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天皇の戦争責任?

子供の頃、不思議でした。はだしのゲン等で「天皇陛下ばんざーい!」と言って沖縄の崖から飛び降りる家族のシーン等ありましたが、その時の天皇が今の天皇(当時の昭和天皇)と同じ、と言う事実に違和感を覚えてました。何故、日本は命を捧げた天皇陛下に対する戦争責任を追及しないんだろう?と。 大人になってからこの疑問を人に投げると、「お前としゃべっていると、気分が悪い」、「日本人の心を分かっていない」、と言う感情的な回答が戻ってきて、中には「天皇陛下は責任が無く、傀儡だった」、としながら、じゃ誰に責任があったんだ、と聞いても、回答を持ち合わせていないんですよね。 「失敗の本質」等に代表する戦争分析本を読んでも、日本人特有の思考回路、組織論、当時の時代背景等は見えても、戦争自体の評価がイマイチハッキリしていないんですよね。何だか全体的に戦争に対する合理的・客観的な整理がついていない感じがするのです。 誰もが負けた喧嘩について振り返りたく無いでしょう。野球・サッカーファンが自分のチームの負けたニュースを夜11時からまた見たく無いのと同じ感じですかね。少なくとも私はドーハの悲劇や、06年のW杯豪州戦をもう一回見たいとは思いません。 よって、戦争を勝ち、或いは負け、と言う観点で整理するよりも、当時の日本は何を目指していたのか、その為にとった戦略は何だったか、と言う事を明確にした上で、その戦略は日本の国益に資するものだったのかを、外交・資源・経済・安全保障・国民生活等の広範囲な観点から分析すべきでは無いでしょうか。その結果、国益に資するものは妥当、国益に害するものは失敗、とハッキリすべきでしょう。 例えば、資源確保に走ったのは妥当、しかしその課程で余計な他国民の犠牲を出したのは失敗。西側諸国の帝国主義が衰退すつつあった中では外交面では失敗、だが安全保障面では妥当。国民生活が窮する所まで戦争が至ったの事、軍政/運営は失敗、だが技術革新は妥当な進歩を見せた、等々色んな味方があるでしょう。 無論、日本の国益は隣国等とは一致していなかったので、分析課程で反発はあるでしょう。でも、当時の国益と今の国益は違うわけだし、日本も胸を張って上の分析をシェアしていけば、反発も無くなると思うのです。少なくとも余計な面倒臭い非建設的で感情的な非難は和らぐと思います(当たり前ですが、他国市民を殺したり、慰安婦連行等を良しとする分析結果がでるわけ無いのですから)。 さて、最初の話に戻り、天皇の戦争責任はどう考えるべきなのか、何だか余計分からなくなってきますが、結局天皇は何なの?と言う所に行き着く様に思います。改めて考えると、日本人に都合良く利用されて来た様に感じます。戦争中は神と崇められ、現代は日本の象徴と親しまれ、もっと遡ったら武将時代は重要キャラでは無かったが、明治と共に再度台頭してきた、等等、時と場合によって、日本人が今でも時々神様に祈る様に、天皇の存在意義もその時々で変わってきてますよね。そう考えると、ちょっと可哀想な天皇な感じもして、やっぱり戦争責任は無かった様にも感じてきます。ご本人がご自身の立場をどう考えていたのか、一番気になりますね。 皆さん、天皇の戦争責任についてどう思われますか?私は何かを見落としてますか?また、戦争の整理についても、暇つぶしにでもご意見お聞かせ頂けたら幸いです。 因みに、私は左側でも右側でも無いです。強いて言うなら、両方です。心は左だけど、頭は右、と言うのが正確かな。従って、両方の聞く耳を持ってます。ただ、両側の極論の展開や、非建設的で感情的な非難はご勘弁願います。

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  • phj
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回答No.11

