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天皇制についての論議
- 改憲論議をするのであれば、天皇制廃止についても論議すべきではないか
- 歴史は過去の事実の積み重ねにすぎず、その事実を尊重しない自由や権利は私たちにあるから
- 天皇という象徴の立場を置く合理的理由はないと考える
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ANo.20です。 >回答者さんの意見で私が一番気になった点としては、「相対的幸福度」という概念が一般的に受け入れられるかどうかという点です。 ボキャブラリ不足で上手い言葉が見つからなかったのでこういう言い方になりましたが、確かにこなれていない表現でした。大いに誤解を招きそうです。 表現が難しいのですが、単純に言えばA国とB国のどちらの国民が“より幸福か”と言うことです。一般化が難しい概念です。良い靴かどうかは履き潰してみないと分からないと言いますが、この幸福度の比較も“履き潰す”、つまり歴史になってみないと分からないと言うことです。残念ながらまさにその歴史の中で生きている国民にはそれが見えていません。悪く言えば後講釈です。それ故、世界中の国民と政治家、支配者が誤りを繰り返すのでしょう。進歩が遅々として進まないのでしょう。 それでも今現在の国のあり方が国民にとって相対的に、つまり他の国に較べてより幸福かどうかは推し量るすべはあるでしょう。それを助けるのは歴史観に裏付けられた理性でしょう。政治家に最も必要な資質です。 こういう観点で天皇制を考える場合、継続するのと廃止するのとどちらが国民の相対的幸福につながるかが大事です。どちらが国益、つまり国民の利益に合致するかです。今の天皇制に関する議論には、この点についての冷静な思考、判断が欠けていて、平等原則のような情緒に流れがちなことを危惧します。いくら憲法に書かれていても、「平等」は現実ではなく抽象的理念に過ぎないことを忘れがちです。国家運営は現実です。現実にそぐわない憲法を金科玉条に扱うのは、国家にとって問題があるでしょう。憲法は国家国民より上位にあるものではありません。国家運営上の便宜にしか過ぎません。
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- osakajapan2001
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お礼 回答をいただきましたので、私見を以下に記載します。 (1)「先にあったものが、後から来たものに道を譲ることはあっては成らないのです」とありますが、これは回答者さん自身のドグマです。回答者さんと同じような思想信条を持っている人には通用しますが、それ以外の人には通用しません。 これはあたかもイスラム教徒が「豚を食べてはいけない」と非イスラム教徒に言うようなものです。もし、その主張をするのであれば、「コーランに記載されているから」ではなく、「豚は不衛生で生で食べると食中毒もおこすから」といったような論理の工夫が必要だと考えます。 (2)着物は、明治期に洋服が広く紹介される前から着られた衣服であることから、古いと指摘しましたが、誤った用法でしょうか。もちろん、成人式では今でも着物は多数の人に愛着されていますが、回答者さんが日常バスや電車に乗った場合、着物をきた人ばかりですか。 (3)天皇を現代風の解釈をすれば、論点として男女平等の観点を皇室に持ち込むべきか、すなわち女帝を認めるべきかなどが一つの論点としてあげられます。 (4)神社仏閣の基礎となる、神道や仏教にしても、現代的な論点として、中絶を認めるか否か、クローン人間などの生命倫理の問題、ゲイ・レズビアンの結婚の是非、グローバル化などがあげられます。 (5)、(3)、(4)をふまえれば、時代の要請として「後から来たものに道を譲る」余地がありうるでしょう。 (6)着物、古典文学、天皇、神社仏閣、いずれも日本文化の要素です。人によって序列はあるでしょうが、それぞれがパーツであることには変わりがありません。 幼稚で子供な人にもわかるように「論理的に丁寧に」論述してください。大人である回答者さんに、論理的な回答とは何かをぜひともご教授願いたいところです。 **************************************************************************** 再度回答を致します (1)に関しては思想信条の無い人間とは元々議論は不可能なのです (2)呉服か洋服かは単なる表面上の形式論でであり問題の根本ではありえない だから好みにより取替えが出来るのです 天皇の地位は好みの問題ではありません (3)に関しては天皇の現代的解釈とは全く言えません 皇室と天皇の現代的解釈とは開かれているのか 開かれていないのか という事に尽きます (4)の件は論外です 今時の神社仏閣が 今風 を取りこもうとしているに過ぎず 神社仏閣の持つ普遍性は全く維持されます 神社仏閣の存在意義は普遍であると言う事を見落としています (5)に関しても論外です 貴方の偏った考え方に過ぎない 現代的なアレンジが加わったとしても それ自体が変化した事には全くなり得ない (6)それぞれがパーツであると言う言葉の意味が理解出来ません それぞれは独立し存在しているものの姿そのものです 以上子供でも判るように解説致しましたが 貴方は理解出来ないと申し上げるよりは 他人の論理的体系に同意したくないだけの事です それでは高度に洗練された思考は身には付かない事でしょう 御健闘を祈りますが 私はこれ以上は御遠慮申し上げます 意味が無いからです 貴方はああ言えば こう言い返してくるからですが 論理が自分勝手で稚拙すぎます
