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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本人の強調性は 稲作農耕という経験から来たか)

日本人の強調性は稲作農耕という経験から来たか

noname#221368の回答

noname#221368
noname#221368
回答No.15

>日本人の協調性は 稲作農耕という経験から来たか  そうですね。それもあると思いますが、ヨーロッパの歴史と比較すると、他にも思い当る事があります。#14さんの後などに、これをアップすると場違いな気もしますが、こういう視点もどうか?という事で・・・(^^;)。 1)稲作農耕  例えばフランスは今でこそ農業大国になっていますが、昔のヨーロッパは基本的に土地が貧しかったはずです。オリーブとブドウくらいしか育たなかったのですから。そこから想像するに、一般的な狩猟生活は長かったと思います。日本にもマタギがいますが、あの人達は基本的に山の民で、一種のプロフェッショナル集団です。ヨーロッパではプロでなくても狩猟民、という事になります。 2)異民族との軋轢  イギリス,フランス,スペイン,ドイツ,ギリシャ,イタリア,(一派一絡げで申し訳ないが)北欧などと代表どころを並べてみても、そのそれぞれの血統を遡れば、全部別だったと思います。出自の違う民族が、歴史的偶然でヨーロッパという地続きの大陸に混在する事になってしまった。カタロニア(スペインのバスク地方)の人達には、今でも異常にRH-の血液型が多く、他のスペイン人とは違う民族ような気がする。バスク地方の人達も、それを誇りにしてたりする。  過激に言いますが、民族が違えば「人ではない」はずです。殺したって罪にはならない。逆に「人ではない」奴らから受けた仕打ちは、一生どころか歴史的に忘れません。ボスニア,ヘルツェゴビナの血で血を洗う争いを見た時、そう思いました。もとはユーゴスラビアという一つの国内にいだのに・・・(過激派から言わせれば、そっちの方が異常だったのですが・・)。  一方、今でも日本人の起源はわかりませんが、日本ではアイヌとシャモ(和人)の対立くらいしか明確にはなっていない。どうも日本人は最初から、大和民族という自覚を持っていた気がする。そしてシャモは一方的にアイヌを排撃し、同化した。アイヌの血は出たかもしれないが、シャモの血は余り出なかった。 3)侵略  日本は侵略を受けた事が余りない。あるのは元寇くらいだ。それも歴史的偶然(神風)によって、内地に被害の及ぶ事なく退けられた。一方異民族の入り乱れるヨーロッパにおいて、侵略は日常茶飯事だった。  ここで興味あるのが、中世のヨーロッパ辺境であったイギリスです。当時の大陸(ヨーロッパ大陸)では、イギリスには蛮族しかいないと思われていた。日本の東北には蝦夷しかいないと思われていたように(北海道なんて、世界の境界外だった)。だから征夷大将軍の職もあった。  イギリスは、例えば鎖国できなかったのだろうか?。ここで重要なのが、案外ドーバー海峡の狭さかも知れない。フランス,スペインとイギリスの地理的な偶然です。ドーバー海峡の最狭部は35kmしかない。  一方日本の対馬海峡は朝鮮半島と壱岐島を挟んで約100kmの距離がある。そして日本は壱岐島に自衛隊(?)を置ける。実際に対馬藩は壱岐島に守備隊もどきを置いた。  後は「そこまでしてやる価値があるのか?」の話になる。当時の中国なら、たぶん日本を侵略できた。しかし日本にそこまでの価値は見い出せなかった。やるにしても日本に最も近い朝鮮にやらせるのが筋だ。