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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本人の強調性は 稲作農耕という経験から来たか)

日本人の強調性は稲作農耕という経験から来たか

masa2211の回答

  • masa2211
  • ベストアンサー率43% (178/411)
回答No.18

今までの回答と、めざす方向が違う回答なんだけど.... >われら日本人のあいだに見られる協調性は どこから来ているのか? これは、通常の意味に取ります。 すなわち、外国人平均より日本人平均のほうが協調性がある。それは何故か? とすると、以下のような疑問は、論理的にいって発生しません。 >人間が協調性を持たないという見方自体がオカシイ。 いえね、それでは、外国人も日本人と同程度に協調性を持っている、 持っていないなら、それは何故か、ということになり、当初質問に戻ります。 トートロジーであり意味なし。ゆえに、こういう手の疑問はいだきません。 人間の本来の本質が協調性でも非協調でもいいのだけど、 結果として、日本人のほうが協調性がある、その理由は何か、ということに対し、 何がしかの回答になっていないと変。 ゆえに、「人間は~ 」という回答だけは成立しません。 それとも、 >日本人のあいだに見られる協調性 の部分が、外国人と比較しないでモノ言ってます? それなら、牧畜なら協調アタリマエ、稲作では協調不要なのに何故か日本人は協調。スゲー。 というような意見がアリなんだが。(外国の論調はそうではないけど。) >日本における人びとの《協調性》は ひとり《稲作農耕文化》によってもたらされたとは >考えられないのではないか。 これまた、どうして?そんなこと誰も言っていません。 協調性を養う方法は稲作のみとも言っていないし、稲作すれば常に協調性を持つとも言っていません。 ただ単に、稲作すれば協調性を持つ可能性が増えると言っているだけ。 >稲作農耕が 家族という枠組みを超えてムラの共同作業だという見方 >これが つねに成り立つと言うべきでしょうか? 常に成立するわけではありません。部分的に成立するだけ。でも、それで、協調性が必要となる条件は満たします。  ※個人の水田から得られた収穫は個人に帰し、共同とはならないことを指す。    少なくとも日本の場合は、ずっとそうなっている。    なお、灌漑施設は、現在でも共有です。(水利組合=用水使用者 の持ち物です。) ただし、日本式稲作というのは、畑作/果樹園に比べ、協調性が必要なのは間違いないところ。 (牧畜はよくわからんので、比べるのは別人にまかせます。) 理由の1. 灌漑設備が必須。(陸稲の場合、収量は3割~4割程度に落ち込む。) 何? 世界4大文明は全部畑作で、灌漑網が無いと成立しない? よって、理由の2。 理由の2. 畑作の場合、個人で好きなときに種まきできるが、稲作はそうではない。       代掻きのときにつかう水量は、普通期の4~5倍。       結局、2~3週間かけて、少しずつ代掻きするしか方法がない。       (水資源的にも、水路の規模からも。現代も、これは変わっていない。)         ※この手の純工学問題に対し、哲学カテ常連で大丈夫そうな人、少ない.....           農学常連さんあたりに、確認とってほしいけどなあ。 ですので、陸稲や天水田にはこういった事情が当てはまりません。 水稲でも、浮稲は当てはまりません。 熱帯の水田の場合、いつ田植えしても収穫できるから、逆に代掻時期が大きくばらついて良いので       代掻時期を統制する、といった問題は発生しません。 結果的に、稲作の最北端である日本で、最もこの現象が顕著である、ということが言えてしまいます。 ※韓国については、明治以前は稲作はほぼゼロであり麦作地域になり除外できます。 ※※中国の南朝エリアも顕著、ということになってしまうが、それ以外の稲作地域は    ほとんど除外できると思う。 ※※※かつ、今までに書いた諸問題の解決方法は「協力」だけでなく「強権」というのもアリ    なので、当然ながら、稲作(灌漑型)イコール協調とはならない。 尤も、最後まで嫌らしく残るのは、これらが全て偽相関だった、という可能性。 協調性の定義如何では、日本人より米国人のほうが協調性がある、という論文あり。 ※何せ、協調性とはどういうものか、定義しないで議論しているので、定義は結構何でもアリ。 ※※私の使っている定義は、    「個人の利益より集団の利益を優先することを協調という。」    (米国人のほうが協調性があることを除外するのにはこう定義すればよいため。)    ちなみに、発端の駅での救出劇は、個人の利益最優先と仮定し他場合でも協調する、という解が存在するので協調がどうかが曖昧となる。 ゆえに、 >稲作農耕の経験からいう見方だけとは思えない という意見には賛成しますが、そう思う理由や思考経路は、まるで違います。 そもそも、稲作だけが原因だとは誰も言っていないので。それ以外も、いろいろ違う。

