノスの活躍をみても、知的エリートの教養であったギリシャ・エジプトの思弁的な哲学が骨の髄までしみこんでいたのは確かです。 ナグ・ハマディで発見された文書群は、4世紀にコプト語へ翻訳されたものであることがわかっていますが、農民による発掘から司祭の手で古美術商に渡り、古美術商を転々としたあとコプト博物館に保管され、一部はユング研究所に保管されたりしていたために、かなり順序や状態が損なわれてしまいましたが、わかっているだけでも12冊52編から成り、大部の重要文献です。 ナグ・ハマディ文庫からは、甚大深遠な教義を理論的に解説するために、中期プラトン主義や新プラトン主義を利用している様子が多々読みとれました。つまりヘルメス思想の足跡は確かめられるわけです。 グノーシス主義は基本的にはキリスト教のなかに起こった運動であり、天地創造の解釈が問題の要なので、ヘルメス思想とは並走している独立した運動だと言うべきでしょう。ただ、新プラトン主義はキリスト教に弾圧され、エジプトとギリシャの知の遺産はキリスト教によって後世に続く道を分断されてしまったので、キリスト教会から離れた知識人の中にしか継承されないのです。グノーシスという知的に高度な一派からは、そのことが、とてもよくわかるのです。

lugal
質問者

お礼

丁寧な回答ありがとうございます。 挙げていただいた質問を両方とも拝見し、「錬金術の思想的、宗教的位置づけ」のベストアンサーの方がヘルメス思想について書いていましたが、しょっぱなからしてヘルメスが4300年前に実在したという時点でその出典が示されていません。私もそんな話は聞いたことがないので、この手の話で今まで私も苦労してきたのですが、回答者様の指摘の通り、現実の歴史的事実(いつ、だれが、どのように)ではなく、神話・伝説的な伝承を歴史的事実と誤認してそれを話す人がいるので、ますます話が複雑になってきます。 現実的にはどんな神話・伝説・神秘思想にも、それを考え出し、書き記して、思想を継承し発展させてきた人がいるわけで、当然特定の思想が今ある形をとっているのも、それが生まれたときから今ある形だったわけではないので段階的に発展してきた過去があります。 もう一つ重要なのは因果関係で、どんな思想も孤立して発展してきたわけではなく、他の様々な思想との関係の中に発展してきているので、この思想のこの考え方はこれこれに由来しているという分析も必要かと思います。 その点でヘルメス思想というのは私にとってカバラやグノーシス以上に参考資料がなく実像がつかめない存在なので苦労していますが、もっと調べていこうと思います。

