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忠臣蔵の人数について

noname#224207の回答

noname#224207
noname#224207
回答No.3

47名でしょう。 品川泉岳寺へいって見て下さい。一つだけ背中を向けたお墓があります。誰のですかね~ 討ち入りの目的を達成した後で全員が「切腹」することを覚悟していましたが、寺坂吉右衛門は卒という立場で「切腹」ではなく打ち首になる可能性が充分でした。武家にとって打ち首は屈辱です。 (武家は士と卒に区分されていました。士農工商は俗称であって制度ではありません。明治時代の士族には士も卒も含まれています。念の為) これを知っていた、大石内蔵助が泣いて懇願する寺坂を説得して、首尾を殿様浅野内匠頭の御正室に報告するように命令しました。 史料が無いので正確なところは不明な為に、逃亡説などが流布しています。 江戸時代の武家の人達の面目を第一とする考え方からすれば、事前に断った上で企てから退くのが普通です。 少しでも面目が傷つけられれば、それ相当の対応をしないと誰からも相手にされなくなりました。落ちこぼれとして扱われました。討ち入りに参加しなかった赤穂藩士は後日どこにも記録が残らないような悲惨な生涯を送っています。(こうした取扱いをしないと藩幕体制は維持できなくなります。実務上役にも立たない武家の立場を維持するのには、形式、面目が必要不可欠です) 士ではなく卒であっても同じです。 まぁ~このへんのことと、後に寺坂には追ってもかからず生涯を全うしたことなどを考えると敵前逃亡は非常に考え難いです。 現在の価値観で歴史を考えると史実は辻褄が合わなくなりますから注意して下さい。

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