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梅原猛氏は異端ですか?

bakanskyの回答

  • bakansky
  • ベストアンサー率48% (3502/7245)
回答No.3

もう古い話になりますが、あの 「法隆寺論」 は読んだことがあります。着眼点が、それまで聞いたこともないものでした。面白いと感じました。 「その世界の主流なんですか?」 という問いには、「主流なら安心だが、そうでないなら読むのはやめよう」 みたいなものを感じます (違っているかもしれませんが ・・・)。 ニーチェという19世紀末の思想家がいましたが、彼などははっきりと 「異端」 の思想家だといえそうです。何しろ、それまでの西洋の文化の基礎となったキリスト教を完全に否定した人だからです。それまでの西洋の歴史も文化も、根本的な部分にはキリスト教があって、あらゆるものにキリスト教的な要素が浸透している。キリスト教は賤民的な宗教であり、人間が本来持っている生き生きとした生命力を奪ってしまった、とみなします。ヨーロッパの文化全体を否定してしまうのですから、ものすごいです。カントもヘーゲルもショーペンハウエルも、さらにはプラトンからソクラテスまでも攻撃の対象になります。ある意味で、西洋の伝統的な哲学は、ニーチェまでで打ち止めになった感があります。彼の後の哲学は、人間そのものの実存を問う実存主義哲学 (たとえば20世紀最大の哲学者といえばハイデガーですが、彼の哲学も実存主義的なものといえるのでしょう) になりました。 そのように哲学者とは、常に疑いを抱く者です。既成の権威だとか何だとかにとらわれない。必要とあらば100人中99人が正しいと認めるものにすら反旗を翻す者です。 梅原猛さんは、歴史を専攻した学者ではなく、大学で歴史を教えて糊口を得ている人でもないので、学会の内部で了解されている枠組みを飛び越えることが出来るわけです。学者であっても、たとえばこれも既に過去の話になってしまいましたが、高名な国語学者が、日本語の起源をドラヴィダ語である、と唱えて市井の人までが首を傾げたことがありました。見方としては何でもあり得るけれども、それが学会で承認されるものになるかどうかは別な問題であるように見えます。 西洋でも地動説なんていうものは 異端 であったわけです。 梅原さんは、おそらく、歴史の中に人間的な要素を取り込んで見てみたらどう見えるか、ということに興味がおありなんじゃないでしょうか。ハインリヒ・シュリーマンだって、何を絵空事みたいなことを言ってるんだと言われかねないことを、実際に発掘することで実証してみせたことに意味があるでしょう (実際にはトロイの遺跡ではなかったにしろ、古代の遺跡がホメーロスの歌った場所に実在したことは大きいです)。 歴史は科学的な手法で研究することもできるし、必要でもありますが、それだけでは実証しきれない部分が多いわけです。こういう見方も出来るんじゃないか、というのを、いろいろな証拠を持ちだして論じるのも、それはそれで面白いことだと思います。 「その世界の」 と云われる 「その世界」 が日本の 「学会」 というものを指しているのであれば、おそらくは梅原さんは 異端 といえるのではないだろうかと思います。そう呼ばれてもご本人は、特に不名誉であるとは思われないのではないでしょうか。

PAPATIN329
質問者

お礼

その世界の→その道の 主流→大勢と比較したらどっち? のような表現が良かったと思います。 異端です、と言う答えを期待していたのかも知れません。 異端の考古学者稗田礼二郎みたいな。(妖怪ハンターと言う漫画です) ともかく着眼点がほかの人と違うと思いました。 どうもありがとうございました。

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