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    適菜収氏とニーチェの視点から読み解く、 中高年がタブレットを使用するにあたっての注意点。 あなたはB層ですか?] ■今やネットの世界では、 ユーザーが気軽に動画作品を投稿することができるようになりました。 それを閲覧して、 その動画に対してコメントもできるようになりました。 タブレットの普及は、 専門家ではない一般人がつくった政治的な動画や、 大系的な知識を持たない市井の人が書いた政治的なテキストを 一般の人々が目にする機会を格段に増やしました。 それに付随するかのように、 チンピラ学者動画やテキストも同様に日の目を見るようになりました。 宗教、科学、政治、歴史。 しかし、 それらの殆どは、 特定の思想傾向の持ち主の利益や政治的な動機に沿って恣意的に編集されていることに、 皆様はすでにお気付きだと思います。 自分に都合の悪い情報は排除し、 都合の良い情報だけを拾い集めてそれだけで世界が構成された、 漫画やアニメのように分かりやすい世界観。 ■そうです。 言うに及ばず、 はじめにそのようなサブカルチャー的な手法で宗教と歴史を再構築して、 自前の分りやすい世界解釈を打ち出したのはあのオウム真理教でした。 大系的な知識を持たない人間が都合よく政治や歴史や宗教を語り、 それを宣伝しようとすれば必ずそれはサブカルチャー化します。 失礼な物言いで申し訳ありませんが、 最近の中高年の皆様は精神的に疲れていらっしゃるのでしょうか? 堪え性の無さはまるで青臭い若者です。 恣意的に編集された世界観はあまりにも分かりやすく単純なので、 中高年はどんどんそこに転がり落ちて行きます。 ■『民主主義は反知性である』。 (適菜収) 私はあまり評価してはいませんが、 これから保守系哲学研究者の適菜収氏の視点から、 この問題を解いて行きたいと思います。 ■まず、 知性は分かりやすさを求めません。 反知性は分かりやすさを求めます。 大衆は反知性的です。 意地悪く言えば、 物事をちゃんと考えるだけの知性もなければ、 時間をかけて深く考えるだけの堪え性もない愚かな群衆です。 適菜氏は、 そのような反知性的な大衆のことを『B層』と定義付けました。 元々『B層』とは、 電通が郵政民営化の広報企画にあたって 小泉政権の主な支持基盤として想定した、 「具体的なことはよく分からないが、 小泉のキャラクターを支持する層。」 のことを指して使われた定義です。 電通の戦略は見事に当たりました。 体系的な知識を持たず、 その場の雰囲気や空気で物事を決めるB層。 後期高齢者医療制度には反対だけど小泉政権は支持。 それはそのまま、 日本のTPP参加には反対だけど安倍政権は支持する昨今の 有権者と重なります。 繰り返します。 B層は大系的な知識を持ちません。 その行動原理は自意識の快・不快からの反射的な反応であって、 その中心には熟考や原理原則はありません。 もちろん、 B層には右左問わず学者も評論家も大挙として所属しています。 ■その典型例が原発をめぐる対立でしょう。 B層右派は左派が脱原発だから原発推進を主張し、 B層左派は右派が原発推進だから脱原発を主張しているだけです。 このアンチ主義こそが反知性の最たるものです。 (被災者の生活は置いていかれている。) 残念ながら、 昨今の日本国内での右派と左派の対立や、 それに加えて日本と近隣諸国での政治的、 歴史的対立の多くはB層同士のアンチ主義的対立に過ぎません。 政治家までもが堪え性のない無責任な大衆であるB層に迎合してしまっているのが現状です。 ■適菜氏は、 このような反知性的な薄っぺらなラディカリズムを 痛烈に批判しています。 もちろん、 その批判は右派にも左派にも向けられています。 なぜなら、 B層とは思想的なベクトル(方向)のことを指すのではなく、 知的態度のレベルを指す概念だからです。 もっとわかりやすく言えば、 何を支持するのかではなくどう支持するのか。 それが重要だということです。 ■適菜氏がよく引用する哲学者ニーチェは、 人間として弱い故にルサンチマン(怨嗟)にかられた弱者が、 他者を蔑むことによって自尊心を調達する恥ずべき精神構造を見抜いていました。 もちろん、 ニーチェが理想とした『超人』はそのような弱さとは無縁です。 ナチスはニーチェの超人思想をゲルマン民族の理想の到達点のように掲げましたが、 一次大戦で疲弊しきって自尊心を失っていたドイツ国民が、 ユダヤ人を差別し虐殺することでその自尊心を回復していった その過程こそがニーチェが批判したルサンチマン中心の社会構造の顕現化であり、 その彼らこそがニーチェの定義するところの弱者の群れである『畜群』であったという顛末は、 皮肉の効き過ぎた何とも言えない笑えないものでした。 ■今までの流れを踏まえてまとめますと、 B層を、 『ルサンチマン(怨嗟)を解消するために安易に過激化した、 大系的な知識を持たない弱者の群れ』 であると定義できるでしょう。 B層にとって手間暇がかかる知性などは面倒なものでしかなく、 必要なのはコンビニエンスに憂さ晴らしができる手段と、 漫画のように分かりやすい世界観と、 自尊心を調達するために必要な蔑む対象だけなのです。 ■さて、 あなたはB層でしょうか? すでにB層の若者に洗脳されてしまっていますか? ■産経新聞でも朝日新聞でも読売新聞でも毎日新聞でも、 それぞれに公正になりきれない領域があります。 その領域こそがそれぞれの新聞の特色なのです。 もちろん、 それは適菜氏にもありますし僕にもあります。 新聞を読むにあたっては、 それぞれの新聞社の公正になりきれない領域さえ知っていれば、 どの新聞を読んでもそれを差っ引いて純粋に情報だけを入手できます。 初歩的な情報リテラシーです。 しかし、 B層によってつくられた動画や書かれたテキストには、 そのようなリテラシーさえも無駄に終わります。 なぜなら、 そこには何もないからです。 あるのは都合の良い知識の継ぎはぎだけで成立した、 単純で分かりやすい漫画のような世界観だけなのです。 ■もし、 あなたが右派で、 最近江藤淳のことを左に思えてきているのなら、 それはあなたがB層右派になってしまっているからです。 もし、 あなたが左派で、 最近吉本隆明のことを右に思えてきているのなら、 それはあたながB層左派になってしまっているからです。 もちろん彼らの思想のすべてが正しいなんてことはあり得ませんが、 彼らの立ち位置は中心からまったく動いていません。 江藤と吉本の対談が面白いのは、 彼らはお互いの主張が相容れなくても対話が成立する 『共通前提』を共有しているからです。 共有された大系的な『知識の公共圏』。 この時代の知識人は、 右翼でも知識の上ではマルクス主義に精通していて、 同じように左翼でも天皇制に精通しているものでした。 ■それに引き換え、 B層は右左問わず体系的な知識を持っていないので、 お互い対話が成立せずに罵り合うことしかできません。 彼らには知的な『共通前提』がないのです。 米国のB層である米キリスト教右派とイスラム圏のB層であるイスラム原理主義者の間に 対話が成立しないのとまったく同じ構造です。 ■中道は地道に獲得された知識と、 積み重ねられた生活から見出された『共通前提』を大切にします。 右派と左派の中にそれぞれの中道があるのではありません。 中道の中に中道右派と中道左派があるのです。 ■確かにB層がつくる政治観や歴史観は分かりやすく過激で面白い。 しかし、 私達は是非と好き嫌いを混同することが許せない成熟した大人であります。 好きだから正しい。 嫌いだから間違っている。 そんな恥知らずな態度は取りません。 B層が導く、 もしくはB層に迎合した政治など、 右に振れようが左に振れようがろくなものではないことは 歴史が証明しています。 今や政治家までもがB層に転落しはじめています。 残念ながら現状のままでのネット選挙はその大きなきっかけとなるでしょう。 単純で都合の良い解決策を求めない事。 単純で都合の良い歴史観を求めない事。 単純で都合の良い世界観を求めない事。 ■世界は複雑怪奇で不条理です。 それを逃げずにありのままに引き受けて真ん中でもって思考し続ける事。 それがB層に落ちない唯一の方法でしょう。

  • ○○主義について

    はじめまして 唐突な質問ですが (1)資本主義 (2)社会主義 (3)共産主義 上記(1)~(3)をそれぞれわかりやすくご説明ください 宜しくお願い致します