お礼
回答いただきありがとうございます。回答者さんが私とのこれ以上の議論を辞退されていますので、本回答に対するコメントは今回はしません。読者の皆様は、もし私の立場ならばどのようなつっこみをするであろうか想像してみてください。読者の皆様に本回答の評価をゆだねます。
- dragon-man
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回答者No.15です。 (1)現在の日本は文明度の高い国なのか否か。高い国であれば、フランス同様に社会的混乱が限定的ではないか。そうだとすると、天皇制を改廃することが可能な国ではないか。 フランスと同じように、もしかするとフランス以上に文明度が高い国でしょう。ですから天皇制を廃止しても、フランス革命のように流血を伴うような社会の大混乱は起きない可能性は高いです。しかし、可能かどうかと、それが国益に合うかどうかどうかは別問題です。天皇制を廃止して生ずるそれ以上の国益を想像できません。国益とは国民の利益です。天皇制を廃止したら、大混乱に陥らないまでも、国民の一体感は失われ、より脆弱な社会になる可能性が高いです。そう言うデメリットを押してまで天皇制を廃止する必要はありません。事例を挙げるなら、明治維新と昭和20年の敗戦です。他の国だったら必然的に起きたであろう大混乱を未然に防げたのは、天皇を中心とする国民の一体感だったと思います。このメリットより大きなメリットを天皇制廃止で得られるとは思いません。 (2)国民の相対的幸福度の具体的指標があるとしたらどの指標をさしているのか。それとも一般的な概念として相対的幸福度という言葉を提示したのか。一般的概念としたら、何に対する相対化なのか。 具体的指標は難しいですね。国民が相対的に幸福であったかどうかは歴史でしか表明できません。どんな世の中でもその時々には必ず不幸、、不満を感じる人がいます。今の日本だってそうでしょう。 (3)(象徴)天皇制と相対的幸福度との関連性 これも歴史でしか証明できません。今現在でも天皇制に不満を持っている人はいるし、天皇制故に不幸と感じる人もいるでしょう。しかし歴史を振り返れば、あの時天皇がおられたので日本という国が秩序だって安定していたとしか考えられない事実がたくさんあります。20年8月15日に天皇がおられなかったら、帝国陸海軍は抵抗をやめず、本土は悲惨な戦場になっていたでしょう。今の日本はなかったでしょう。 (4)国民の資質として、特にどのような点が重要であるか。国民の資質と文明度が関連するとして、その点が、(象徴)天皇制とどのような関連性を有するのか。((1)と関連した指摘ですが・・。) 相対的に国民の知性、知力が高いことでしょうね。江戸時代の日本人の識字率が、ヨーロッパなどより高かったことはよく知られています。字を読み書きできることは、それだけ知性、知力が高かったことを意味します。日本に天皇制が有効なのは、それを受け入れる国民の知性が高いからです。そうでない非文明国では単なる支配者、偶像で終わるでしょう。 (5)「合理的」「合目的」に国民の幸福度をあげましたが、ポピュリズムとの相違点 いつの時代もポピュリズムは非合理的で非合目的です。どういう国家運営をしたいか、哲学がありません。知性の高い国民なら見抜けます。その点、日本人には少し弱いところがあります。この前の政権交代はその典型でした。
お礼
丁寧にご回答いただきありがとうございました。 回答者さんの意見で私が一番気になった点としては、「相対的幸福度」という概念が一般的に受け入れられるかどうかという点です。もし、回答者さんの身近に、分野を問いませんので大学の教授と話す機会がございましたら、ぜひともその人に「相対的幸福度」という概念の是非についてコメントをいただいてみてください。残念ながら、私のような素人目から見ても、どうもこの概念が脆弱としか思えないのです。 (理由) (1)相対的幸福度という概念の世間一般的認知が高いとはいえない。 (2)相対的幸福度の裏付けが歴史とありますが、もしそうであるならば、一つの歴史的事実につきある幸福度の数値(幸福度)を抽出し、複数の歴史的事実から複数の幸福度の数値を抽出し、そこからパラメーター化するプロセスが必要ではないでしょうか。もしそのような客観化のプロセスが難しいのであれば、相対化といってもきわめて主観的な概念にとどまり、人によって相対的幸福度の解釈が異なることになるから、仮に相対的幸福度という概念が一般化されたとしても、議論の擦れ違いの原因となるので、議論の根拠として使用が困難な概念ではないか。 (3)「単にある歴史的事実をピックアップして、天皇制があった場合はAの結論だったが、天皇制がなかった場合はBの結論になったであろう。Bの結論よりAの結論の方が国益にかない、相対的幸福度が高い。」いった論調で相対的幸福度という言葉を使われているような気がしますが、もしそうだとすると、この論調で問題となるのは、天皇制がなかった場合どうなるのかという仮想的な結果を想定して比較しており、実証的な裏付けが乏しい点です。 以上、私が思いつく「相対的幸福度」という概念の問題点をあげましたが、発想自体は面白いと思いました。 ありがとうございます。その他の論点の是非は読者のみなさんにゆだねます。
