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梅原猛氏は異端ですか?

日比野 暉彦(@bragelonne)の回答

回答No.9

 ここは 出しゃばります。  ▲ (ヰキぺ:梅原猛) ~~~  § 3 人物  また、熱烈な多神教優位論者、反一神教主義者である。多神教は一神教より本質的に『寛容であり優れている』と主張しており、続けて多神教が主流である日本文化の優越性を説いている。  ~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 《多神教》というひとつの宗教の体系が それ自体として《一神教》であるということが分かっていません。  《多神教の優位》という規定をした場合 即座にその《多神教》は それ自体としてひとつの《一神教》というかたちで自己を表わしたということ。これを知らない。  もう少し述べますが 多神教は たとえばクリスチアニズムやイスラームなどの《一神教》の神をも 自分の――多神の中に――取り込むのであって それは《寛容》であることを示しているという反論が出て来かねないからです。  つまりそうであっても《多神教体系》がひとつの《一神教》であることに変わりありません。  なぜなら 特には《日本教》と言えば分かりやすいはずですが それは 《ヤハヱ―もキリストもアッラーフも アミターバもマハーワイロ―チャナもすべて 八百万の神々の中のそれぞれひとはしらである》と言って包み込んでいるのだとした場合 そのように全体としてひとつの体系を持った《一神教》としての宗教である。  その神々の体系は 中身が変遷するにしても全体の枠組みは 変わることなく《ひとつ》であり しかも《ただひとつしかない》と見なされているからです。  つまり 日本教という一神教は たとえばクリスチアニズムという一神教と 互いにまったく同等・対等に向き合っている。こうだからです。  自由ですが それを《多神教》と規定して ほかの宗教とは違うと言ってみても何の意味もないということ。ましてや 互いに優劣をきそうなどというのは あきれてものが言えなくなります。神に――神がほんとうの神であるなら たとえ名が違っていても―― 優劣があるはずがありません。  このとき《多神教優位論》なる主張は 哲学以前だからです。  《世俗か高尚か》の問題とは関係ありません。  もっとも《多神教が一神教よりもすぐれている》という見方は 《世俗のおっちゃんたちがいだきがちな見方だ》とすれば 《人間としての純粋な好奇心に基づき》それを自分の意見として採り入れたのでしょう。それだって 学問であるとどうしても言いたかったのでしょうか。

PAPATIN329
質問者

お礼

私は多神教でも一神教でもないですから解りませんです。 神頼みすることはあるんですけどね、 いつも同じ神様でもいいし、その都度違う神様でもいいような気がします。 と言うか神様は人間が勝手に作ったのだからなんでもいいような気がします。 それを、こっちのがあっちより優れているとか言っちゃいけないと思います。 どうもありがとうございました。

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