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外国での忠臣蔵の評判

現在日本の武士道というテーマでレポートを書いております。 その中に赤穂浪士の話も入れようかと思っているのですが、そこで外国での忠臣蔵のとらえられ方について論じる予定です。 今資料を探しているのですがいい文献がなかなか見つかりません。。 そこでそれに関する直接の情報、こういう人が書いてるんではないか、この本、サイトがおすすめ、などご存知の方いらっしゃいましたらどうぞお教えください。できれば学術的なものがいいのですが… よろしくお願いいたします。

  • 歴史
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みんなの回答

  • mn214
  • ベストアンサー率23% (306/1302)
回答No.3

回答ではありませんが、ちょっと気になりましたので一言。 忠臣蔵の話はほとんどが創作された物語りに過ぎません。 元禄14年3月に起きた江戸城松の廊下で浅野匠頭が吉良上野介に切り付けた“刃傷事件”と、翌15年12月の浪士による“吉良邸討ち入り事件”というこの二つの大きな事件が史実として残っているだけで、その間の大石内蔵助を中心とした浪士たちの物語りはほぼ創作の世界のようです。 物語りでは、一方的に浅野だけが切腹させられたは喧嘩両成敗の原則に反するとして、幕府の処分に反発する浪士たちを善として、吉良を悪と決め付けていますが、実際には当時の決まりでは江戸城内で刀を抜いたこと自体が切腹に値する行為であり、浅野だけが切腹させられたのは極めて当然な処分だったといわれます。 とすれば赤穂浪士の話というのは、精神的に不安定な浅野匠頭が江戸城内で乱心して吉良上野助に切りつけたことにより、その処罰として藩が取り潰しになったことを“逆恨みした”元藩士たちが徒党を組んで吉良邸に押入ったということであり、現代風に云うならば逆恨みによる“テロ行為”に過ぎないというのが本来の姿のようです。 “仇討ち”とか“主君への忠義”とか云うとカッコよく聞こえますが、実際にはこの討ち入りは吉良側から見たらテロ以外の何物でもないように思います。 武士道とは関係ない連中と思います。

chameleon0000
質問者

お礼

私が忠臣蔵と赤穂浪士討ち入り事件の書き分けをはっきりさせなかったのでよくなかったようですね。すみません;確かにこの書き方だと誤解を生んでしまいますね^^;忠臣蔵の話はお話というのは重々承知しております。 ただそれがこれだけ長い間続いてきたというのも面白い話。 日本人が好む武士道観とでも申しましょうか? >武士道とは関係ない連中と思います。 日本人が彼らに武士道を投影させたのは事実ですのでそこを書きたかったのです。直接は関係ないかもしれませんが何らかの形で影響はしています。 ありがとうございました。

回答No.2

アメリカで使える伝統空手と護身術を教えている者です。 (ひょんなことからこのご質問に当たりました) まず、忠臣蔵は史実ではないと言うことと武士道とは政府が作ったものであって侍が心底から感じ取っていたものではない、と言うことを知っておいてください。 一般の人たちが「ちゃんばら映画」で得てきた武士道の知識と忠臣蔵と言う映画やテレビで作り上げてきた「武士道」とマッチすることは確かです。 しかし、武士道と言う作られたものと忠臣蔵が作り上げた多くの矛盾について調べるとこのテーマをどのように持っていけば良いかがわかると思います。 多分今思っておられるものとはかなり違ってくると思います。 外国と言っても中国もアフリカ諸国も含まれるわけですが、私はアメリカに38年ほど住んで武道を教える側としてちょっとかけると思います。 Bushidoと言う単語はすでに英語単語となっています。Chushingura(The 47 Ronins)はSamurai(英語です)に興味がありBushidoの習い始めたころから知るSamurai Movieとして知るようになります。 そして、Bushidoに基づいたSamurai Movieと勘違いし始めるのもこのころです。 しかし、子供のころから「洗脳」されていないので(物語を真実と思い込むようなこと)この物語に多くの矛盾と疑問が浮かび上がるわけです。  浅野匠の守の行動自体に疑問を沸くのは当然ですし、彼が切腹させられた背景に疑問を感じないのは(マスコミに)洗脳されているからであり、計画殺人に対する考え方と当時の政府の方針とのギャップ、など多くの「謎の存在を全く考える余地がない」一般の日本人には「良き事」しか写らないわけですね。 矛盾を感じない、と言う言い方も出来ると思います。 武士道と言う作られた「道徳」が侍の行動を管理し始めたのは侍自身が「戦い役」者ではなく単なる「政府のサラリーマン」であり、武士道と言う政府の道徳教育はすなわち徳川政府の温存を保護するものだったわけです。 応仁の乱から1700年ごろまでの戦闘役には武士道はなかったとまで言われる理由なわけです。 また、なぜ宮本武蔵が徳川家に雇われずに柳生家が重んじられたのも、戦い方を教える武蔵では徳川家にとってそれこそ「危険なこと」でもあったわけです。 柳生の教えの方が安全かつ意味があったわけですね。 日本の文化を外から見るとかなり違った目で見ることが出来ることもあると言うことかもしれませんね。 上に上げた英語の単語を使ってネットを見てください。 間違ったことも書かれていますが(日本の一般の人が感じている先入観をそのままうたっているものもあります)、忠臣蔵の謎、間違った武士道、武士道とは、などをキーワードとして日本のサイトも見てください。 この忠臣蔵については多くの非一般的な「学術的な」また「武道に基づいた」情報を得ることが出来ると思います。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 

chameleon0000
質問者

お礼

丁寧な回答ありがとうございました。 そうですね、松の廊下の「後付けの理由」を観ておらず(ドラマや映画等)その歴史を知れば矛盾を感じるでしょうね。 元々江戸時代の授業のレポートなので、だからこそこのトピックが授業で扱われたのだと思います。<応仁の乱から~ ただ、挙げて頂いた単語では大体検索し尽くしまして。。折角挙げて頂いたのに申し訳ありません。日本語のワードで検索してみます。

  • milky0204
  • ベストアンサー率25% (81/313)
回答No.1

wikipedia の英語サイトはいかがでしょうか? 何か手がかりがあるかも。。 というのは、最近海外の知り合いと電話で話していたときのことなのですが、何かのきっかけで、日本の歴史のことが話題になったんです。 そこで相手の方が、「日本の最後の将軍は、keiki だよね?」というので、「え? 徳川慶喜ですよ。」といったら、「学校の歴史の授業では、keiki って習った。」と言うんですよ。 「ほらね?」と教えられたサイトが、wikipedia の英語サイトの、徳川慶喜についてだっのたですが、確かに keiki という名で知られていると言うことが書いてありました。 慶喜(よしのぶ)は確かに音読みすれば、けいきですよね。 海外の学校でも日本の歴史は教えられているのでしょうが、 一般認識事項が日本国内と少し違うのは面白いですよね。 参考になるかどうかはわかりませんが。。 http://en.wikipedia.org/wiki/chushingura

参考URL:
http://en.wikipedia.org/wiki/chushingura
chameleon0000
質問者

お礼

アドレスをありがとうございました。 参考にさせて頂きます^^

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