- osakajapan2001
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※のコメントからは、「日本では初めにあったもの、先にあったものが正しいのです。」とありますが、そう言い切れるでしょうか?回答者さんの身の回りで、ずっと昔から続いているものばかりですか。なぜ、普段着で着物を着なくなってきたのでしょうか。時代の移り変わりは現象として認めなければならないと思います。 (6)もっとも、古くからあるものは大切にしなければならないという気持ち自体はわからなくもないです。古典文学などの価値は認めます。 (7)だからといって、 古くからあるものに対して現代人が現代の価値観に基づいて批判してはいけないことにならないと思います。文学などと異なり、天皇制といった ******************************* はっきりと言い切れます 先にあったものが 後から来たものに道を譲る事はあっては成らないのです これは社会がそれを認めない事でしょう 貴方の論法では着物は古く今の普段着は新しいとか 誰が決めたのですか???古めかしい着物で成人式ですか???ばかばかしい これで貴方が幼稚で子供だと判断できました 貴方の自分勝手は良くても貴方は社会を代表している訳ではありません 貴方に答えて頂きたい 天皇と神社仏閣を現代風の解釈を加えれば如何なる回答が出てくるのか????? 着物と古典文学と天皇や神社仏閣を同列視している様では子供染みすぎます では回答を待ちます
お礼
回答をいただきましたので、私見を以下に記載します。 (1)「先にあったものが、後から来たものに道を譲ることはあっては成らないのです」とありますが、これは回答者さん自身のドグマです。回答者さんと同じような思想信条を持っている人には通用しますが、それ以外の人には通用しません。 これはあたかもイスラム教徒が「豚を食べてはいけない」と非イスラム教徒に言うようなものです。もし、その主張をするのであれば、「コーランに記載されているから」ではなく、「豚は不衛生で生で食べると食中毒もおこすから」といったような論理の工夫が必要だと考えます。 (2)着物は、明治期に洋服が広く紹介される前から着られた衣服であることから、古いと指摘しましたが、誤った用法でしょうか。もちろん、成人式では今でも着物は多数の人に愛着されていますが、回答者さんが日常バスや電車に乗った場合、着物をきた人ばかりですか。 (3)天皇を現代風の解釈をすれば、論点として男女平等の観点を皇室に持ち込むべきか、すなわち女帝を認めるべきかなどが一つの論点としてあげられます。 (4)神社仏閣の基礎となる、神道や仏教にしても、現代的な論点として、中絶を認めるか否か、クローン人間などの生命倫理の問題、ゲイ・レズビアンの結婚の是非、グローバル化などがあげられます。 (5)、(3)、(4)をふまえれば、時代の要請として「後から来たものに道を譲る」余地がありうるでしょう。 (6)着物、古典文学、天皇、神社仏閣、いずれも日本文化の要素です。人によって序列はあるでしょうが、それぞれがパーツであることには変わりがありません。 幼稚で子供な人にもわかるように「論理的に丁寧に」論述してください。大人である回答者さんに、論理的な回答とは何かをぜひともご教授願いたいところです。
- Xiong Qing Ying(@xiongqin)
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No-17さん 再三読んでみましたが、質問との関連性に伴う主張がわからない。 No-16さん > 国家運営の正当性を考えるに当たって、日本の天皇制はなんといっても最高レベルであることは間違いないでしょう。1500年ほど続く王朝であり、ひとつの王朝がこれだけ続いているのはほかに例を見ません。 > 私は質問者様とはまったく逆で「人間の本質的平等を普遍的原理として優位に立たせる」のはかえって危険であり、その国の内情にあった政治的正当性と歴史的正統性を重視することこそが、各国家の安定に役立つと考えています。 No-15 まとめが欲しい。 No-14 > 自由平等と言う概念が存在したと仮定した場合でも > 天皇を議論する根拠とはならない。 確かに、しかし説得力に欠ける。 No-8さん、 こと細かく説明されており、感服いたします。 さて、私の意見は非常に端的です。 人間は能力と欲望を抱けば、全ての征服を夢見る。 中国の歴史を視ればそれが理解できると思います。 但し、中国の多くの庶民は未だに歴史人物を崇める人達も多い。 現在の日本の天皇制は、日本国家を自由に制御することはできない。 そこに重要な意味合いがある。 弱い庶民は働く中に、何か大きな心の拠りどころがなくてはならない。それは統一したグループ性を継続させる為に必要である。 現在は少ないが、昔はヤクザでも天皇を意識し、悪だぐみも一つの秩序の中で行われていた。 いわば天皇がそう云うのであれば、と。 