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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本人の強調性は 稲作農耕という経験から来たか)

日本人の強調性は稲作農耕という経験から来たか

noname#189751の回答

noname#189751
noname#189751
回答No.9

一応ですが、道徳観念について感じるままに話しておきます。 日本人の心の底流みたいなものです。 自らを捨てて 他を利する という義の精神 長い封建社会の影響があるような気がします。 いい意味で日本人に染みついた観念かもしれない 「義」というものを崇高な理念として長く扱ってきたのだと思います。 つまり、封建社会の表の美しさを受け継ぐべきものとして扱ってきたという事です。 これは、日本独自のものではないと思うのですが 古来の精神の伝統として、見えざる形で受け継がれてきたと見た方がよさそうです。 この義の精神というもの 他を利する という事において 無私無欲の協調性の基になってきた事には違いないが 個人の自由を束縛する事にもなりかねない 大義という言葉が示すように 人の命に優先する、全体の利益や名誉が重んじられてしまう場合が生じてしまう まあ 手っ取り早くいえば 武士道、忠臣蔵の世界です。 それを 悪いとは思わないが 観念そのものよりも そうした観念が受け継がれてきたところに、日本的なものがあるような気がします。 精神的な美しさを持ち続けようとする人間性というか、そういった傾向が強いのでしょう。 一個人の自由さよりも全体を重んじる姿勢が失われないという事に精神の美しさを感じた、或いは、感じ続けるというところに日本人らしさがあるのかもしれません。 いずれにせよ、日本人の協調性は義の精神が基になっていると見ていいと思います。 仏教における利他行もありますが、義の精神ほどには浸透しきってはいないと思います。 現代においても、義の精神は生き続けている これがどこへ向かうのかは、日本人の精神的指向性の変化という、普遍性に照らした結果が明らかにしてくれるように思います。 以上です。 (Bさん ・ ・ ちょっと真面目になりすぎちゃったよ ・ ・ また )

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ぢゃあ 嫌味たらたら いちゃもんをつけてみましょう。  ★ 義  ☆ というのは少しでも具体的に言えば《善》ということだと考えられますが これはどこまで行っても その人の《主観》の問題です。  ★ 自らを捨てて 他を利する  ☆ 《自らを捨てる》はまだしも 《他を利する》というのも 主観の問題です。  おのおの《わたし》が考える《利し方》になります。  考えてもみてください。  日照りがつづいて水が少なくなって来たというとき 祈祷師を呼んで雨乞いの儀式をやらせるというのも そうしようとする人の頭の中では 他を利し人びとのためになると思ってのことです。  それでも効かないとなれば 今度はムラ一番の美人を呼び出して来て おまえが この儀式のためにこれから断食をおこなえと言って それとしての生け贄にすることが始まります。  これもそれもみな 《人を利する》ための《義》だというのが その人間の《まことなるこころ》であるのです。まさに  ★ 無私無欲  ☆ なる義の心であり ムラの人びとのための《協調性》として自己表現するものだとなります。  すなわち・つまり  ★ 個人の自由を束縛する事にもなりかねない  ☆ ということの実際は 精神的な心の萎縮といったことであるよりも このようなありがた迷惑ということでもあると考えられるのではないでしょうか。  これもそれも  ★ 一個人の自由さよりも全体を重んじる姿勢が失われないという事に精神の美しさを感じた、或いは、感じ続けるというところに日本人らしさがあるのかもしれません。  ☆ というように皆が きれいに洗脳されている。こう考えます。  お上は 神聖にして侵すべからざる神であるというオシエであり宗教です。  つまり《全体〔を重んじる〕》というのは 実質的には このお上によって成っていると考えられている社会的秩序のことであり その無謬性の神話にもとづき・実際には社会力学がはたらくところの日本クウキ教のことです。  聖職者はおらずそのヒエラルキアなどは むしろないというところに その絶妙な成り立ちがあります。  ひとがいかに哲学したとしても この現実の社会力学がクウキの磁場としてのように作用する社会にあっては その形而上学ぶりは 人びとにとっては阿呆らしくしか見えない。  このようにひとの心を腐らせて ブディズムの諦観というサトリに達せよと言っており これを成就したなら 一人前のニホンジンの出来上がりなわけです。  学問にこころざしたい人は おのづと自然科学の方面へ寄って行くということになるようです。クウキの磁場には触れずに じっさいの電磁場さえ扱っておればよいわけですから。  そうして 文化勲章が俟っているというわけです。  これを称して  ★ 精神的な美しさを持ち続けようとする人間性というか、そういった傾向が強いのでしょう。  ☆ というのですから 人びとは まさに千両役者である。  モノの力学にだけたずさわっていればよいわけであり 社会力学上のカラクリもシガラミも乗り越えて 《自分を捨てて 他を利する義》に生きることの何と言ううつくしさよ。これを 悠久の大義として たたえ続けるという人びとのけなげな努力。すなわちあらためて:  ★ 一個人の自由さよりも全体を重んじる姿勢が失われないという事に精神の美しさを感じた、或いは、感じ続けるというところに日本人らしさがあるのかもしれません。

bragelonne
質問者

補足

 表題が 《協調性》ではなく 《強調性》となっていました。  いま気がついた。

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