質問者様の問題提起は「国ってなに?」という根本まで考えないと分からないことなのかもしれません。 さて、天皇の戦争責任について、総括がされてないと質問者様はお考えのようですが(またそれも事実ですが)、実はほかにも戦争責任が総括されていない人たちがいます。 それは「日本国民」です。 質問者様は「昭和時代の子供」だったわけですから、当時の大人には戦前生まれの人もたくさん居たでしょう。その人たちからすれば「じゃ誰に責任があったんだ」というのは、東京裁判に置いてきた痛いことなのです。 明治以降、日本は立憲君主制の近代国家を目指します。明治憲法には、天皇の行為は「国務各大臣ハ、天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」と書かれています。天皇は輔弼され、最終責任は各大臣が負うことになっていたのです。また、戦前には東大の美濃部達吉らによって「天皇機関説」が提唱され、現在の天皇制である象徴制とほぼ同じ意味であったのです。 また天皇もそのことを熟知しており、政治に口を出すことを極力慎んでおられ、昭和天皇は2・26事件の徹底的な処分とポツダム宣言の受け入れが「ご聖断」であり他の天皇より多いといわれていますが、それでも2つぐらいしかないのです。 ですから、戦争開戦に当たっての御前会議でも、天皇は口を開かず、開戦することに決まっていきました。 これらの事実を考えたときに、どれほどの責任が天皇にあったのか、非常に微妙なところがあります。 さて、国民(当時は臣民)のほうを観てみましょう。男子のみではあったものの、日本で普通選挙が実施されたのは1928年(昭和3年)の衆議院選挙からで、事実上選挙制度が崩壊したのは1942年(昭和17年)の大政翼賛会が成立する選挙までです。 成人男子のみの選挙ではありますが、そもそも国政に関わる選挙権というのは納税の義務と徴兵の義務を持つ者の権利でしたので、この主題(誰に戦争責任があるのか)についての関係性は問題ないと思います。 太平洋戦争は1941年(昭和16年)から始まり、その前の日中事変を入れても1937年(昭和12年)からですから、昭和3年から始まった普通選挙によって、十分に国民の意見が反映されていたはずです。 つまり日中事変に関しても、太平洋戦争に関しても、選挙による国民の意思は明らかであり、それは「戦争遂行であった」と考えるのが正しいのです。 ところが、戦後の日本人は「戦争の責任は国民にもある」とは言わないんですね。質問者様も聞いたことがないでしょう。 東京裁判というのは、GHQも結託して「この戦争は戦争犯罪任たるA級戦犯者たちが指導し、起こしたものである。国民はむしろ被害者である」として、日本国民の戦争責任を総括することにフタをしたのです。 その結果の自虐史感であるとするならば、むしろ当然の結果である、といえるでしょう。 GHQにおいては、当初、天皇の戦争責任を追及する機運が大きかったのです。実際、天皇に責任がある、と考える連合軍責任者は多く立憲君主制のイギリスですら、昭和天皇を処刑した後で皇太子を即位させればよい、と考えていたようです。 しかし、マッカーサーは日本に来てその考えを改めます。昭和天皇と会って「陛下に感動した」からだ、といわれますがそれが有ったとしても、GHQの政策上「天皇制を残す」という判断は別にあったと思います。 それは、日本を対ソ連(共産主義)の防波堤にする、というアメリカ政府の決断です。日本の国体をいじることは、共産化を進めてしまう危険があったからです。 ココで、天皇制とか王政について書いてみたいと思います。 日本の天皇制とよく比較されるのは、イギリスの王政でしょう。イギリスは世界最初の立憲君主国としても知られています。 ところで、面白いのはイギリス国王を「自分の王」するのはイギリスだけではない、ということです。カナダ・オーストアリアなど世界の11カ国がイギリス王を自国の王として認めています。これらの国はすべて立憲君主国または連邦立憲君主国に分類されます。 そもそも「王政」というのはなんでしょうか。実を言うと王政というのは「国」と「国家」を結びつける非常に原始的な政体であるといえます。ある同類性をもった人間集団(民族)が自分の土地を持ったときはクニ(国)になるのですが、その国が他国と渡り合うためには国家が必要になります。 特に戦争や飢饉・災害などに民族が打ち勝って次の世代に国を渡すためには、強いリーダーの下に団結する必要があります。 これが王政のもっとも重要な役割であり、各個人の知識や教養が低かった古代においては、ほとんどの国が王政で国家運営をしていたわけです。 近代化の時代になって、フランス革命で国民が王政を廃止します。