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発達障害を免罪符にする行為

発達障害を免罪符にする行為について、どう思いますか? 個人的には、出来る限りは改善させた方が良いのは分かりますが、それでもダメだった場合、免罪符にする形でしか生きる術を見出せないような人達がいたら、その様な行為も止むを得ないと思いますか?

みんなの回答

回答No.7

以前、ラジオでDJやってたとき、皿回し(CD係)が発達障害の女で参りましたね。一刻一秒を争う生放送だというのに、こっちの出す指示を全然理解しない。指示どおりに動かない。あげくに、「曲順は1からですか」などと小学生でも訊かないようなことを訊いてくる。 要するに、自分の頭をまったく使おうとしないわけです。もしくは、使えない。そのワリに、こっちが注意すると、ひがんでスネる。反省するどころか、やけに傲慢でした。 まあ彼ら彼女らにも人権はあるわけで、だから職場に侵入してくるな、とまでは言いませんが、場合によりけりだと思いますね。人に迷惑を掛けないやり方で働いていただきたい。障害は、同僚のせいじゃありませんから。

回答No.6

職場内の話でしょうか? 他の方も言っているように、できないものはできないのです。 それを受け入れられる器になるか、会社の方針を換えてもらうしかありません。

  • JqqF
  • ベストアンサー率24% (159/656)
回答No.5

ご自身が、多数派に所属しているという傲慢さから、発達障害者へ一方的に障害を押し付ける行為は免罪されません。 発達障害者の障害は多数派と少数派の間にある障害であり、発達障害者自身に内在する問題ではありません。多数派の安心のみ為に、一方的に少数派に向けて問題を解消せよ我らを安心させよと要求するのが、あなたのいうところの「改善」です。 少数派は少数派であることを常としながら人類発生以後淘汰を生き延びた人種である。多数派は多数派であることに生存を担保した人種であるから、少数派を凌ぎたい気持ちは分からなくもないが、社会の勢力分布のバランスを一方的に破綻させたいとあなたが個人的に願うなら、いずれ淘汰されることを覚悟せねばならない。共存を求めないものは淘汰されるからです。この原則からは誰も逃れられない。 あなたの個人的な不平不満はご自由に。「発達障害者」と多数派から定義を受ける者達は、自身の在り方をもって生き延びることを、多数派に了承を得る必要は一切、無い。 私はアスペルガーである、あなたの安心が常に優先されると思うなかれ。

  • aymhfgy
  • ベストアンサー率43% (1472/3372)
回答No.4

私も彼らは免罪符にしているのではない、本当に出来ないのだと思います。 改善はしないでしょう。緩和出来れば良い方ではないでしょうか。 こちらの意識を変えないと、そういう人達が開き直ったり言い訳ばかりしているように思えて来てイライラしてしまうと思います。 根はもっと深刻で、彼らも必死だということを理解して、出来るだけ、こちらの基準でものを考えないようにしないと食い違いにヘトヘトになってしまうと思います。

  • E-1077
  • ベストアンサー率25% (3258/12620)
回答No.3

 程度の問題かな。  どういう障害なのか、どうして改善できないのか、その方法は間違っていないのか、正しい改善方法をとっているのか、すべてを試したうえで、ここだけはどうしてもだめというところだけなら仕方ないとは思う。  発達障害に関わらず、誰にでも当てはまるかもしれないけれど、自分の欠点を免罪符にするという考え自体が間違っていると思う。  やむを得ない場合はっていうのは最後の手段でしかないと思う。  発達障害と一緒にいるけど、免罪符にして逃げているというのはないみたい。  たくさんの発達障害を見てきているけれど、本人が自覚してというのはラッキーなケース。  特に大人になってから発達障害だと気が付いた場合は深刻だね。  向き合う人と向き合えない人に分かれる。  でも、表に出して・・・つまりは免罪符にして生きているっていうひとは今まで出会ったことがないんでわからない。    そういう人は発達障害じゃないとすら思う。  そこまで考えてないと思うんだけど。

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.2

指導力がないことを発達障害のせいにしてはいけないよ。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.1

 免罪符という事ではない。本当に出来ないのだから。  ただ、させるとなるとサポートが必要に成ります。そのサポートが無いから出来ないだけです。    発達障害でも色々ですから、程度の差もある。ただ、周りが理解してくれることで、出来る事はさせる。どうしても無理ならさせないという選択もある。誰だってそうだと思う。  昔は結構そういった人達を受け入れて、そして、上手にサポートしてきた。今は個人個人が自立している状態なので、自立できないという事での弊害も出ていると思う。仲間という考えが薄くなってきているとは思う。

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