戦争、資源が無い日本が、何故、世界を荒らしまわることができたのか? それは大半の庶民が天皇を意識していたからに他ならない。 天皇は、一切の戦争への指示はしていないがその力は大きい。 多くの玉砕を強いられた場所でも、躊躇なく散っていった多くの人達は天皇を意識し死の恐怖感から開放されてきた。 天皇はあなたにとって重要では無いかもしれない。 皆さんのように、論理観で検証すれば、庶民/農民も理屈には勝てない、しかし要には十分なものがあり、天皇がいなかったならば右往左往して纏まりは付かなくなるでしょう。 多分、県境が強くなる。 私自身、天皇がいなければ、国家として省みることにはならない。何故ならば天皇がいなければ、その代表的な観賞は政治しかない。 現在の政治を見ても、東條英機の政治を視ても、国家を誇れるものは何も無いからであり、天皇がいなければ国家を捨てることにもなるでしょう。 天皇には実績は必要としない、だが、庶民/農民には重要な存在である。 あなたは家族共々生きて行く力があれば、あるいは天皇は必要ないかもしれない。 政治社会に不具合が生じれば、庶民の頼れるものは無くなる。 日本の天皇には日本国のみでなく、世界を優しい眼で視て頂ければ、全ての日本人も同様にして、激しい世界情勢の中でも働くことができる。 天皇の必要性を語るには、それ相応の指導的な力が必要であり、国家民衆の全てを納得させる要となる構造が必要と思います。但し、その指導制は一時的なものであってはならない。未来永劫に不具合のないものでなければ。選挙で選出するのであれば、ポルノ女優が天皇に選ばれる可能性も否定できない。 ポルノ女性が悪いといった意味では無い。秩序が保たれなくなると云った意味です。 返信は必要有りません、このことについては継続して語る意思は私にはないからです。 なぜならば、個々の主張として発言し、あなたに理解を求める事には困難があると考えるからで、突き放す意味ではありません。 参考になりませんでしたら、ご容赦ねがいます。
お礼
返信不要とのことですので、私自身はコメントしません。ただ、指摘された回答者No.の方で、この回答者さんの意見に対する意見があれば、コメントしてください。この方の回答の価値はこのページを見られた読者自身にゆだねます。
- xx x(@hateha2_goo)
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 「倫理」とは、神を信じる保守主義者や伝統的宗教が科学と新しい技術を 怖がらせることによって、人類を無知と蒙昧の中に囲い込もうとする最後の あがきにすぎません。 私たちの祖先が歴史と呼ぶものには、輝かしいところは何もなく、それ は過ちと非寛容と暴力の寄せ集めでしかありません。 100%自由な新しい技術と科学を擁護しましょう。それは人類を神話、 昔からある恐れ、病気、死、そして労働から解放するのです。 Rael ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ >> なぜなら、歴史は > _私たちの祖先が歴史と呼ぶものには、輝かしいところは何もなく、それは過ちと非寛容と暴力の寄せ集めでしかありません_ とありますが、歴史に登場する人物は、法とか 平等 には、原始的手抜かりがあり、ケダモノ的紛争/戦争の歯止とはならず、双方、神を担いで単なる強盗殺人に及んだ、それがあるのではないでしょうか? ローマ法王にしても、諸国の王、天皇にしても、野獣的言い争いから戦争に至る過程に、何ら人道的アクセスをすることが出来なかったしなかったのではないでしょうか? その積み重ねなのでしょう。変だおかしいと考える人間は、多数に及ぶのでは? >> 憲法14条をでもあるように、人間は本質的に平等であるわけで > 生物学的に、花と花粉という意味で、確かに平等なのではないでしょうか? しかし、それに何千年に及ぶ家系系統の記述があるとしても、それは原始的手抜かり又そのケダモノに襲われ食われるのではないか? の紛争歴史でもあり、家系系統での統治は、自由でも平等でも無い、となるのでは? 延々と記述されてきた_人間の血統書類を否定するわけではないですが(学術的には重要かも)、日本は「ユダヤの失われし10支族」の末裔 とする縄文文化が覆りそうな論説もあるし、人類の起源はアフリカにあるとする遺伝子学的科学論もあったりする。 人間の本質的平等を普遍的原理とするには、人類アフリカ起源説の年代にまで遡る 法_法の整備 が必要なのではないでしょうか? _100%自由な新しい技術と科学を擁護しましょう_ とありますが、科学を擁護する世界社会が、盗賊山賊海賊等のケダモノ行為を抑制し、官僚等権力を笠に着て人々を搾取の対象とする非道の原始倫理を打破するのではないでしょうか。 それが、憲法第1章を第1章歴史とし、日本と世界を新たな歴史と文化生活に誘う事も可能ではないでしょうか? 『 人類を今も進歩させ、また常に進歩させてきた唯一の人びとに、権力を与える時である。それは、統治している時に、自分たちに何ができるかを示す機会をすべて持っていた、筋骨たくましい乱暴者や有産者、専門知識人、政治家、軍人のいずれでもない。そうではなくて、それは、自分たちに何ができるかを示す機会を全く持つことができずにきた唯一の人びと、すなわち天才たちである! _ Rael _ 』ともある、 憲法第1章天才 も有り得るかも?