これを革命と呼ぶのですが、実はこの後フランスは苦難の80年を過ごすことになります。フランス王を廃止したものの、市民だけの政府はいろいろな政治的な課題を調整できず、ジャコバン派の粛清から王政に一時期もどったり、また民主制にしたのにナポレオンが皇帝になったり、そして80年の時間を使ってようやく民主主義の仕組みを整えるのに至ります。 王政が必ずしもよいわけではありません。しかし、変革は常に痛みを伴います。フランス革命時にまだ共産主義が無かったのは不幸中の幸いなのかもしれません。 GHQは日本を占領している時期に「民主化」に関してフランス革命も参考にしたはずです。 日本の事情を見て見れば、「天皇」が持つ意味は「日本国土を統一し、この島に住む人々を日本という一つの民族にした」ということです。大和朝廷やヤマト王権が日本で始めての朝廷、というのは天皇が王として君臨したから日本が出来た、ということになります。 言い換えれば「日本」=「天皇」なのです(ただし国家=天皇ではありません) 人間の歴史というのは面白いもので、リーダーになる人には必ず「なぜ貴方をリーダーとして認めなければならないの?」という疑問がつきまといます。現代のリーダーはほとんど「選挙に勝ったから」というものです。 しかし、古代はそうは行きません。最初の王は戦争に勝ったり、余りにも強いから近隣部族が恭順を申し出たりして「王の地位」を確立するのです。そしてその次の世代からは「親が地位を確立したから」「先祖が地位を確立したから」というふうにつながっていきます。これを「継承の正当性」といい、正当な地位を保全する事を「正統性」と呼びます。 日本がなぜ「世界で一番古い国」と呼ばれるか、それはこの「正統性」が最初の天皇からずっと同じ家系で保持されているからです。他の国は、他の国が侵略したり、しかえさりたりして、この正統性が切れてしまっているので、日本より短いのです。 さて、史実で追っかけても飛鳥時代から1000年以上、当時の日本人の教育どおりなら2600年以上つづく王家を、GHQといえども勝手にいじったら、日本人の反応はどうなるか分からないでしょう。数年前の隣国の大統領の「天皇が謝りたいなら来い!」発言だけでも「普通の日本人」を激怒させたのですから、GHQといえども天皇制をいじったら、日本の国体が揺らいでソ連に付けこまれる、と思ったのは間違いないのです。 それでも責任者が欲しいGHQは「東京裁判」でA級戦犯を犯罪者として断罪する事で天皇制を維持し、当時の多くの日本人、国民は被害者であるとして、天皇制の維持と引き換えに「禍々しい戦争の責任」を封印したのです。 だから、戦後の子供が「戦争責任」を問うても、まともな答えが返ってこないのだと、私は考えています。 でも、そろそろ総括すべきです。昭和天皇もすでにおられませんし、当時の日本人もほとんど居ません。当時選挙権があった25歳以上の人はほとんど100歳以上です。 ソ連も崩壊し、共産主義の脅威も冷戦も終了し、憲法改正の議論も必要になってきています。 今の日本人で「天皇制は必要ない」と考える人は殆どいないと思います。それはフランス革命後の80年と同様、明治維新から太平洋戦争終結まで80年、そこからさらに来年で70年、近代化の波にさらされた日本の天皇制と民主主義は成熟期に入っていると思うのです。 最後に、王政の重要性についてもう少しかきます。 それはカンボジアのことです。彼の国は、1960年代にポルポト派という共産主義勢力が実権を握り、原始共産制を標榜したために、官僚や法律家、教師などの知識人のほとんどがころされてしまいました。 1980年代には内戦は終了したものの、国家を運営するシステムや人材が残っていなかったため、国連の協力の下に国家再建を始めたのです。しかし、あまりにも破壊しつくされていた為に、残っているのは「人と人のつながり」しかなく、民主主義すら施行できずに王国として再スタートすることになったのです。 つまり「誰もが認めるリーダーシップを発揮できる人」の下で「皆がそのリーダーに協力する事」で国家の再建を行おうとしたのです。 日本の戦後はまさにこのような光景だったと思います。また昭和天皇は戦中に突貫工事で作られた御所(御文庫)がどれほど痛んでいても「国民には家の無いものもいる」として、建て替えをせず、戦後16年目にようやく吹上御所を作って移られた、と言われています。 私は海外で生活したことがあり、日本の天皇制は誇るべきものであると信じています。しかし、同時にやはりあの戦争での天皇責任はあるのであろう、とも思いますし、日本国民としての責任も総括すべきであろう、と思います。 それが、今後の憲法改正への第一歩になるのではないでしょうか。