bragelonne
質問者

お礼

 まさ2211さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  ★ ~~~~~~~~~~  とすると、以下のような疑問は、論理的にいって発生しません。   >人間が協調性を持たないという見方自体がオカシイ。  いえね、それでは、外国人も日本人と同程度に協調性を持っている、  持っていないなら、それは何故か、ということになり、当初質問に戻ります。  ~~~~~~~~~~~~~  ☆ これは 文脈が決まっています。  ☆☆(趣旨説明欄) ~~~~~~   日本における人びとの《協調性》は ひとり《稲作農耕文化》によってもたらされたとは考えられないのではないか。  ほかに何が要因としてあったかというよりも そもそも人間が互いに社会を成して生活するということにおいて《協調性》を持たないという見方を前提とすることのほうが おかしいのではないか。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  このようです。つまり 《ほかの国の人たちも 一般に協調性を持っている。または よほど現実に現われていないとした場合 それでも 潜在能力として持っている》という前提における含みを排除しないで しかも 問題の焦点は 《協調性が ひとり〈稲作農耕文化〉によってもたらされた》と言うのなら それは違うであろう。なぜなら――ほかに要因が多くあるとか無いとか考える前に―― そもそも協調性は 人がその能力をすでに初めに持っている。ゆえに たとえば稲作農耕の場合にも 必要な場合や所で発揮されて来るのであって 稲作農耕をおこなったゆえに 協調性が 能力として芽生えるという見方は おかしいのではないか? ――こういう文脈と論旨のはこびにおいて出した疑問でした。  要するに 協調性と稲作農耕とを 一対一の相関関係において捉えることに異議をとなえている。という問題です。  ★ ~~~~~~~  >日本における人びとの《協調性》は ひとり《稲作農耕文化》によってもたらされたとは  >考えられないのではないか。  これまた、どうして?そんなこと誰も言っていません。  協調性を養う方法は稲作のみとも言っていないし、稲作すれば常に協調性を持つとも言っていません。  ただ単に、稲作すれば協調性を持つ可能性が増えると言っているだけ。  ~~~~~~~~~~  ☆ 出所は伏せておきますが 次のような文章に対する物言いです。  ● ~~~~~~~~~~   明治維新以降、素早い工業化を可能にした、集約農法のジャポ  ニカ米稲作農耕文化の協調性と、島国文化の妥協性のコンビと  いう、世界でも稀な集団主義的な文化は、確かに劣化している。  ~~~~~~~~~~~~  ★ ~~~~~~~~  ※個人の水田から得られた収穫は個人に帰し、共同とはならないことを指す。    少なくとも日本の場合は、ずっとそうなっている。    なお、灌漑施設は、現在でも共有です。(水利組合=用水使用者 の持ち物です。)  ~~~~~~~~~  ☆☆ 回答No.15お礼欄) ~~~~~~~~   2. 稲作農耕は 水利の都合を共同作業に負うのだ(回答No.5)けれど その水をめぐって ひとつの川の上流・中流そして下流の周辺の農村がそれぞれ 日照りがつづき渇水のときには むしろ残り少ない水をめぐって争ったようである。争いのつまりけんかの・つまり戦争の中身は すごかったし 和解してよい妥協案が採択されるまでけっこう長くかかった(回答No.2&7)。  ――この史実の示す内容は 稲作農耕=協調文化論を 手放しでは 推しがたいと思わせるものがある。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ および  ★ ~~~~~~~~~  ※※※かつ、今までに書いた諸問題の解決方法は「協力」だけでなく「強権」というのもアリ    なので、当然ながら、稲作(灌漑型)イコール協調とはならない。  ~~~~~~~~~~  ★ ※何せ、協調性とはどういうものか、定義しないで議論しているので、定義は結構何でもアリ。  ☆ 定義はしていませんが 例示は 電車の車両を皆で押して車両とプラットホームとの隙間を広げて そこに挟まった人を引き上げ助け出したという出来事として 出しております。言ってみれば 助け合いであり お互いさまと言って ふつうは利己心にもとづく行動がふつうのところをしかるべき要請を願っている特定の人の利益を増したり損害を減らすか無くすかしたりする行為への志向性でしょうか。  電車押し救助事件のその後の反響を聞くと 日本以外では――情報が限られてはいますが――そういった協調性に富んだ人びとの行動様式はなさそうだと言われています。米英伊中韓露泰。  ▲ 日本、また世界驚かせた」電車押し救助を絶賛   http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130726-00000376-yom-soci  ★ ~~~~~~~~  ※※私の使っている定義は、    「個人の利益より集団の利益を優先することを協調という。」    (米国人のほうが協調性があることを除外するのにはこう定義すればよいため。)    ちなみに、発端の駅での救出劇は、個人の利益最優先と仮定し他場合でも協調する、という解が存在するので協調 がどうかが曖昧となる。  ~~~~~~~~~~~~~  ☆ わたしの場合には 《個人・対・集団》ですとか《利己・対・利他》といった対立する二項を持ち出して その二者選択を否が応でもさせるように導く内容は 定義に使いません。そもそもそういう二項対立を ほとんど推論の道具として不毛だと見るからです。  

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