- ベストアンサー
「この世と、かの世を、ともに捨て去る。」
こんばんは。 仏教についても造詣が深いご回答者の皆様に、またご教示頂きたく。 曰く 「この世と、かの世を、ともに捨て去る。」 これって、別に「かの世(が、あるから!)」とは言っていないと思います。 そのこころは?
- みんなの回答 (14)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
「とかく不条理で生きづらい世の中に対して諦観して執着しないようにしながら、同時に来生を当てにするあまり現生を自暴自棄に生きるのではなく、今ある生を自分なりにまっとうする」ということだと思います。
その他の回答 (13)
No.1です。 ウパニシャッドを読んでいたら、 ちょうど、 「人はこの世とあの世という二つの世界を獲得する。」 という、仏典とは反対の文章があったものですから。 No.1の回答に投稿した文章ではチャプター8の文章です。 チャーンドギヤ・ウパニシャッドの成立は仏教以前らしいです。 だから仏教というのはとことん既存の宗教や思想に反抗して いるのだろうかと、思ったのです。 英語を引用したのは日本語訳を打ち込むのが面倒だからでした。 すみません。 上の、チャプター7のほうの文章は アートマンを探求しているのに、仏教みたいだと思ったものですから ついでに引用しました。 老いや死や悲しみから自由になるためにアートマンを探求しろと。 でも、仏教は無我ですけどね。
お礼
kazamidori365様、ご回答ありがとうございます。 >「仏教は無我です」
未練を残さない様しっかり人生を歩めよ、という事だとおもいます。しかしながら、人々が来世にかける想いが軽くないのは事実だとおもいます。来世があるなしにかかわらず、そういう気持ちをわかった上で、たとえ現世で成功していたとしても、それに溺れない様に、また、来世を期待して現世をないがしろにしない様に、という意味ではないでしょうか。 これに関しては白鳥のたとえが有名ですね。よければ調べてみてください。見つかるとおもいます。
お礼
raintalk様、ご回答ありがとうございます。 「白鳥」いろいろ、あるようですね。 自分が白鳥なのか、と思えば、いやいや、自分が白鳥をどうこうしたとか、 なんでそんなに白鳥なのか、判りませんが(笑)
Chhandogya Upanishad http://www.bharatadesam.com/spiritual/upanishads/chandogya_upanishad_2.php Chapter VII — The Person in the Eye 1. Prajapati said: "The Self which is free from sin, free from old age, free from death, free from grief, free from hunger, free from thirst, whose desires come true and whose thoughts come true—That it is which should be searched out, That it is which one should desire to understand. He who has known this Self from the scriptures and a teacher and understood It obtains all the worlds and all desires. ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ Chapter VIII — The Doctrine of the Demons 4. Prajapati saw them going and said: "They are both going away without having known and without having realized the Self. And whoever of these, whether gods or demons, follow this doctrine shall perish." Virochana, satisfied in heart, went to the demons and preached this doctrine (Upanishad) to them: "The self (i.e. body) alone is to be worshipped here on earth, the self (i.e. body) alone is to be served. It is only by worshipping the self here and by serving the self that one gains both worlds—this and the next."
お礼
kazamidori365様、ご回答ありがとうございます。 なんだか訳が判りませんが、 「踊る阿呆に見る阿呆(躍りゃなソンソン)」というような印象ですね。
- 1
- 2
お礼
suzumenokox様、ご回答ありがとうございます。 「世」と「生」の使い分けに感心致しました。 >「(とかく不条理で生きづらい)世の中に対して諦観して執着しないようにしながら、同時に「来生を当てにするあまり現生を自暴自棄に生きる」のではなく、今ある生を自分なりにまっとうする」 もうちょっと、・・・と、 「世の中に対して諦観して執着しないようにしながら、今ある生を自分なりにまっとうする」 さらに重箱の隅をつついたら、「自分なりに」というのが浮かびました。 しかし、何処までも正直であるならば、「今ある生を自分なりにまっとうする」でしょうか。