でも属国とは言っても朝鮮は独立国だった。それなりの面倒臭い手続きを踏まなければならない・・・。日本にそこまでの価値はなかった・・・。  一方イギリスはドーバー海峡が狭いという理由から、常にフランス、スペインから侵略を受けた。地理的に可能だから両国には行ってやるだけの価値があった。だから大戦争なんかも起こり、それらの王家の血統は混ざり合い、イギリスは鎖国政策を考えなくなった。 4)そして既に仏教があった  地理的・歴史的偶然から、日本は鎖国できたと思いますが、そのとき既に仏教が浸透していた。その仏教もシルクロードを渡って来る過程で、ヒンドゥー教などと本来共有していた南方的な生臭さを、剥ぎ落とされたものだった。本当の現実は違うでしょうが、とにかく日本には不殺生の建前が浸透し、ヤオヨロズの神の伝統といっしょくたになって、ほとんど何でも受け入れるようになった気がする。  一方ヨーロッパは、基本的に異教徒を排撃するキリスト教だった。  1)~4)を眺めると、他者への攻撃性を助長する要因がほとんどない事に気づきます。一方西欧圏は、帝国主義という形で、非西欧圏に対する異常な攻撃性を持つにいたる。  江戸末期から明治に日本を訪れた来訪者の記録には、日本を桃源郷のように書いてある面がある。小泉八雲などは居心地が良すぎて、住み着いてしまった。  スペインのアルマダを破り七つの海を手に入れたイギリスは、世界の最先進国に躍り出たが、そのスラム街は糞尿まみれのままだった。一方で江戸の庶民は、世界一清潔で治安の良好な貧民街に住み、礼儀正しく性格は穏やかで、物はないが(宵越しの金は持たないからね(^^;))豊かな生活をしていた(とある)。  悲惨というイメージの強い農民一揆も、本当に悲惨なのもあったが、武士と農民の間での年貢調整を目的とした談合の色合いが強い。  そうすると興味あるのは戦国時代ですが、このとき既に宣教師の記録には、礼儀正しく微笑みを浮かべ協調性に富む涅槃の国といった記述がある。生存競争の激しかった戦国時代にも、一定のクウキがあったのでしょう。例えば戦闘は農閑期にしか行わない、という不文律があった。その中で職業軍団を育てようとした尾張の大ウツケは、確かに異能な人だったんだと思う。 >何だか 何百年かのあいだ・われわれのまわりでは 《慈悲》だとか《さとり》だとかの文句がそこら中に看板が立てられたり誰のだか知りませんがあたかも CM やコマーシャルソングとして流れて来たりしていて 人びとはどうしても《利他》だとか《無私無欲》だとかといったことを 二言目にはつぶやかなくては さげすまれるというような強迫観念になやまされて来たのではないか?  ・・・案外、正しかったりして・・・(^^;)。  日本人の攻撃性は低いと思います。自分には中国,韓国,タイ,アメリカ人の知り合いがいました。この人達の攻撃性が取り立てて高かった訳ではありません。でも日常的な何気ない言動から、日本人の攻撃性の低さを逆に感じました。  しかし攻撃性を持たない人間はいない。長年攻撃対象を持たなかった日本人は、それを社会への積極的な(攻撃的な)関わり方として、協調性に転化させたような気がします。  日本人だって十分な攻撃性は備えている。それが目覚めた時、脱亜入欧と富国強兵を掲げ、西欧圏の一等国になろうとしたが、いかんせん慣れてないので戦略が下手糞だ。下手糞故に日本の外交官の余りの誠実さに諸外国は驚いた、という記録がここにも残っているが、植民と戦争で大失態を演じる。民主党も読めてなかった。まわりを全く見ない勘違いの自慰行動を行った。  とは言え、協調性や穏やかさは失って欲しくないな、とも思います(^^;)。