sirjet
質問者

お礼

コメントありがとうございます。面白いですね、参考になります。一方で、王の居ない国もありますよね。米国等はその典型ですけど、王と言うより、理念で成り立っている国ですからね。

  • customarr
  • ベストアンサー率21% (35/165)
回答No.10

ただし知識は皆無でしょうね、という朝鮮人犯罪者をブロックされてください。日本人の国益を守るために著作権者に通報しましょう。質問者は日本人ですよね、日本人を攻撃するのが目的ですから。 都市への爆撃が問題ないというのに米軍の空爆を全否定している朝鮮人なんですよ。日本人の議論にキチガイが参加して日本人よりも参考になったと自分で投票(韓国人式投票)をしています。 天皇は主権者だから責任者というか当事者なんですよ、ないわけないんです。しかしそれをないとしたんです。 なんでか分かりますか。天皇家含めて、官僚も米国も日本人搾取に都合がいいからです。 そこに朝鮮人が加わってきているのです。さらにサイトでは違法ダウンロード犯罪添付も日本人叩きに悪用して楽しんでいます。知識というか道徳心が皆無ですよね。 降伏を促す目的ならば通告して洋上で使用して見せればいいはず(「原爆を落としたアメリカの証言について」)という人(自称保守日本人)が、(軍閥との戦いなのに)都市への爆撃はいいとは脳ミソキムチですね。 複アカ成りすまし犯罪者をブロック排除・著作権者へ電話してから再質問した方がいいです。 天皇に責任はあるんですよ。反日保守が妨害して日本人の判断力をキムチ並に下げなければ。 天皇に責任ある=日本の戦争が悪い(アジアにとって) ではないのです。英米に対して悪い戦争でしょ。最初に本土を爆撃したのは真珠湾だから。どれだけ日本の公務員が馬鹿か。負けたら負けたで今度はレイプされても何にもしないというのです。 戦前から日本人搾取が目的だからなんです。東條は狂言自殺ですから、もしも米軍が処刑しなければ、生き残り出世して金持ち役員になっていますよ(日本人搾取の人らなんだから)。