お礼
コメントありがとうございます。ただ、独特の言い回しをされているので私には少しわかりにくかったです。 誤読だとしたらすみませんが、ポイントとしては、 (1)倫理・歴史を否定し、科学技術を絶対視する。 (2)各種の法(平等原則などの法原則も含む)や国王などの権威では戦争の惨禍をふせげなかった。 (3)平等原則をいうのであれば、科学的裏付けとして人類アフリカ起源説まで触れるべき。 (4)科学技術を踏まえた「天才」による政治が望ましい。(ただし、「天才」は専門知識人を意味しない)。 といったところでしょうか。 では、「天才」による政治がはたして妥当でしょうか。私は「天才」を理性的に判断する人々と文脈から読み取りました。しかし、「天才」による政治は、非科学的な見解を許容しない点で、人々の多様性を認めない見解のように思えるのです。いわゆる選民思想に近い点があり、私は反対の立場です。 また、この回答は共産主義のコメントのような気がします。私は、天皇制を維持するか廃止するかの価値判断にあたって、平等原則を天皇の歴史・伝統に優位させる価値観を提示したのですが、社会生活における倫理・歴史観を否定したわけではないので、この点でこの回答と異なります。 ユニークな意見だと思いますが、人々の価値観の多様性を認めない点や、「天才」による政治がはたして、戦争の惨禍をふせげるのか実証されていない点で、私はこの見解を支持しません。
- phj
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他の方へのお礼ですが、ちょうど私の論点と被るので引用します。 >(6)歴史がないのでうまくいかない国はたくさんあります。アメリカや韓国、中国などです。:これは、(1)の指摘と通じるところですが、もう少し丁寧に論証してほしい点です。これらの国の国家運営がうまくいかないというのであれば、まずなにをもって国家運営ができているのか否かという点、国家運営ができていない原因として複数の要因がおそらく想定されますが、その中でなぜ優先度の高い原因として立憲民主主義国家でないことがあげられるのか、指摘してほしいです。 現在の国家運営を見ると、立憲君主制だからうまくいくとはかぎりません。共和制民主主義でもうまく行っている国はたくさんあります。 しかし、私は現在の日本において天皇制を廃止すべきではないと考えます。 まず、歴史的にうまく機能している国家体制の方式を「ひとつの時代意識で変革すべきではない」と考えます。 例を挙げると、たとえばフランス革命は、王族の政治的失敗により庶民が貧困に陥ったため、王制の廃止(革命)に至ったものですが、実際にフランス革命後も政治的に安定せず、第一共和制-第一帝政-王政復古-再革命(2月革命)による第二共和制-第二帝政-第三共和制、と80年ほど動乱期が続きました。 その間、国内は混乱しそのしわ寄せは一番最下層の庶民を犠牲にしたのはいうまでもありません。 つまり、国体の変化というのは、非常に多くの混乱を生むのです。 この点において、鎌倉幕府以降、天皇が勅許によってその時代にあった政治組織に政府を委託するという方法は、犠牲が少なく比較的安定した状態で国内が次の政治体制に移れる利点があります。 これはまさに歴史的事実の積み上げであって、これを「権威」と呼びこの権威の源を「正当性」と呼ぶのですが、国家運営にはまさに「正当性」が重要なのです。 上記で引用した質問者様の文章の中に「国家運営ができていない原因」という言葉が出てきます。国家運営がうまく行かない理由の根本的な原因は、運営している組織に国民が「正当性」を見出せない場合が多いからです。 国家運営の正当性を考えるに当たって、日本の天皇制はなんといっても最高レベルであることは間違いないでしょう。1500年ほど続く王朝であり、ひとつの王朝がこれだけ続いているのはほかに例を見ません。 逆に国家運営の正当性がない、またはそれを失ったために国内が混乱する国家はいくらでも挙げることができます。 最近の国家で特にひどいのはカンポジアを一時期掌握したポルポト派(クメールルージュ)でしょう。当時は世界中で共産主義と資本主義(民主主義)が国の政権を争っていた次代ですが、カンボジアを支配したクメールルージュは、国家の正当性に疑問を投げかける知識人を次々と粛清し、無知な庶民だけにして共産化を進めようとしました。 結局、内戦になり戦争の終わった隣のベトナムからの外圧(という名の侵略)もあり、ポルポト派は失脚し、ベトナムの影響を受けたヘンサムリン政権がカンボジアを掌握します。しかし、アメリカやタイ・中国などはベトナムの傀儡であるヘンサムリンを支持せず、ポルポトに援助を続けたため、内戦は長引きました。 その結果、1955年のカンボジア国王退位から2004年のノロドム・シハモニ国王の即位まで、カンボジアの政治は安定せず、その間、庶民は非常に苦しい生活を余儀なくされたのです。 また、共産国家でも共和制国家でも封建制から見れば民主主義国家だといえますので、このカンボジアほど各政治団体の主張が入り乱れ、内戦で国家としての機能が損なわれると、民主的な政治制度での国家を復活できず、権威と正当性を兼ね備えた王制が復古する、ということが現代も行なわれる、というのが人間の理性の限界を表していると思います。 このカンボジアの王制復古だけでなく、スペインでも1975年に王政復古し、その後の軍事クーデターでも王制を支持した多くの軍人により、内戦を防いでいます。 また、王政復古ではありませんが、タイは第2次世界大戦時も独立した王国であったのに、クーデターや内戦のような事態が多く、1992年には5月革命、2006年には軍事クーデター、2010年にはアシッド派とタクシン派の衝突などが起き、そのたびに国王が事態の収拾にあたっています。 