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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:体罰について)

体罰についての議論とメリットデメリット

このQ&Aのポイント
  • 最近、体罰についての感情的な議論が目立ちますが、定義やメリット、デメリットについて考える機会が少ないようです。
  • 体罰の範囲をいじめや暴力と広げる考え方もありますが、体罰の定義が重要なポイントです。
  • また、体罰の効果は第三者に対する抑止力として考えられる一方、学校以外の社会でも議論されない理由についても考えてみましょう。

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noname#175206
noname#175206
回答No.16

>社会的な傷とは、停学・放校あるいは刑事罰などの経歴に傷がつく処遇を受けることの意味で書きました。  そのために未成年は保護されています。凶悪犯罪でも、原則として実名報道すらされません。刑法的な処遇はそうなっています。  義務教育では退学はありません。高校でも、よほどのことがない限り退学がないのは衆知されている通りです。停学は復学を前提とした処置です。どうやっても就学不能という事態とは何でしょうか。それを考えれば、それに対応したものが社会にあることはご存じのはずです。  殺人という極端な場合でも、未成年では成人とは比べ物にならない程の緩やかな処罰しかありません。処罰と言っても、教育という前提での処遇となります。知るには覚悟が必要ですが、「女子高生コンクリート詰め殺人」でネット検索すると分かります。これほど非道で冷酷な殺人者でも、未成年だったことで成人では考えられない緩い処分となっていますし、出所後は社会復帰もしています。 >(暴力でなく)体罰には、少なくとも一部の子供たちに対してはその様な処遇に至らないようにするための緩衝作用を期待できるのではないかと、個人的に思う次第です。  なぜ体罰に頼る必要があるかということになります。それは、プラスの効果を生む可能性はあります。しかし、マイナスの効果も予想しておかねばなりません。  さすがに相手を殺すつもりで殴ることはないでしょう。しかし、傷害というレベルのことが発生していることは、知られている通りです。体罰を是として行う者は、その辺りを罰の上限と考えているわけです。そこを頂点として、相手を虐待するわけです。体罰を日常的な行為と認識して行使するということは、厳罰主義ですからね。非日常的な行為だという認識なら、知られているような常態化は起りません。  例として学校ということにしましょうか。要は閉鎖的な社会環境です。高校生になっても、学園内が社会のほとんど全てのように感じていることが少なくないことは、私個人の経験に照らしてもそうだし、フィクションでの扱いや鑑賞者の態度や感想を見ても、明らかです。そういう環境で常態化した体罰がある。  それが、どういうことになるかを示唆する心理学的な実験はいくつもあります。代表的な2例をご紹介しておきます。 「ミルグラム実験」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%AE%9F%E9%A8%93  個人が他人を害することについて、どういう行動を取るかを示す例となっています。字手が絶叫するほど苦しんでいても、加害行動を続けてしまうことが、誰にでも見られるという現象です。確かに、そばに続行するよう迫る者がいるわけですが、学校であれば成果を求める保護者や学校管理職がいます。こういう状況は、どこの学校でもあるでしょう。 「スタンフォード監獄実験」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E7%9B%A3%E7%8D%84%E5%AE%9F%E9%A8%93  強い権限を持つ側が、従う者に対する態度を典型的に表す例です。看守と囚人という役割分担ですが、もちろん双方は演技としてそうするという認識があります。そうでいながら、実際の監獄以上に看守役は酷い行動に出ており、囚人役は従わざるを得ない感覚に囚われています。  確かに囚人役で抗議する者はいたものの、常識的には正当防衛を行使すべき状況でも、そうしようとしていません。外部から介入があって実験は中止されましたが、放置していたら死者が出てもおかしくない状況だったと考えざるを得ません。暴力を禁止する条件を了解して始めたにも関わらず、看守役はそれを破り、実験中止に対して不服まで唱えたわけです。  これらの実験には互いにほぼ対等な成人が参加していて、このような結果になっています。最初から権限も年齢も実績も格差がある状況では、推して知るべしというほかありません。  身体的行為に及ぶことを是認するのであれば、医療行為での医師のような厳格さが必要と申しました。それは、こういう状況を出来る限り防ぐには、それくらいは必要だということです。また、衆人環視という状況下でないと危険です。  さらに、虐待する者を調べると、虐待経験を持つことが知られるようになってきました。さまざまなハラスメントもそうですし、いくつかの依存症でもそういう現象が見られます。次代へ、あるいは同世代へ連鎖するわけです。そして、過剰な行為に苦しんで、治療を開始しても、ずっと苦しみ続けます。加害者と被害者が不可分になってしまっています。この連鎖を止める有効な方法は、未だに分かっていません。  一罰百戒ということは、有効な方法として知られています。それは、非常に限定的なものなのですが、どうもいつでも使える手段と誤解されているようです。  古くは孫子。その故事として、呉王に後宮の多数の美姫を兵として調練したことが有名です。命令に従わない美姫らに対し、二度教えても従わないと、呉王の寵姫二人(隊長役であった模様)を死刑に処したところ、全員が命令通りに動いたというものです。  これは戦争という非常事態が前提であるからです。軍紀が厳正でないと損害が大きくなるため、規律を維持するには極刑をためらうことができません。孫子は同時に「卒(兵士)を視ること嬰児(赤ん坊)の如し」としています。そして、最も大事な孫子の思想は、戦争をしないことです。戦争は禍々しいと述べ、百戦百勝は良くないと言い、戦う前に勝ってしまえと強調しています。  命がけという緊張は、たとえ普段は非常に大事にされても、長期にわたって維持することができないのです。戦争が常態化していた孫子の時代でもそうであったわけです。そういうことを強いれば、破たんします。平和が常態化している、今の良い社会では言うまでもありません。  そして、処断されるのは責任者です。一兵卒ではありません。諸葛孔明は、泣いて馬謖を斬りましたが、その部下らの責任は追及していません。スポーツなら、選手がうまくやれないために体罰を必要なら、まず監督やコーチが体罰を受けるべきでしょう。  土壇場に追い込むのが日本では好まれるようです。確かに実力以上のことができることもあります。よく言われるのが「背水の陣」でしょう。もう後がないなら、死力を尽くすものだという風に受け取られています。  それは韓信という名将が用い、戦勝後にもそのように語ったとされています。しかし、実際の戦闘は、全く違います。詳細は説明しませんが、城にこもる攻めにくい敵を城外におびき出し、野戦に持ち込めば必勝となる状況を事前に作り上げています。そして、わざと兵法で必敗とされる水を背にした陣を敷いて、それを侮った敵をおびき出して勝っています。  そうしたことが知られずに、闇雲に土壇場に投げ込めばいいという、まさに兵法に反することを美化してしまっています。常識外れと言っていいでしょう。死地に放り込まれたら、逃げたくなるのが当たり前なのです。孫子でも死地では戦う以外ないとして、勝つ方法を示せないでいます。そういう戦闘では、全滅に等しい敗戦例ばかりがあります。だから、兵法では背水の陣を敷くなとなっているのです。  体罰を頂点とする、暴力と虐待はそうしたものです。良い影響もないし、良い連鎖も生みません。古今に名言は多数ありますが、名体罰は伝え聞きません。体罰を受けても良い結果だという体験談をよく聞いてみると、体罰の後の口頭や模範を示した指導が良かったということでしかありません。  何が功を奏したか、どこが要点なのか、誤解しているのです。有名な故事を引き合いに出すのも、恣意的に都合よく歪めています。  殴ったこと自体に学んだのではなく、殴られて停止し、聞く態勢になり、聞いて、見て、それが効果を出したわけですが、ではなぜ殴る必要があったのか。怒鳴りつけても、普通は止まるものではないか。  しかし、そうならないわけですね。体罰を行使する者に聞いても、殴るしかなかったと言訳をする。それは、常に威嚇的に怒鳴りつけているからです。普段は穏やかに話しているからこそ、相手は怒鳴ると驚いて止まる。怒鳴ることは相手に圧迫感があり、緊急事態という認識を生じます。ストレスを受けます。それすら常態化しているわけですね。  そんな状況がいいんでしょうか。指導者が未熟なだけじゃないでしょうか。私は、そんなことは解消したいと強く思います。

