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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本人の強調性は 稲作農耕という経験から来たか)

日本人の強調性は稲作農耕という経験から来たか

noname#189246の回答

noname#189246
noname#189246
回答No.17

ブラジュロンヌさんこんばんわ。どうも少し、或いはだいぶ誤解を招いてしまったようです。若干の補足説明をさせて頂きます。専門用語を用いないために、返ってまどろっこしくなってしまったのかな、という思いはあります。私はそもそも専門分野に関する質問で無い限り専門用語は滅多に使用しません。しかし、知的好奇心旺盛な方から「どうでしょう?」と言われれば、私もお返事せざるを得ないでしょう。しかし、もはやこれが最後です。そもそも、私の世界にご興味がおありなら、私がイキオイで述べてしまった専門用語についてご自分でお調べになるでしょう。私もあまりしつこく連投すると押しつけがましくなってしまいますので、あとはお任せします。 私の発言、例えば以下のように述べたとします。 {ニューロンに癒着する流動思念体のような幽質が有る、これが意識の実態の一種です。身体には大まかに分けて肉体と幽体と霊体があります(本当はもっと幾重にも身体はあるらしいですが)。その幽体レベルで、意識を司る粘性の強い流動思念体というのが有るようです。ということは恐らく霊体になると流動思念体もさらに精妙な波動のものになっているのでしょう。 こういった説明という背景があって初めて私は「顕在意識は魂が脳に癒着する部分」などと表現出来ます。確かに私の発言は、私という人間の脳を介在したものだから、本来の霊言とは何かが異なるのかもしれない、しかし、現世に伝え得る限りの中核は捉えているだろうと思います。} この幽体における流動思念体の説明は、生前心霊学を研究していたフレデリック・マイヤースという学者が、他界後も探究心を持ち続け、幽界を探求し、30年経ってジェラルディン・カミンズという霊媒(これを日本では審神者とかイタコと呼ぶのでしょう)に憑依し、自動書記によって送って来た通信内容です。 私の説明は常に霊言を根拠としてそれらを整合したものです。整合され解釈されたものは私のものなので、人間のものと言えるでしょう。しかし、霊言そのものは人間のものではありません。 高級霊言を通信してきた霊には様々ありますが、私はモーリス・バーバネルを霊媒としたシルバーバーチ霊と、先述のフレデリック・マイヤース霊、浅野多慶子を霊媒とした小桜姫霊の3視点を整合すればおおむね幽実を立体視できるのではないかと思います。が、フレデリック・マイヤース霊は他界後30年の若い霊ですので、若干の問題点(動物的な人が夢幻界=幽界からすぐ再生してしまうということ)も感じますが、シルバーバーチ霊に、マイヤース霊の類魂の説明への全面肯定と思われる発言がございますので、マイヤース霊を全否定することは出来ません。問題点は言葉が色彩界から日本に渡る途中、どこかで間違って日本語になった、ということなのだろうと思われます。本当はここは再生ではなく憑依とするのが整合性が取れるのではないか、と。 シルバーバーチ霊というのは3000年前のアメリカ・インディアンですが、それは彼が使用した幽体の中継物であり、本人は霊界の上方、マイヤース霊が分類するところの光明界あたりに進んでいるものと思われます(この辺は私の想像に過ぎませんが)。もっとも、私はこれはやはり3000年前に他界したアメリカ・インディアンの魂なのだろうと思います。幽界に用意してあった幽体は本人のものなのだろうと。そうではないような言い方をされているのは、類魂の高いところへ融合してしまったから、発言が融合体のものであるということなのではないかと思います。 小桜姫霊は室町末期の三浦半島を治めていた三浦氏の嫁で、北条早雲によって城を焼かれ落ちのびた先で精神病にかかり他界した霊です。