タイの国王の権威が強く、また国王の支持が高いため、タイという国は戦前から独立国として存続してきたといえます。 このように、実は「人間の本質的平等」にも欠点があり、平等に主張する各集団が協力しない状態が続けてば内戦を呼び、近隣諸国の干渉や侵略を呼び「国」そのものが消滅することもありえます。 そしてそれは、国の大多数の庶民(国民)を混乱させ、財産や生命を危険に晒し行為でもあります。 最初から民主的な政治体制で始まった国家であるアメリカ合衆国ですら、南北戦争という国内動乱を経験しています。 私は質問者様とはまったく逆で「人間の本質的平等を普遍的原理として優位に立たせる」のはかえって危険であり、その国の内情にあった政治的正当性と歴史的正統性を重視することこそが、各国家の安定に役立つと考えています。 ですので、この日本において、今後の歴史的な経緯で共和制になることはありえるとしても、現時点で天皇制を廃止する必要性はまったくないと考えます。 逆に、現在のような「単に民主的であることが重要だから」という現代しか見ない考え方で天皇制を廃止すれば、必ず日本は動乱すると思います。 「歴史は過去の事実の積み重ねにすぎず、その事実を尊重しない自由や権利は私たちにある」というのはその通りですが、それと同時に「歴史という過去の事実の積み重ねの上に、今の自分たちの存在があり、私たちの行いが未来の国民(私たちの子孫)の行く末を決める、という思慮とそれに配慮する責任」があると思います。 ですので、現段階で天皇制を議論することは重要だと思いますが、これほど長い間有効に機能している国家システムを廃止する理由はない、と考えます。
お礼
論理的で丁寧な論証ありがとうございます。このように論証すれば、多数の人の支持を得られることと思います。 たとえ話をしますが、化学反応で活性化エネルギーという概念があります。要は、化学反応を起こす際に越えなければならないエネルギーの山です。 私は、いわば化学反応の前後で、エネルギー状態の高低の議論を提示しましたが、回答者さんは社会的混乱という、いわば活性化エネルギーの高さを論点として突きました。 他の回答者の方もこの点に気づかれた方はおられたと思いますが、この回答者さんは丁寧に論証されました。 確かに、現在の日本の政治は象徴天皇制で、社会的不満があるとしても各種のアンケート調査からは象徴天皇制の支持が高いため、この制度を廃止するためには何らかの触媒が必要となります。触媒としては、皇室関連の経済的負担や優雅な生活等がその候補としてあげられますが、日本経済が悪化し、貧富の格差が大きくなり、社会的不満の矛先が皇室に向かうという状況が生じない限り、触媒としての働きをしないと思います。 少なくとも現時点ではそのような状況ではないので、回答者さんの論証に説得力があります。 私は、この回答者さんをベストアンサーにしようと思いましたが、他の方の意見もありますので、しばらく様子をみます。
- dragon-man
- ベストアンサー率19% (2712/13696)
回答者No.6です。とても真摯なコメントなので、追加させて下さい。 >:独裁制の国は社会的混乱が多いのは明らかなので認めます。それ以外の国の制度は、社会的混乱が多く、好戦的で常に問題を抱える傾向にあると、社会的事実として一般化できるのかよくわかりませんが、もし一般化できるとすれば、立憲君主制に社会的効用があるとして一定の説得力をもつことは認めます。 社会的事実の一般化は難しいです。歴史的事実(傾向と言うべきか)として、比較相対的に立憲君主制の国が安定していて、そうでない国はそうではないということです。例えばドイツと日本はよく似ていますが、ドイツは第一次大戦に負けて、当時世界一の民主主義的憲法と言われたワイマール憲法時代に、選挙でヒットラーが生まれました。明治維新後の日本は立憲君主制をとったため、ヒットラーのような化け物は生まれませんでした。せいぜい東条英機のような無能の官僚でした。これは一つの例です。 >世界~免れました:歴史的事実に対する見解ととらえます。 歴史的事実そのものです。ヤルタ会談の折、ルーズベルトは天皇制廃止を考え、日本に無条件降伏を迫るポツダム宣言では国体護持(天皇制維持)は認めていませんでした。戦後マッカーサーのGHQもその方針でしたが、ある理由から憲法草案で天皇制を残すことを決めたのです。ある理由とはソ連との冷戦が始まりつつあったからです。紙一重で天皇制は存続したのです。 >大混乱するかどうかは、もしそのような社会制度になれば社会的事実がいかなる状態になるかの問題なので、移行期の一定期間はある程度社会的混乱は推測されますが、大混乱かどうかはわかりません。 近代が始まる頃、ほとんどの国が革命で王政を廃止し、共和制に進みました。フランスなどがその典型です。フランスは文明度の高い国なので、移行期を過ぎたら大混乱にはなりませんでしたが、それ以外の文明度の低い国々は悲惨です。いまだに混乱しています。スペインやギリシャ、中東諸国などです。国民の意識の一体感を醸し出す王室がないからでしょう。 >天皇制を平等原則の例外としております。天皇以外の日本人の本質的平等は担保されています。 戦前、東大法学部、美濃部達吉教授は有名な「天皇機関説」を唱え、軍部から反発を受けました。天皇は国家を運営していく上での一種の機関であるという学説です。この考え方は今では当たり前のことと思われていますが、当時の軍部は天皇の神格を認めない暴論と決めつけたのです。つまり、天皇という立場は国民平等原則の対象ではなく、、一種の国家運営機能と言うわけです。