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第二次世界大戦の開戦阻止について

IsakAjimafの回答

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回答No.11

他の方々も触れておられるようですが、私なりに要点をまとめてみます。 1.当時の日本は、軍事行動も含めた広い意味での外交問題について、本当に統一された合意ができる体制がなかった。内閣、陸軍、海軍、傀儡だった皇室、世論は全くまとまっていません。言い方を変えれば、開戦論者が軍を掌握すれば暴走し始めるのは難しくなかった。 2.外交術において、諜報活動(特に軍事暗号、外交暗号の面)でアメリカ等に完全に後れをとっていた日本は、事務レベルの外交での駆け引きで圧倒的に不利な立場だった。従って、海外の日本大使館の活動で日本の国益を守ることが難しかった。 3.アメリカで宣戦布告の権限を持つ上院議会は、第2次大戦に対してアジアでもヨーロッパでも中立を維持する政策だった。しかしルーズベルト大統領は日米開戦を欲していて、議会を納得させる開戦のきっかけを求めていた。 4.アメリカは日本への経済制裁として、様々なカードを切ってきた。主なものだけ挙げても、1億ドル(当時)にのぼる日本政府代理店だった銀行の在米金融資産の無条件没収、民間における日本人とアメリカ人の間の貿易を許可制にする、戦略物資(原油、鉄鉱石、軍事利用できる工作機械など)の日本への輸出禁止などがあった。 5.当時の日本には原油の備蓄量が半年分しかなく、原油輸入量の9割をアメリカに依存していたので、アメリカとの関係修復か、別ルートでの資源確保の2択を迫られた。 6.明治維新以来の日本では、国力で日本より勝るとされる国々を相手に戦争で渡りあってきた(歪んだ形での)成功体験があって、劣勢でもなんとかなるという楽観論を抱く勢力があった。 7.第2次大戦ではそれまでの戦争と違って、前線指揮官の采配で一時の勝利を得ても、それが最終的な勝利にならなかった。今だから明らかだと思えるが、『戦闘地域の広さ、絡む金額の大きさ、科学技術の急速な発展などの影響があって、経済力、戦略物資の保有量、工業力の差がある場合には優勢な側が長期戦に持ち込むだけで最後に勝つ見込みが飛躍的に高まる』ということを、日本の開戦論者は理解していなかった。 8.山本五十六など、日本はアメリカに勝てないと主張した人たちは確かに居た。全面戦争では勝てないと分かっている人もちゃんと居た。でも、当時のアメリカは日本だけと対立していたのではなく、歴史的なつながりの上ではヨーロッパの戦争に協力するかどうかの方が重要度が高いと見られ、それが日本の開戦論者には短期決戦で東南アジアの原油や鉄鉱石を確保しておいてアメリカとの停戦合意を取り付ける、というシナリオに実現見込みがあるという根拠にされた。 9.アメリカ側は日本の窮境を知っており、短期決戦を望んでいることも知っていた。その上で、真珠湾攻撃の実行前に届けるはずだったアメリカへの宣戦布告が日本の不手際で攻撃後にホワイトハウスに届けられたことをプロパガンダに利用した。結果として、日本はだまし討ちを仕掛けた卑怯な国であって、絶対に許すことは出来ないという世論を生み出し、日米が早期に和平交渉する可能性を意図的に絶った。

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質問者

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>アメリカ側は日本の窮境を知っており、短期決戦を望んでいることも知っていた。その上で、真珠湾攻撃の実行前に届けるはずだったアメリカへの宣戦布告が日本の不手際で攻撃後にホワイトハウスに届けられたことをプロパガンダに利用した。結果として、日本はだまし討ちを仕掛けた卑怯な国であって、絶対に許すことは出来ないという世論を生み出し、日米が早期に和平交渉する可能性を意図的に絶った。 アメリカ人は結構、腹黒いところがあり、まんまと罠にハマッタところが悲しいですね。

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