sirjet
質問者

お礼

コメントありがとうございます。でも、ちょっと過激過ぎですかね。

  • mm058114
  • ベストアンサー率30% (102/337)
回答No.9

天皇の責任は、東条首相の言上を最終的に、裁可したことかもしれません。 しかし、天皇は、それまで、何回も抵抗している様です。 天皇の任務は、臣下の言上を形式的に裁可することでした。 つまり、自動的に決まっていたとも言えます。 格心は、首相と侍従長が、冥土に持って行きました。 特に、東条首相は、天皇に戦争責任が及ばない様に、沈黙を通したと言われています。 百武侍従長も、日記等が発見されていません。 東条大将の首相就任に当たって、日米交渉を白紙還元して再考する様、異例の言葉を発しているところ、私は戦争責任は、充分とられたと思います。 日本が何を目指していたか・・・ 南方資源確保も目的ですが、当時の試算では、油は南方分だけでは、賄いきれないことは試算されていました。 戦争を欲したのは、海軍です。 海軍は、日華事変で陸軍がやった様に、理由をつけて莫大な予算を獲得して軍備を3倍増したように、軍備の拡張、予算の獲得のチャンスと捉えていました。 もちろん、全海軍の総意ではありませんが、当時の軍令部と、海軍省軍務局の意向です。 軍事参議官会議でも、一票差で可決されています。 元帥の伏見宮の意向も大きかったと言われています。 この海軍の軍備拡張意向に、天皇が気がついていたかは、闇の中です。

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2725/5435)
回答No.8

第一に国際法によって戦争当事国の責任は問わないとあります。つまり賠償は求めても当事国の主張の責任は問わないのが常識です。東京裁判はこれを無視した違法な裁判であり、実際に多くの王などを有する国は異論を述べたり裁判官を辞任しています。 米国は一般市民居住区への攻撃という国際法違反を繰り返し、ベトナムでは村を焼き払い、中東でも繰り返しています。第二次大戦においてこのルールを破ったのはヒトラーと米国だけです。(ちなみにヒトラーは首相ではありません) 広島長崎市街地への原爆投下だけではなく、沖縄の防空壕への火炎放射も民間人への攻撃です。 第二に明治以来日本の天皇制は英国に倣った「立憲君主制」を敷いています。つまり「主、君臨すれど統治せず」です。もし英国連邦諸国が天皇の戦争責任を追及した場合、英国女王も戦争責任を追及される可能性を認めた事になりますが、立憲君主制では王の名で政令が発せられても、政策を決定するのは議会と首相であり、責任は首相が負う事になっています。 つまり日本も同じという事です。天皇の名で政策が発せられても、実際には御前会議で決まるものであり、その責任は首相が負うべきものなんです。 私は植民地解放が目的だとは考えていません。それは結果でしかないんです。 当初の目的は満州国の維持、それだけです。なぜなら当時満州国だけが日本との交易を維持していたからです。もちろん三国同盟はありましたが、これらとの交易は実質不可能でしょう。 結果的に植民地解放になった。それだけ世界からの逆恨みも強かったと思います。東京裁判はそのような状況下で行なわれたのです。

sirjet
質問者

お礼

コメントありがとうございます、参考になります。

noname#204885
noname#204885
回答No.7

国の最高責任者である天皇に戦争責任がなかったというのは、確かにちょっと変な気がしますなあ。 しかし、「天皇陛下ばんざーい!」と叫んで家族が飛び降りたのは天皇の責任だ!というのも、やはりちょっと変な気がしますなあ。自分としての判断は無かったのか。 もし、天皇陛下に全判断を委ねていたのなら、天皇陛下に「なんで戦争なんか起こしたんだっ!!」と迫るのは、それもちょっ変な気がしますなあ。勝ったら「天皇陛下万歳」、負けたら「天皇陛下の阿呆」ですか?ちょっと虫が良すぎませんか。 その辺の日本国民の得も言われぬ気持ちが、この問題を難しくさせているように思います。

sirjet
質問者

お礼

コメントありがとうございます。当方の質問がやや曖昧でしたね、すみません。もうちょっと考えます。

  • tettua
  • ベストアンサー率22% (4/18)
回答No.6

戦勝国最大であり、原子爆弾という切り札を持つアメリカが、天皇の影響力を戦後統治に利用しようとした。 実際、皇居は爆撃されてないなど根拠はある。 正しい間違い、良い悪いは別として、そのアメリカが『天皇は悪くない』と決めて、そのまま平和条約が結ばれたってことだと思う。 太平洋戦争は歴史上の出来事になりました。(平和条約が結ばれてないロシアや北朝鮮は違うのでしょうけど) 昭和天皇も知っての通り死亡しております。 太平洋戦争の評価は歴史家に任せましょう。過去の戦争に興味ない人に、その疑問をぶつけても”建設的な”回答は返ってきません。 つきつめて評価する意思があるなら、大学で歴史を専攻してみては?

sirjet
質問者

お礼

コメントありがとうございます。でも最後の段のコメントは良く分かりませんね-。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10498/33017)
回答No.5