bragelonne
質問者

お礼

 ううーん。まづは でぃーでぃーてぃーさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  そうですね。ここまでをわたしなりにまとめてみますと:  1. 和の協調性といった性格的な特徴を 稲作農耕にしてもひとつの要因に帰することは ちょっと行き過ぎだ。さまざまな要因を広く考えるべきである。(=ほぼみなさんの見方)。  2. 稲作農耕は 水利の都合を共同作業に負うのだ(回答No.5)けれど その水をめぐって ひとつの川の上流・中流そして下流の周辺の農村がそれぞれ 日照りがつづき渇水のときには むしろ残り少ない水をめぐって争ったようである。争いのつまりけんかの・つまり戦争の中身は すごかったし 和解してよい妥協案が採択されるまでけっこう長くかかった(回答No.2&7)。  ――この史実の示す内容は 稲作農耕=協調文化論を 手放しでは 推しがたいと思わせるものがある。  3. (1)に加えて 外国の事情との対照や 日本の置かれた地理的条件 あるいはそしてその国際関係のあり方 これらをめぐって 考察を加えてもらいました(本回答)。  わたしも専門家ではなく あやふやかも分かりませんが のべてくださった中から 検討・検証事項にあがるかと思われるところを 確認事項とともに 拾い上げてみます。さらに問い求めが深まればさいわいです。  3-1. ★ 日本人の攻撃性は低い――か?  ☆ これは そうは言っても  ★ しかし攻撃性を持たない人間はいない。  ☆ と事割りがそえてありますので問題はなく むしろこの《攻撃性にかんする恬淡さ》ゆえに 一度実際に兵士となって特によその国でたたかわなければならなかったときには いろんなことを仕出かしたかも知れない。とも書き添えられています。  明治維新からは むしろけっきょくささやかながら・そしてイヤイヤながらも 《帝国主義》の仲間に入って行った。問題が起こらないほうがおかしい。  ★ 日本人だって十分な攻撃性は備えている。それが目覚めた時、脱亜入欧と富国強兵を掲げ、西欧圏の一等国になろうとしたが、いかんせん慣れてないので戦略が下手糞だ。  ☆ だから 戦争放棄は けっこう性に合っているかも。  3-2. ただ あれですね。秀吉の半島侵攻がきわだつことになりますね。  ★ そうすると興味あるのは戦国時代ですが  ☆ これはすでに信長が 半島をも越えて中国をも望んだ その遺志を秀吉はついだだけだとか。それでは   ★ 例えば戦闘は農閑期にしか行わない、という不文律があった。その中で職業軍団を育てようとした尾張の大ウツケは、確かに異能な人だったんだと思う。  ☆ といったふうにひとりの人間の特異さに原因をもとめるべきか?  3-3. そのまた昔 半島に出かけて行かなかったわけではない。  ちょうどいま読んでいた本のひとくだりを掲げてみます。  ▼ (天智朝での国際関係) ~~~~  〔天智天皇がなくなりその殯(もがり=一定の期間おこなわれる葬儀)のときに〕郭務悰が唐皇帝の使者として筑紫に来航し新羅攻撃への支援を要求してきた・・・。総勢二千人 船四十七艘という空前の使節団によって圧力をかけられた倭王朝は 国王の喪中であることを告げ 甲冑・弓矢と大量の献上品を差し出して お引き取り願うしかなかった。しかし 新羅攻撃への協力を命ずる高宗の国書を受け取らされた以上 倭王朝としては何からの対応を取らざるを得なくなった。『日本書紀』には外交・軍事の機微は書かれていないが このように読むのが自然だろうと思われる。   ( 吉川真二:『飛鳥の都』 2011 p.122)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~   ☆ むろん 例の白村江の戦いにはすでに兵士を送って戦闘し負けています。  3-4. ★ 江戸末期から明治に日本を訪れた来訪者の記録には、日本を桃源郷のように書いてある面がある。小泉八雲などは居心地が良すぎて、住み着いてしまった。  ☆ 八雲の場合も 出雲はそうだったのですが すでに次の任務地の熊本では ソフィスティケートしていて何とも応対しきれないような西洋的ニホンジンが 一部分 いたとも言っていたと思います。  3-5. 対馬海峡とドーバー海峡との 幅の広い狭いはよく引き合いに出されるようですね。  3-6. ★ 悲惨というイメージの強い農民一揆も、本当に悲惨なのもあったが、武士と農民の間での年貢調整を目的とした談合の色合いが強い。  ☆ 人びとがいかにおとなしいか。お上を転覆しようとは思わなかった。か?  例の加賀・吉崎の一向一揆は 守護を追い出したか自分たちが擁立したかだったような。まぁ そこまでなのでしょうね。足利氏を倒そうというところまでは・まして天皇をしりぞけるというまでには・・・。  3-7. ★ 一方、今でも日本人の起源はわかりませんが、日本ではアイヌとシャモ(和人)の対立くらいしか明確にはなっていない。どうも日本人は最初から、大和民族という自覚を持っていた気がする。・・・  ☆ ここで大きな議論にまでは行けないと思います。  アイヌは 意外と――つまりその居住範囲は最大限では 大和というまでの見方もあるにもかかわらず――その跡を残していないように思われます。アイヌも 同じことにはこだわらない性格で 水に流すという文化を持っているのでしょうか。  南方・マレーシャなどのオーストロネシア語族と 北方・朝鮮半島からのアルタイ語族 そして新説としてはインドのドラヰダ語族 これらの重層的な成り立ちではないかと。  発音の傾向は 南方人。文法は ドラヰダ(ないしタミル)語。または 朝鮮語などのアルタイ語。(いづれも よく似ている)。     *  ★ とは言え、協調性や穏やかさは失って欲しくないな、とも思います(^^;)。

bragelonne
質問者

補足

 おぎないですが  バスクとカタローニャとは別です  と ほかの人からの指摘を受ける前に 質問者のほうから。

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