t4schld8nc
質問者

お礼

大変な長文ありがとうございます。  ミグラム実験につきましては知りませんでしたが、スタンフォード監獄実験については聞いたことはあります。いずれの実験でも、また実際の教育現場でも、あなたの言われる通り社会的に閉鎖された環境であることが原因だと思います。その点で教育は改革されるべきで、話はそれますが、教育改革は喫緊の課題だと常々思っています。  また、あなたの仰る教育者の未熟性は、ニュースや現場でしばしば感じます。この点でも教育の改革が必要だと思います。あなたも言われているように暴力の連鎖の問題などから、単に知識や技術による教員評価だけでなく、(問題があると思いますが)出自にさかのぼっての評価も必要ではないでしょうか。  それらの改革が実施された上でも、なお且つ、統制された限定的な体罰は許されるべきと考えます。仰る孫子の例や2つの実験例でも従属させるという目的で、体罰(殆ど虐待ですが)の有効性が示されていると思います。また重大事態を示す緊張度としても、体罰は口頭注意よりも大きいと思います。平常時での緊張度域値の高さの如何にかかわらず、そのことは変わらないと思います。もちろん常態的に怒鳴るような状況は、体罰のオプション選択の確率を高めるため、絶対だめだと思います。  個人的な経験として、5歳ころ近所のあまり関わりの無い地域の子供たちに公園で、殴るけるではありませんが、いじめられたことがあり、今振り返って考えると十分死の危険もあったと考えます。口頭での抑止は全く効果がなく、力による抑止のオプションを当時持っていれば、安全を確保できた可能性を痛感しています。 知識や考え方などで、大変勉強になっています。大変ありがとうございます。