この霊は日本のものですから、日本人として眺める幽界を垣間見ることが出来ます。幽界の様相は、幽体レベルの意識体が自在に表すものです。現世の人間が「夢」と呼んでいるものです。この霊は球体になることも出来るようですから、やはり幽界(形象の世界)を卒業して霊界(光の世界)に至っています(私が解釈するところの火焔界=光焔界<マイヤース分類…あたり)が、「精神統一の修行がある」ことと「現世と神界の取り次ぎ役」の使命があるので、形象を持つ幽界上層(サマーランド~色彩界あたり)の海に座しておられます。 「天照大御神以上も存在するようだが、まぶしすぎて私には分からないのだ」 これは小桜姫霊の発言ですが、霊性が無限であることは3視点の共通認識でしょうから、矛盾が無いのです。 私はこのようにして霊言の整合解釈を根拠に、物事を述べています。 「人間は自由意思を持つ」 これはシルバーバーチ霊の発言です。それさえも潜在意識の作用だろう、これは私の発言です。 「カルマの清算」 これもシルバーバーチ霊の発言です。実は仏教発信ではございません。用語は仏教のものでしょうけど。 ついてこれていますか? おそらく「ちんぷんかんぷん」か「どうせそんな事だろうと思った(私のOKWAVE生活が既に5年にのぼることを思えば)」かのどちらかでしょう。どちらでも構いませんが、一応上述の世界からご返答申し上げます。 「完全利他」とは魂に宿る神性それ自体です。全ての魂にはそれが含まれております。神性自体は完全です。しかし、魂は完全ではありません。だから向上もあるのです。 >☆ これについては ひとことでお応えし得ます。《あなたは 神の視点を自分のものにしたのか?》 これです。つまり あなたは神なのか? 答えはNOです。私は霊言を解釈して伝えただけです。 では、エジソンを神にして見て下さい。自分の問いのあまりの滑稽さが浮き彫りになりませんでしょうか。 エジソンが神だとすると、霊言はエジソンの近親者ということです。で、私はエジソンの近親者からエジソン周辺の事情を、人づてに聞いて、あなたに漏らしただけです。エジソンの恩恵をあなたは享受しています。しかし、エジソンの恩恵のカラクリが分からないとします。それで私にエジソンについて訊いたとします。すると私はエジソンの近親者はエジソンについてこう言っていたよ、とあなたに言います。 それが何故、私がエジソンになるのでしょうか? 何故私がエジソンの能力を持っていることになるのですか? その時、エジソンの視点はどうでもよいのですか? 何でしょう、感識作用の差でしょうか。 >★ 人間の器でそれを理解することは出来ないのです  ☆ 審神者とて 人間です。 霊言は人間の言葉ではありません。より神に近づいた霊のものです。霊媒はその時入神状態か半入神状態で居眠りをしております。 神の心は全ての魂に潜在しております。それをどの程度キャッチできるかは各魂の霊性によります。 私は仰られるところの「神の心を知り得た」のではありません。霊言を整合解釈しただけです。そして、自分の中に宿る神性(善の感識)によって、これを真と感じた、ただそれだけのことです。真善美の感識作用は全ての魂が本来持っているものです。例えば、私はエジソンの能力を得たのではありません、エジソンが素晴らしいことを認めた、ただそれだけです。 さて、もはやこれだけの名前が出れば、私の出る幕はございません。あとはご自身の潜在意識からどんな恣意が湧いてくるか、ただそれだけでしょう。 最後に「日本人の協調性」について それは日本人に課せられたカルマだろうと思います。私は最初に物質次元での説明を試みました。なるべくなら、ゆっくりと、じんわりと幽実を現そうとしたから。いきなり幽実を持ってきてしまうと、胃がびっくりして受け付けないのではないか、と思い。物質次元の裏側では、「協調性」という習慣には様々なしがらみ、人間関係が発生する訳で、それを利用して成長しようとする魂が集まっている、それが日本である。利他愛ということも課題に含まれている。それがどの程度のスケールで発揮されるのか。これが実態だと思います。