>当時の日本は何を目指していたのか、その為にとった戦略は何だったか そそ。そこが重要です。おっしゃるとおりです。だけどね、そこがまた大問題なんですよ。その肝心要の「日本は何を目指していたのか」が分からない。曖昧なんです。 例えば陸軍なんですが、よく世間では陸軍が日米開戦に積極的だったっていいますが、実はそうでもないんです。何しろその対米戦に対しては日本陸軍はまったく準備していなかったので米軍に対する根本的な戦術も何もなかったんですよ。戦術レベルでいうと、「そこは海軍さんが考えるところで、うち(陸軍)はソ連軍を想定してるんで特に考えはないです」なんですね。 その証拠に、陸軍航空部隊は太平洋戦線にほとんど投入されていません。陸軍機は艦船を攻撃する訓練をしたことがなかったからです。その他にもいろいろ理由はありますけどね。 じゃあ海軍は開戦に消極的だったのかというと、そんなことはないです。なにしろ石油がなくなるのが死活問題なのは海軍のほうです。変な話、陸軍はいよいよとなったら歩いて移動できるけど、軍艦は石油がなくなったら終わりですからね。 そして、日米開戦で日本はどういう戦略をとったか。これもはっきりいえば「ない」んです。真珠湾奇襲をして、南方戦線に進出して石油を始めとした資源を確保する。そこまでは決まっていました。だけど、その先どうするか。どこで戦争をやめにするか、そのプランは皆無だったんです。なんとなれば、「迷わずゆけよ。ゆけば分かるさ」の猪木イズムで開戦してしまったのです。だから戦略について語ることはできません。ないものについてはね。 はっきりいえば、昭和天皇は日米開戦に反対だったんです。日米開戦というか、親英派だった昭和天皇は、イギリスとの戦争は望まなかった。対英戦を望まないということは、日米開戦反対です。 だから、昭和天皇は散々「アメリカと戦争にならぬように。イギリスと上手くやるように」と命じていたのです。だけど、どいつもこいつもいわれれば「へへーっ」とかいうくせにちっとも日米関係が進展しない。挙句に「あのー、陛下。やっぱり無理ッス。日米開戦は避けられないッス」と言い出したわけです。そりゃ昭和天皇の怒るまいか。それで「アメリカなんて大国と戦争して大丈夫か。勝算はあるのか」と聞いても「大丈夫ッス。勝算あるッスよ」としか返事をしないんです。 当時、国にとって重要な決定事項は「御前会議」という天皇が出席する会議で最終決定されていました。当然、日米開戦も御前会議で承認されて正式に宣戦布告となるのです。ところが対米開戦に反対の昭和天皇はこの御前会議で「発言する」と言い出した。それまで、御前会議というのは天皇は出された決定を承認するだけという、ま、いってみれば儀式だったんです。そこで「発言する」と言い出した。ひょっとすると「俺ァこの日米開戦は承諾せん」と言い出すかもしれない。そうなったら開戦はできなくなります。侍従長を始め内閣や軍部が大慌てになって「いや陛下、御前会議では天皇は発言しない前例となっておりまして云々・・・」といって結局御前会議での昭和天皇の「発言する」は撤回させるのです。 だから、天皇の戦争責任を問うのであれば、「まずもって内閣が天皇の命令(意向)に従わなかった」という問題をどう処理するのか、というのがあります。社長に無理やりハンコを押させてその責任だけ追及するのはおかしいでしょ?我々下々の者は「だったら首を縦に振らなきゃいいだけじゃないか」と思うけど、それをいうなら今の日本の政治も建前上は天皇の裁可を受けないと内閣が発足しないことになります。だけど、もし今上天皇が「俺ァあのネトウヨアベは気にくわねえ」といって内閣の裁可にサインしないってことが許されるのかというと、許されないわけです。サラリーマンが「課長、俺はそんな仕事やりたくないッス」という感覚で「嫌だ」とはいえない立場であるのです。 女性に「お前は俺にレイプされるか、それともレイプされるか」と迫って「それで彼女はレイプされることを望んだので、すなわちレイプされることは彼女が自分の意志で決めたのでこれは強姦ではなく和姦です」といったって通じないじゃないですか。 さて、日本の権力システムに関しては、こんな話があります。あのペリー来航のときです。 日米交渉がほぼまとまり、あとは双方サインするだけ、という段階になったときに「じゃあサインしようぜ」とアメリカ側がいうと、幕府側は「天皇の許可をもらうから少し待ってて」と返答しました。 これで「???」となったのがアメリカ側。「え?ショーグンが一番偉いんじゃないの?」と。幕府側は「いや実は京都にテンノーってのがいて、ショーグンはそこの家臣にあたるので・・・」とまで説明して失言に気が付いた。 アメリカ側は「じゃあお前らは出先機関じゃないか。これからは京都のテンノーと直接交渉する」と極めてアメリカらしい当然のことを言い出しました。幕府は慌てて「いや、政権の全権はショーグンが持っていまして・・・」「全権を持ってるならなんで許可がいるんだ?」と話は実に面倒くさいことになってしまいました。 かように、日本社会というのは「誰が決定権を持っていて、誰が決断しているのか」がまったく不明瞭なシステムになっています。よくいわれますでしょ、日本企業は、役員やらお偉いさんがずらりと他社との打ち合わせにやってきて、散々話し合ってから「それでは、社に持ち帰って決定します」なんてやるってね。 だから誰が日米開戦を決意したのだ、というと、直接の決定者は時の首相だった東条英機なんですけれども、じゃあ東条による決断か、というとそうでもない。昭和天皇は日米開戦に反対だったなら、東条英機は天皇に抗ったのかというと、登場を知る人は誰もが「あれほど昭和天皇に忠誠心が篤い人もいない」と口をそろえる。 昭和天皇自身が東条の忠誠心は信頼していて、「俺に忠誠心が篤くて開戦派からも支持される東条なら、上手いこと開戦派を抑えて日米開戦を回避してくれるだろう」と期待していたそうです。 誰も望んでなさそうなのに、何も考えもなしに、決断しかねているうちに他の選択肢がなくなって開戦せざるを得なくなった、というのが現実だと思います。夏休みの宿題をやらないまま9月1日の朝になってしまったみたいなもんですね。