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その他の回答 (15)

回答No.5

 学校で、体罰という名で行われていることの多くは、教育的指導ではなく、比較的未熟で粗暴な教師たちが、単にかっとなって子どもや生徒に暴力を振るっている例が多いので、そういうものをなくすためには、学校での体罰は完全に禁止した方がよいと思います。  一方、社会において、殺人や盗みなどをして、他人に迷惑をかける人間をほっておくのは、もちろん困ります。なので、国家が、法律をきちっと作って、それに違反する人々に対して、公平な裁きの後で、刑罰を与えるのは、法治国家として当然のことです。  これは、弁護人をつけて裁判を行い、公正な手続きのもとで行われるので、学校で、粗暴な教師たちが、感情的に子供を殴るのとは全く異なります。  もちろん、学校で、子どもたちが、他の子どもたちをいじめたり、他の子どもや教師に対して暴力をふるったりして、しかも、口で叱っただけでは言うことを聞かないということもあります。

t4schld8nc
質問者

お礼

>学校で、体罰という名で行われていることの多くは、教育的指導ではなく、比較的未熟で粗暴な教師たちが、単にかっとなって子どもや生徒に暴力を振るっている例が多いので、そういうものをなくすためには、学校での体罰は完全に禁止した方がよいと思います。 オプションの一つとしては可能な選択だと思います。しかしそれでは余りにも殺伐としたものになってしまうように思うのは私だけでしょうか。そういうことになれば、極端な話では、すぐに規則にのっとって罰金や放校、ということになりそうな気がします。   一般社会でうまく機能している制度を縮小して学校社会でも適応させるようにする方法と、教育指導者に良くなってもらうというオプションの方が私にはしっくりします。

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  • deltaufp
  • ベストアンサー率39% (136/341)
回答No.4

体罰とは「こらしめのために、身体的な苦痛を与えること」です。 つまり、殴る・叩くといった身体に対して痛みを加え、苦痛を与えることは全て体罰と言えます。しかし、体罰というのはあくまで教育現場で使われる用語のようなもので、これを一般の場でやったなら暴行罪や程度によっては傷害罪になります。 禁錮刑や死刑は司法が行う刑罰なので体罰にはなりません。たしかに、身体的な苦痛を与える場合もありますがそれが許されるのは司法だからです。教育界を含め一般の世界は司法界とはかけ離れています。司法がやるから刑罰、権限のない人たちがやるから体罰や暴行罪、傷害罪などの罪に問われるのです。 個人的には、いかなる形であれ児童が身体的な苦痛を感じる(体力的に辛い苦痛とかではなく、痛みを伴うという意味合い)ものはすべて体罰であると思っています。 体罰が抑止力とおっしゃいますが、体罰がために児童が萎縮し正しいことも言えなくなるようなキツイ雰囲気になったとすればそれもそれで問題です。そうなってしまっては、児童に対する人権侵害になってしまいます。昔の先生は節度ある体罰を行なっていたそうですが、今の教員は節度がないので意味もなく「命令に従わないから叩いた」という意味合いも大きくなっています。これもまた、体罰は悪いといわれる一つの原因かと思います。 個人的には、体罰とは人権侵害であり暴行罪でありともすれば傷害罪であると思っています。細かい規定を定め早期に学校教育法を改正するか刑法を改正するか、もしくは新たに体罰禁止法などの法律を作り刑罰付きの体罰規制を実施して欲しいと思います。

t4schld8nc
質問者

お礼

>司法がやるから刑罰、権限のない人たちがやるから体罰や暴行罪、傷害罪などの罪に問われるのです。 その通りだと思います、法の元に人殺しをしても戦争や死刑として許されます。同様に体罰も規定すればよいと思います。難しいと思いますが・・・。もしかしたら教育者の人格を高めるのが一番の方策かもしれません。

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  • aki-la
  • ベストアンサー率24% (65/267)
回答No.3