bragelonne
質問者

お礼

 何で11字さん お早うございます。ご回答をありがとうございます。  そうですね。  わたしの物言いは 単純ではっきりしています。  ひろく神といったとき 神をひとがいだくことに何の問題もありません。  神のお告げといったとき こんどは 問題が生じる場合があります。  お告げを聞いたひとが その内容と神とを引き続き心にいだくことには問題ありませんが その内容をほかの人につたえる場合には――自己表現としてつたえることまでも 自由ですが―― その内容がひとの経験合理性によって理解できるものでなければ 意味が生じません。それなのに《意味が生じているではないか》と伝え続けても どうにもならない。――こういう問題が生じます。  以上が 物言いの内容です。  たとえば  ★ 私の説明は常に霊言を根拠としてそれらを整合したものです。整合され解釈されたものは私のものなので、人間のものと言えるでしょう。しかし、霊言そのものは人間のものではありません。  ☆ 《整合性のあるものとして解釈した内容》は わたしたち人間が一般に理解できるように表現されていないと 話にのぼって来ません。そういう物言いです。  《人間のものと言えるでしょう》というのは――その意味内容が ほかの人に伝わらないのならば―― その解釈した本人の主観の中でのみ言えることです。  ひとことで言えば    霊言を持つな ではなく 霊言を一般に分かるように解釈して表現せよ  です。  ★ 幽体における流動思念体の説明  ☆ は 《解釈》ではありません。霊言の解釈ではなく 霊言の現われるときの仕組みについてです。霊言を得ていない人から言えば そんなものはどうでもよいことです。霊言はその内容で勝負となります。内容がよさそうだというものでなくては だめでしょうし その前にほかの人に伝わらなければ何にもなりません。     *  いいですか。  ★ 高級霊言を通信してきた霊には様々ありますが、私はモーリス・バーバネルを霊媒としたシルバーバーチ霊と、先述のフレデリック・マイヤース霊、浅野多慶子を霊媒とした小桜姫霊の3視点を整合すればおおむね幽実を立体視できるのではないかと思います。  ☆ こんなことは どうでもよいのです。楽屋裏を見せることに いまは意味はありません。  理想概念をつねに持ちこれを目指そうとする意志のうごき このことは 一般に強迫観念にかられている場合が多いという初めの物言いを反駁されることを 俟っています。  霊言の世界に入って行ったという状態をつくることで この強迫観念を言わば上から抑えているのではないかと推し測られます。もしくは 自分では強迫観念などはないのだが 人びとに霊言の話を交えて ふつうの話をすることによって 人びとの《強迫観念――言いかえるなら この場合は 人びとの向上心や求道の心――》にうったえている。といったところでしょう。  ★ 私はこのようにして霊言の整合解釈を根拠に、物事を述べています。  ☆ とおっしゃっても その説明はすべて楽屋裏のお話です。舞台での演技表現をお示しください。      *  ★ 「人間は自由意思を持つ」  ☆ これは ヒトが生まれて来たその状態――自然本性――において 分かりやすく例示的に述べるなら おのれの心に従って思惟し行動する場合と そうではなく心にさからって振る舞う場合とがあり それらはいづれもヒトとしては 自由におこなう。というコトを言っています。  自分の心に従う場合もさからう場合も むろん社会的動物として生きる――つまり共同自治をおこなって共生する――限りで その思惟や行動は 過去の歴史やほかの人びとの思惟や行動とからみ合っていて 互いに影響を与え合うということ。これも 現実の事態です。  たぶんそこから  ★ カルマの清算  ☆ といったことが言われて来るのでしょうが これは ひとつにもし過去というものが前世のことだとすれば あり得ません。ヒトは 同じ遺伝子の存在は――双生児を除いて――二人として いないのですから。   ちなみに 《類魂》ゆえに過去ないし人類全般とかかわっていると言う  とすれば それは 経験科学としては分からないことです。   ですが それは言わゆる仮説ではありません。検証しえないことだからです。   神霊学・心霊学と言っても それは 経験科学ではありません。   おのが主観 または 仲間どうしのあいだで 表現がやり取りされるという   にとどまります。  もうひとつに あたかも《カルマの清算》といった主題を立てることが 人間の自己到来と言うべき《自己との和解および世界との和解》に必要なことだと思われるかも知れませんが それは 微妙に考え方が違うと思われます。  《われに還る あるいは わたしがわたしである》ことにとって あたかもカルマの残留物とでも言うべき世間のシガラミ(つまり そういった人間関係)から完全に自由となることは 生きているかぎり 必要ではない。からです。  つまりは 何ならこのシガラミを負ってシガラミの中にあって 《〈わたしはわたしである〉わたしがわたしする》というふうに生きればよいのですから。  すなわちこのふたつの理由で 《カルマの清算》は要りません。     *  ★ 「完全利他」とは魂に宿る神性それ自体です。全ての魂にはそれが含まれております。神性自体は完全です。しかし、魂は完全ではありません。だから向上もあるのです。  ☆ これは あいまいな表現です。もしその意を汲んで表わすなら 《人間もその心において――神の霊をやどすと想定されるなら―― その神の霊を分有しており 神の完全性につらなっていると言えるし 神なる利他のハタラキをやはり分有している》となります。そして そこからは   ★ だから向上もある  ☆ というふうに向上をみちびくのではなく そうではなく 《人間として分有した神なる利他ないし愛のハタラキを 時として 発揮することが出来たという場合もある》ということであろうし 《向上》は すでにその利他ないし愛のハタラキをやどすことにおいて すでに《わたしがわたしである》こと・すなわち人間としてはそれとして(生きる動態として過程的な)完全な状態にあることをあたえられている。となります。   このような視点から《向上》については 捉えるとよいでしょう。    *  ★ 私は仰られるところの「神の心を知り得た」のではありません。霊言を整合解釈しただけです。  ☆ いいえ。理解できる解釈をまだ聞いていません。楽屋話だけです 聞いたのは。  協調性の主題については すでに舞台における演技が始まっているところを わざわざ楽屋裏から《幽実》の世界の話をかぶせておられる。すでに神の霊としてのハタラキが〔部分的に〕人間のなすワザとしても現われているのに その仕組みは こういうことだと説明しておられる。  つまり 《完全性》や《向上》について すでに自然本性としてそなわっているというのに 楽屋裏あるいは芝居作者の台所を見せようとしておられる。そういった《観念》の世界を 人びとのあたまに叩き込んで よきにつけあしきにつけ 人びとを洗脳しようとしておられる。ひろく大雑把に言えば 《イデア》も《ブッダのさとり》も 同じようなものです。    神秘思想には ご用心あれ。  《かぶせ》の手段・道具に転用され得ます。  以上が わたしのいつわらざるお応えです。

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