sirjet
質問者

お礼

コメントありがとうございます。確かに日本人は目標設定がヘタですよね。決まった目標に向かって進むのには長けてますが。

回答No.4

>はだしのゲン等で「天皇陛下ばんざーい!」と言って沖縄の崖から飛び降りる家族のシーン等ありましたが、その時の天皇が今の天皇(当時の昭和天皇)と同じ、と言う事実に違和感を覚えてました。 子供の頃は仕方がありませんが、質問者様は既にそれなりのお年のように思います。 なので、違和感を覚える前に、その情報の真偽を考察するべきだと思いますが。 【鬼畜米軍実録1 バンザイクリフの悲劇 サイパン 日本人が投降できなかった理由】 https://www.youtube.com/watch?v=IwAZsIbbq2I 【アメリカ軍の戦争犯罪】 https://www.youtube.com/watch?v=4nxOqeW4nCo >何故、日本は命を捧げた天皇陛下に対する戦争責任を追及しないんだろう?と。 まず、質問者様にとっての【戦争責任】 とは、 A:どのような行為を指すもので、何に対する責任なのか。 B:それは法的なもの(国際法か国内法か)なのか、道義的なものなのか。 C:戦争と言う行為自体についてなのか、負けたという結果に対するものなのか(勝てば責任は発生しないのか) ということを明確にしてください。 このような質問(この程度でしかないレベルの)は過去何度も以前もありますが、それらの質問者がそれを明確に定義した事はありません。 質問の範囲を明確にしないと、 回答せずに、 ごりっぱないけん を垂れ流す輩が出しゃばったり、ぼくのかんがえた戦争責任 の発表会になってしまいます。 以下は、戦争責任が対外的(外交・国際法的)なものとしての回答です。 国際法的としたのは、時代や国家どころか個人レベルでさえ異なる正義感やモラルやら道義で、「戦争責任」という言葉を弄ぶべきではないと思うからと、 情緒に走ってそれらをを語ることで日本を貶めながら、そんな事を考えられる自分をごりっぱな人間だと思い込むべきではないという理由からです。 回答:そもそも「戦争責任」という概念自体が存在しないからです。 また、質問者様は、立憲君主制や帝国憲法、国家と主権、戦争についての知識が足りないと思います。 日本は明治憲法で、天皇の権力を限定しています。(実質無力化) 主権の存在により、国家には自分より上位の法的権限を持つ存在はありません。 (国連は、憲章に合意した加盟国間の調停機関に過ぎません) 戦争とは、国際法で認められている交戦権の行使であり、相手国に自国の要求を武力で承認させる行為です。 外交とは手段が異なりますが、同じ国益を追求する為の行為であり、政治の一手段に過ぎません。 軍事裁判は「戦時に行われた国際法違反の行為」である「戦争犯罪」を裁くものに過ぎず、「戦争そのもの」は対象にできません。 そして、戦争犯罪は戦勝国や敗戦国の区別なく裁かれます。(少なくともWW1までは) 以上から、主権により国家を裁くことはできません。 その為に、まともな国家間での戦後処理は、何らかの条約(多くは講和条約)を結ぶことで国交が締結→戦争状態の解消となります。 そして、「条約」とは国家間の契約や義務を定めるもので、相手の非を晒し上げたり、責任を押し付けあうものではなく、終戦時の力関係で払うものを払って手打ちにするという約束です。 責任や謝罪という、片方が納得しなければ永遠に認められない曖昧な抽象概念を、終戦や講和の条件に含めた場合、両国の関係や国民間で怨恨が残り、その後に悪影響が出ます。 少なくとも、「日本の周囲の特定の隣国」以外はそう思っています。 以上から、戦争が国家の権利である以上、責任は発生せず、戦争という行為自体が裁判の対象になることもありません。 そして、国家の行為である以上、戦争指導者であっても、個人にも責任は発生しません。 (それ以前に、天皇が「戦争指導者」であったか?という問題もありますが) WW1以降は、侵略は国際法違反とされています。 しかし、侵略であったとしても、国家を裁く事はできず、前述の講和による戦後処理が必要です。 それに、大東亜戦争は侵略戦争ではありません(私はそう思っています) これについては↓の私の回答(No6)をご覧ください 【南京への侵攻は侵略だろう】 http://okwave.jp/qa/q8576568.html ↑では日本は日本人以外の在中外国人の保護を要請しています。 日本軍は無差別爆撃を行ったという意見がありますが、都市への爆撃については、「戦略拠点」であり違法ではありません。 しかし。この時、蒋介石は居住区に対空陣地を設置する等、住民を人質に取るような事を行っています。 日本軍は、住民への被害を減らす為に精密爆撃を心がけましたが、それによる自軍の被害が無視できなくなりなった為に、精密爆撃を止めざるを得ませんでした。 一部で日本の戦争責任とやらを裁いたと言われている東京裁判についてですが、 質問者様は東京裁判やA級の意味について、↓の事をご存知でしょうか。 1:判事は、国際法より連合国の意向に沿う判決を要求されていました。 (「法」以外の何かの「意向」が優先されている時点で裁判ではありません) 2:元A級戦犯の罪状である「平和に対する罪」が戦時中には存在しない「事後法」を適用している。 3:判事や裁判官に戦勝国側の者しかいない(裁判の公平性が保たれていない) 4:判事に国際法の専門家は、インドのパール判事しかいない。(パール判事は、日本の無罪を主張) 5:実際の審理も、連合国に有利な証拠は審理が甘く、敗戦国側からの証拠や弁護は認められなかったり却下されている。(これは、判決後、裁判に関わった者も指摘しています。) 6:戦争を個人の罪として裁いている。 6については、↓の動画で日本の弁護を担当したアメリカ人も指摘し、裁判自体の無効を主張しています。 (却下されていますが) 【A級戦犯は冤罪】 https://www.youtube.com/watch?v=sDTJVZheUwo 以上から、日本とその指導者個人を「戦争責任」という罪状によって裁いた東京裁判は、戦勝国の都合によるリンチに過ぎず、裁判ですらありません。 >当たり前ですが、他国市民を殺したり、慰安婦連行等を良しとする分析結果がでるわけ無いのですから そのとおりだと思います。 そ れ ら が 事 実 な ら ですが  事実か否かという問題を無視して「分析」する事には何の意味もありません。 日本は東南アジア諸国を植民地にはしていません。 白人から解放後、日本の主導したのは事実ですが、国力の違いによるものでそれを「支配」と解釈するのは歪曲です。 日本は、白人を排除した後に大東亜会議を開いて、彼等の自治を認めています。 【日本がアジアに残した功績の真実】 https://www.youtube.com/watch?v=Kiz7N4z7c3M マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員 「日本軍はマレー人を一人も殺していません。」と私は答えてやりました。日本軍が殺したのは、戦闘で闘った英軍や、 その英軍に協力した中国系の抗日ゲリラだけでした。 戦後も彼らは東南アジア諸国で影響力を行使しており、現地の反日運動=現地人の意志とは限りません。 2005年に天皇・皇后両陛下が戦没者の海外慰霊の為に、アジア諸国を訪問し、 パラオなどの太平洋諸島の多くは、両陛下を歓迎しました。 しかし、サイパン島では韓国人が訪問反対の反日運動を行っています。 これに対して、サイパンの現地人は「韓国人が天皇陛下に抗議するなら韓国製品をボイコットする」と抗議しています。 >外交・資源・経済・安全保障・国民生活等の広範囲な観点から分析すべきでは無いでしょうか。 ↑については、質問者様が知らないだけで、探せばあります。 >心は左だけど、頭は右、と言うのが正確かな。 ただし知識は皆無のようですね。 >天皇の戦争責任についてどう思われますか?