なるほど。 禁固刑、死刑も体罰ですね。 必ずしも体罰が悪いとは思えないのも納得です。 中学生時代、もの凄く生徒に人気のある暖かい男の先生が、 どうしょうもない男子生徒(女性の先生などはなめられている し、授業に出ないとかザラ)を、廊下でガツンとやって お説教をし、泣きそうもない子がメソメソ泣いていて、 憎むべき体罰というよりは、愛情が染みた感じがした覚えがあって。 でも、それは駄目だろう、という体罰の方が多いのでは ないかとも思います。 そのあたりの「定義」が、極めて難しいのではないでしょうか。 刑事事件の裁判だと、窃盗なのか、詐欺なのか、殺人なのか、 情状酌量の余地がどれほどあるか、残虐性は、と裁かれますね。 もともとこの犯罪だとどのくらいの刑罰か、というのが決まって いる上に、個別に裁判もします。 体罰を行う前に、裁判をできるか、微妙な(愛情あるだのないだの) ものを定義できるのか・・・

t4schld8nc
質問者

お礼

定義は難しいと思います。お話しいただいたような仁徳のある先生ばかりなら、いわゆる体罰も愛の鞭になるのでしょうね。

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noname#175206
noname#175206
回答No.2

>最近、「体罰はOOだからあってはならない事だ」というような感情的な話題をよく見聞きしますが、  一律に感情的と決めつけるは間違いです。冷静に議論しているほうが多いでしょうね。冷静な議論は目立ちませんので、そういう印象を持ってしまったのではないかと思います。 >体罰の定義と、そのメリットデメリットをしっかり議論しているところを見たことがありません。  体罰と暴力の違い、暴力は身体的だけでなく、精神的虐待も含めて、議論されていますよ。 >たとえば、いじめのようなものや、些細なことによる純粋な暴力、あるいは昔からある規則違反による罰等をひっくるめて考えているような気がします。  気のせいでしょう。ごく一部には、そういう声が目立つこともあるようですが、考えてのものと思えるものはないようです。 >そもそも刑法での禁固刑や死刑は体罰とだと思いますので、学校での体罰がなぜいけないのかと思うのです。  全く異なるものです。現行の刑罰と、今問題とされている体罰は別物です。 >いじめや単なる暴力はよくないと思いますが、すべての体罰が悪いとは全く思えません。  悪いのです。学校法では明示的に禁止されているほどです。 >定義が大切だと思います。間違っているでしょうか、教えてください。  もう少し、事態をよく調べてください。また、厳密な定義は不可能です。体罰に限らず、ほとんどの法律条文は、それだけでは機能しません。それを運用する者の裁量が必ず入ります。法律では決まらないから、裁判制度があるのはご承知の通りです。 >また、体罰は本人にメリットがない、という話はよく聞きますが、体罰の効果は第3者に対する抑止力だと思っています。  第三者が誰を指すか不明ですので、お答えのしようがありません。第三者とは誰ですか?  もし、見せしめということでしたら、論外の暴論です。それが自殺者を出してしまった一因ですから。 >この事も学校以外での一般社会での刑罰の目的の一つだと思うのですがなぜ体罰で議論されないのでしょうか。  刑罰の話ですか? 体罰の話ですか? 混乱した話をされておられて、議論とは程遠いようですが。  体罰と呼ばれているものに戻りますと、身体的暴力と認識すべきです。そこに至るまでに、精神的虐待があります。  体罰、体罰と言っている現状は危険です。それは、下位者の生殺与奪を握った上位者の虐待という問題の、氷山の一角です。生殺与奪を握るということには、洗脳、あるいはマインドコントロールという、ゆゆしき問題も含まれています。  体罰という言葉に全てを押し込んで、問題解決が為されないままに、うやむやに終わろうとしています。これでは事件は再発するでしょう。何度でも、です。  簡単にお考えになられませんよう。そんなに単純な浅い問題ではありません。

t4schld8nc
質問者

お礼

ありがとうございます。 >体罰と暴力の違い、暴力は身体的だけでなく、精神的虐待も含めて、議論されていますよ。 調べてみます。 >全く異なるものです。現行の刑罰と、今問題とされている体罰は別物です。 別物であるなら、何故別物なのでしょうか。議論の根幹にかかわる重要な論点だと思います。 >第三者が誰を指すか不明ですので、お答えのしようがありません。第三者とは誰ですか? 第三者とはそのコミュニティー(学校なら生徒児童たち)に属する当事者以外の構成員のつもりです。 >刑罰の話ですか? 体罰の話ですか? 混乱した話をされておられて、議論とは程遠いようですが。 刑罰の目的です。体罰を刑罰と同一の理念で考えた場合には体罰も含めます。

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  • sinntyann
  • ベストアンサー率10% (67/641)
回答No.1

飲酒運転はいけない、タバコは吸っちゃいけない、道で遊んじゃいけない、川で泳いじゃいけない、 体罰はいけない、いけないものは、いけない、そのうちに、海で泳いでもいけないになりそうな。

t4schld8nc
質問者

お礼

自由とは、社会とは何ぞや、という問題になってしまいますね。

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