ですから天皇個人はそう言う仕事をしている立場であって、平等原則の範疇で考えるべきものではないのです。 (6)天皇は歴史です。歴史は国家にとって最も大事なものです。歴史がないのでうまくいかない国としてアメリカ、韓国、中国があります。:まず、この見解で疑問なのは、「歴史」の定義づけをしてほしい点です。 歴史とは連続です。連続の中から進歩、進化が生まれます。 アメリカはつい200年ほど前に発生した国で、歴史がありません。韓国は日韓併合前の李氏朝鮮時代に自国の歴史の流れを止めてしまいました。日韓併合は李氏王朝の選択でもあったのです。戦後韓国、北朝鮮が誕生したときも、歴史の上に国造りをしませんでした。ですからこの国には伝えていく歴史がありません。中国は古代から前王朝の歴史を抹殺し、城壁を破壊し、王朝の住民を抹殺して新しい王朝を作ってきました。歴史はその王朝の中だけのもので、連続性がありません。現代の中華人民共和国は清以前の歴史をすばて抹殺した後に毛沢東が作った帝国です。ですからこの国には歴史がありません。歴史に照らし合わせてものを考える習慣もありません。古い歴史遺跡すら破壊抹殺しました。 >単に何代か続いた王や皇帝、天皇という制度が現在存在している国に対して「歴史」があるという定義づけでしょうか。 王や天皇が存続しているからではありません。存続していなくても、連続した歴史(時の流れ)の延長線上に今の国家を考えているかどうかです。例えば、韓国は李氏朝鮮時代の延長で国を考えていません。むしろ屈辱的だった末期の李氏王朝時代を忘れようとしています。おそらく学校でも教えていません。中国は明、清王朝の延長線上に今の国を考えていません。毛沢東が作った新帝国です。 >これらの国の国家運営がうまくいかないというのであれば、まずなにをもって国家運営ができているのか否かという点、 「国民の相対的幸福度」、これが国家運営の善し悪しのメジャーでしょう。 >憲法などは、国家運営に都合よく作ればいいのです。:国家運営に都合よいとは、見方をかえれば、為政者にとって都合がよい憲法を意味します。そうなると、もし為政者に横暴があったとしても歯止めがききません。このような憲法は、回答者さんのいう「おおむね穏やかで民主主義的で、安定した国家運営」からほど遠くなる状態に資するのではないでしょうか。 これは少し乱暴な言い方でした。「都合よく」ではなく、「合理的、「合目的」にと言うべきだったでしょう。国家運営の目的は国民の幸福度です。それに合った国家運営が優れていて、そうでないものは劣っているのです。横暴な独裁者が生まれるような憲法の作り方があったとしたら、それは間違いです。しかし、世界一民主的だったワイマール憲法下でヒットラーが生まれたことは確かです。良い憲法が必ずしも良い国家運営に資するわけではないのです。それを実現するのはあくまで国民の資質であり、それを支えるのは歴史なのです。
お礼
丁寧なコメントありがとうございました。立場の異なる人に対する説得の見本となるようなコメントだと思いました。いろいろ調べていただきありがとうございます。 (触れていただくと個人的な立場からはより良かったと思われる点) (1)現在の日本は文明度の高い国なのか否か。高い国であれば、フランス同様に社会的混乱が限定的ではないか。そうだとすると、天皇制を改廃することが可能な国ではないか。 (2)国民の相対的幸福度の具体的指標があるとしたらどの指標をさしているのか。それとも一般的な概念として相対的幸福度という言葉を提示したのか。一般的概念としたら、何に対する相対化なのか。 (3)(象徴)天皇制と相対的幸福度との関連性 (4)国民の資質として、特にどのような点が重要であるか。国民の資質と文明度が関連するとして、その点が、(象徴)天皇制とどのような関連性を有するのか。((1)と関連した指摘ですが・・。) (5)「合理的」「合目的」に国民の幸福度をあげましたが、ポピュリズムとの相違点
- osakajapan2001
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御礼を頂戴致しました 有難うございます 自由平等と言う概念が存在したと仮定した場合でも 天皇を議論する根拠とはならない その理由は極簡単です それは天皇自体が権威と格式の代名詞だからです 権威とはそれ自体が全く不可侵だからです 格式とは家系図とは異なります 連綿と続くしきたりを有するものの事です 血だけでは諍えないものの事です その様な天皇を権威化格式化したものも日本人です 1600年続くものの在り様を 今生きている人間が如何のこうのと言う必要はありません 日本では初めにあったもの 先にあったものが正しいのです 後から来たものは 先にあったものの全ての屍を背負って前へ進む事を 余儀なくされるのです 今だけを自由に考えたとしても それは今だけを生きるものの権利でもありますが それまでのものを全て否定している事とは違うのです
お礼