sirjet
質問者

お礼

コメントありがとうございます。「戦争責任」と言う言葉は確かに曖昧ですね。 (大きなお世話でしょうが、自分が思いついた言いたい事を言うより、相手に一番伝わる言い方を心がけた方が、更に説得力が増すんじゃないでしょうか)

  • DieMeute
  • ベストアンサー率70% (571/807)
回答No.3

>私は何かを見落としてますか? 回答・・・極東国際軍事裁判における東條英機元総理の宣誓供述を見落としています。 東條英機元総理の宣誓供述書を読めばわかりますが、1941年12月1日の御前会議での開戦決定について述べられています。そこで東條英機元総理は天皇陛下の立場も説明されており、内閣および統帥部からの上奏は拒否される事は無いのが慣行であり、それが天皇陛下のお立場だと説明されています。 そして、東條英機元総理の宣誓供述書をそのまま引用すると… 「政治的、外交的、および軍事上の事項決定の責任は内閣および統帥部にあるのであります。 それゆえに1941年12月1日開戦決定の責任もまた内閣閣員および統帥部の者の責任でありまして絶対的に陛下のご責任ではありません」 とあります。 さらには、この宣誓供述書の最後において東條英機元総理は次のように供述しています。 「すなわち敗戦の責任については当時の総理大臣たりし私の責任であります。 この意味における責任は私はこれを受諾するのみならず真心より進んでこれを負荷せんことを希望するものであります」 そういう訳で、東條英機元総理が開戦の責任も敗戦の責任も自分にあると証言し、さらには裁判で裁かれ処刑されているので、私としては責任の所在は明らかだったと思っています。 だから殊更、天皇陛下の責任について責めようとは思いません。 >また、戦争の整理についても、暇つぶしにでもご意見お聞かせ頂けたら幸いです。 日本が戦争に突入しなければならないような状況に追い込まれたのは、アメリカを怒らせたから。 なぜアメリカが怒ったのか? 1937年に日支事変が起きた時、アメリカ政府はすぐには中国に味方しませんでした。 日支事変発生を受けての九カ国条約会議の開催で、中国側が日本への経済制裁を提案した時、アメリカは反対に回りました。 なぜなら、日支事変発生によって、日本も中国もアメリカから購入する戦略物資の量が増えたからです。 つまり、戦争する両者に物を売ってぼろ儲けする立場にアメリカはいたのです。 だからアメリカは一方的に中国に味方する事はありませんでした。 その状況が変化したのは、中国大陸で日本が中国を負かすため戦略爆撃を開始したからです。 当時、アメリカは中国に多大な投資を行っていました。 それが日本の空爆で被害を受けます。 アメリカは日本に中国での空爆を止めるよう何度も抗議しますが、日本は受け入れません。 怒ったアメリカは日本へ徐々に経済制裁を開始します。 始めは空爆を止めさせるための飛行機関連の輸出停止でした。 しかし、日本の空爆は止みません。 しかも、日本は空爆での民間被害の補償は行わない方針を打ち出します。 さらに、爆撃を強化すると通告し中国にいる外国人の安全も保障しない方針を打ち出します。 アメリカの苛立ちはつのり経済制裁を日本に段階的に行いますが、日本の行動は止まりません。 しかも大東亜共栄圏構想という日本の植民地拡大政策と判断される政策を打ち出してきました。 そこでアメリカは中国への支援に乗り出しました。 アメリカが中国への資金援助を開始したのは1938年12月という日支事変開始より1年5カ月も経った時点からでした。 その後も日本はアメリカを怒らせ続けます。 1940年9月にアメリカがイギリスと防衛協定を結んでドイツを潜在的敵と見なせば、その二週間後に日本はドイツとイタリアと日独伊三国同盟を結びます。 アメリカが敵と見なしている國と同盟を結ぶのですから喧嘩売ってるのと変わりません。 怒ったアメリカは鋼鉄の対日輸出を停止します。 最終的には南仏印に日本軍が進駐してアメリカを決定的に怒らせ、アメリカの対日石油禁輸となりました。 この南仏印進駐はアメリカとの戦争になるから止めた方がよいと、当時の内閣の外相が止めたのですが、他の閣僚が甘い見通しで押し切ってしまいました。 そして石油を止められた日本は戦争の決断を。 戦争を回避できる道は色々なとこでありました。 日支事変初期にアメリカの言う事を聞いて空爆を止め被害も補償していればアメリカとの戦争は避けられたかもしれません。 日独伊三国同盟を結ばなければ、アメリカの経済制裁も少しは緩んだかもしれません。 南仏印に進駐しなければアメリカを決定的に怒らせるような事は無かったかもしれません。 「進むを知りて退くを知らず」 そういう人物達が政府と軍部を牛耳っている日本だから戦争になりました。 戦争回避できなかったのは、そうした当時の人物達の責任です。 どんな事にも限度はあります。アメリカにも許せる限度がある。 それを見誤り退く事をしなかった、政府と軍部の無能さが日本を戦争においやりました。 ついでに言うと、日本が戦争で負けたのは日本軍の幹部が愚かだったために負けたのであり、勝ち目はあったのにそれを取りこぼしました。

sirjet
質問者

お礼

コメントありがとうございます。確かに裁判供述等は読んでません、勉強になります。アメリカとの関係悪化の経緯も、どの本等が良いですか?

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.2

勝っていたら、戦争責任などおよそ問題にならなかった はずですね。 だから、これは負けた責任、ということになると 思います。 どうして負けたのか、どうして負けるような戦争をしたのか、 どうしてそのような立場に追い込まれたのか、 外交技術はどうだったのか、ということに なるでしょう。 そして、負けた責任だから、外国は関係無い、ということに なります。 従って、責任があったかどうかも、日本人が決める 問題です。 あれから70年経ちましたが、責任を追及しろ、という 声は遂に大きくなりませんでした。 これは、問題にしない、不問に付す、ということに 国民が決めた、ということではないですか。 法的に言えば、君主には責任が無い、というのが 国際的常識になっています。 これを 「The King Can do Not wrong」 と言います。 国王無答責の原則といい、世襲の国王はよいことも悪い事も 出来ない、ということで 世襲の君主には責任を負わせる根拠が無い、という ことです。 私的には、誰かが追求するんじゃなくて、天皇自ら 責任をとって欲しかったんですけどね。 そうすれば個人的にも尊敬できたのですが・・・・。

sirjet
質問者

お礼

コメントありがとうございます。

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    http://news.goo.ne.jp/news/asahi/shakai/20060720/K2006072001880.html 昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀 というのが昭和天皇のお言葉ですが、 終戦への過程とか、 戦争のなかで昭和天皇自分が自ら軍部を助ける面もあると思いますし、 それとも、旧日本軍は昭和天皇のみの為に戦うはずのでしたものの、 昭和天皇一人だけ「なんの責任ございません」ということはよく分かりません

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