コメントありがとうございました。以下に私見を書きます。 (1)とりあえず、回答者さんの判断枠組みに立って検討してみます。すなわち、天皇制を議論するためには、 「権威と格式」がキーワードとなります。 (2)この判断枠組みで天皇制を否定するとすれば、 (一)天皇に権威と格式がない。 (二)権威と格式は、重視すべきではない。 (3)ここで、(一)を指摘するとすれば、歴史的史実に誤りがあり天皇と思われる人は別にいたなどの史実の指摘、または、天皇の人格面の否定、たとえば今の天皇は象徴にふさわしくない品性に欠く人物だとかの主張が考えられます。加えて、権威と格式の断絶の主張、たとえば昭和天皇は戦争犯罪人だから、その時点で権威と格式が断絶したという主張も理論上はありえます。 (4)では、(二)の立場であればどうでしょうか。私は、この根拠に平等原則をあげました。したがって、回答者さんの意図はともあれ、伝統と格式という価値観が平等原則に勝るということを、「議論する」のであれば説得しなければなりません。 (逆にいえば、これ以外の結論は、議論の放棄になります。) (5)回答者さんのコメントからは、「日本では初めにあったもの、先にあったものが正しいのです。」とありますが、そう言い切れるでしょうか?回答者さんの身の回りで、ずっと昔から続いているものばかりですか。なぜ、普段着で着物を着なくなってきたのでしょうか。時代の移り変わりは現象として認めなければならないと思います。 (6)もっとも、古くからあるものは大切にしなければならないという気持ち自体はわからなくもないです。古典文学などの価値は認めます。 (7)だからといって、 古くからあるものに対して現代人が現代の価値観に基づいて批判してはいけないことにならないと思います。文学などと異なり、天皇制といった国の制度の場合、安直に伝統のカテゴリーにくくること自体は妥当ではないと思います。国の制度の場合、その制度を支える人の支持が必要です。文学の場合、気に食わなければその文学を読まなければいいだけですが、国の制度の場合、その制度に従う「現在の」多数人の支持が必要だからです。
- hideka0404
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今こそ天皇制を廃して、琉球王族の尚 衞さんを皇帝に迎えて、沖縄とひとつになろう! 琉球王族こそ、真の天孫族です。 それとも何年か一度に、全国民から無作為で皇帝選びますか? 元々民主的な選出ではないので、公平を規す為にクジが確実だと思います。 勿論今の天皇と同じ役割しか与えません。 なった人は人権を喪失しなくてはいけないのです。 これは画期的だ。 血によらない平和的な皇帝。 もちろん資産は剥奪されるので、ゲーセンにも行けない。 宅配ピザを注文して、届けてもらえるかも不安だ。 そもそもコンビニで買い物が出来るのか?など、心配は尽きない。 なぜ不公平な多数決などする必要があるのだろう? 民主主義なのだから、投票ではなく、ランダムに選ぶべきだ。 殺人犯に人権があるように、凶悪犯が皇帝になっても何も悪くない。 政治家も占拠ではなく、クジで選ぶべきだ。 犯罪者が政治をして何が悪いのか? 犯罪者にも政治力はあるかも知れない。 日本は世界中から模範的な民主政治の国と称えられるだろう。 そもそも一度も社会で人を使った経験がなくても総理大臣や天皇になれる国なのだ。 資質は元々問われない。 割りお青磁を行っても裁かれない。 隣の元首を見習え! 元元首の9割が犯罪者だ。 北朝鮮に至っては100%だが、これは国際的な評価でしかない。 中国にいたっては、存在してさえいない扱いだ。 世界的には悪者が元首になるものなのだ。 日本だけが平和論者でいいはずがない。 と、さる友人が申しておりました。
お礼
コメントありがとうございました。以下に私見を記載します。 (1)琉球王族の尚 衞さんを皇帝にすることについて 私の立場からは、公募の結果から彼が選出されたのであれば、異論がありませんが、それをもって日本が琉球であるという主張には首肯できません。公募段階でそのような主張をすれば比較的多数を占める沖縄以外の人々の支持を得られることが困難だと推測されます。 (2)くじで選出することについて ユニークなアイディアで一つの方法として認めます。ただ、やりたい人がいた場合、その人の意思を採用せずに、くじでやりたくない人にやらせることがはたして合理的でしょうか。 身近な例として、学校の生徒会長をクラスで選ばなくてはならないとしましょう。生徒会長をやりたい人がいればその人にやらせればいいわけで、あえてくじでやりたくない人を選出する方法をとることにクラスの合意が得られるでしょうか。 (2)-2 犯罪者がくじの結果として選出されることについて くじで選出する方法が採用されたとしても、一定の要件で犯罪者や赤ちゃんなどは制限をうけることが考えられます。なぜなら、公務に支障がでることが推測されるからです。ただ、交通事故などの犯罪者など公務と直接関係のない犯罪者と赤ちゃんの場合であっても摂政を選出すればよいのではないかと、要件の幅が解釈上ありうるので、具体的な制度設計をするにあたってはそこまで詰める必要は生じます。 (3)天皇の日常生活の制限について きつねと酸っぱい葡萄だと思います。
- はる のパパ(@van62097)
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天皇制に立ち向かってどうしますか。 歴史を勉強し直さないと日本人として恥です。 次回はもっと別の分からない事を質問してね。
お礼
この回答は議論の強制終了を促す意見です。私は回答者がどのような思想信条に基づいた回答であっても尊重して自分なりのコメントをあれこれ考えますが、この回答のようにあまりにレベルが低い回答の場合、そのコメントに時間をさくのは非生産的なので、以後、低レベルのコメントを受領した場合は、「コメントの価値なし」とだけ入力します。
お礼
コメントありがとうございます。本回答者さんの真摯な態度が伝わりました。これまでの議論における本回答者さんの積極的な参画ゆえに、本Q&Aが充実した内容になりました。本回答者さんの熱意に敬意を示して本回答をベストアンサーにします。 このQ&Aを初めてアクセスされた方は、他の人の回答を読んでみてください。いろんな意見が提示されており、それなりに面白い内容になっています。 本Q&Aに参加された皆様にこの場を借りてお礼を申し上げます。