• 締切済み

膨大な数の中からミスを探すことは?

初めてこのような掲示板を利用します。 先日、職場の人との話の中で疑問というか腑に落ちないことがありみなさんの意見を知りたく 質問させていただきます。 パソコンのプログラムや何かの製品など新しいものを作るにあたり、その不具合やプログラム上の ミス等はできる限り少なくしないといけないのは当たり前のことだと思います。 その中で、人間があらゆるパターンや環境を想定して、ミスを探し出すという行為は必要不可欠だと私は考えます。 しかし、この「あらゆるパターンや環境」というのが膨大な数になり、すべてを網羅することができないという場合、ミスを探し出すという行為(=試験)は無駄な作業だと思われますか? 全パターンを人間が試験するということが、現実問題(日数・費用・人員数など)として不可能なとき、 そのできる範囲の1割のパターンでも想定し試験し、その中で何かミスが発見できたならラッキーで、見つからなかったとしても正常動作の確認として試験をやることの意味(たとえ1割であっても)があると私は考えるのですが・・・ 同僚は全パターンを網羅できないのならその1割を試験することに何の意味もない、寝ずに働いてみんなでがんばったという思い出が残るだけのことだ・・・と言っていました。 私の考え方が幼いのか、社会のことを何もわかっていないのか漠然と不安になり、質問させていただきました。わかりにくい文や例えだと思うのですが、回答をお待ちしております。

みんなの回答

  • ponta1971
  • ベストアンサー率30% (361/1191)
回答No.4

全パターンをどこまで想定するかにもよりますが、実際に全パターンをチェックしているプログラムの方が少ないんじゃないでしょうか。 例えば、数値入力の欄があるプログラムのチェックで延々と1から順番に数値を入れていって確認なんてしません。 普通は境界値とOK、NGの値を適当にって感じでしょう。 逆に、規定の値が設定されていて任意に変更できない場合は普通はそんなにパターンが発生しないかなと。 なので、1割はちょっと少なすぎ?という気もしますが、意味が無いことはないでしょう。 テストするパターンがあまりにもかたより過ぎていれば無意味になることもありますけど・・・。 >同僚は全パターンを網羅できないのならその1割を試験することに何の意味もない、寝ずに働いてみんなでがんばったという思い出が残るだけのことだ・・・と言っていました。 単に、仕事をしたくない言い訳にしか聞こえません。 言い訳でなく、本気でその様に言っているとしたら、自分で仕事のできない人間だと言いふらしているだけですね。

回答No.3

全パターンは無限です。 WEBアプリで「ボタンを押したらdosomething」という場合、 ボタンを押すか押さないか、のテストをします。 でも、もしかしたらボタンを押す前にスケベなこと考えまくって 邪念の一押しで押したら、違う何かが起きるかもしれない。 いや、それはないだろIPパケットのヘッダに念が入る領域はないし、 念を操作できる人がいたとしても念を操作できるデバイスはないだろ、と思われるかもしれない。 でも、わからないですよね、なんせ人生何が起こるかわからないんですから。 まだ解明されてない新しい自然法則があるかもしれないですし、可能性は無限ですよね。 だから、責任範囲を決めます。 そして、その責任範囲の中でのパターンは100%でないと無意味です。 製造物のテストというのは、既にそれぞれ確立されています。 ソフトウェアは若いですからまだまだなところもあるでしょうが、 それにしたってある程度は確立されてます。 勉強しましょう。 勉強してテスト可能と不可能を見分けれるように、 そして不可能な場合は範囲から避けるようにしましょう。

回答No.2

今まで学生で甘甘な生活をしていたと言うことですね。 1割試験をすると言うことは少なくとも9割は何が起こるか解らないと言うこと。 あなたがユーザーになったときそのような製品を買いたいのですか? テストしていないパターンでブレーキの効かなかった車に轢き殺されたり、昨日の人には効いたんですがねえなんて言う薬を飲まされて死んでも運が悪かったで済ませられるのですかねえ。

  • saltmax
  • ベストアンサー率39% (2997/7598)
回答No.1

検査で発見できない不具合によって 発生する故障や事故の種類が 重大な損害(人的、物的、金銭的、信用)になるかどうかが どういう検査方法で行うのか、 どれだけのコストや時間を費やすかの判断基準だと思いますが。 原価計算で必要な検査を省略しないと製品単価が確保できないときには 販売できない場合もあるでしょう。 >「あらゆるパターンや環境」というのが膨大な数になり、 想像力がないと想定するパターンも抜け落ちるので リスクマネジメントでは、その様な抜けも当然あるという想定の元に 不具合があっても重大な事故につながらないような 作り方や対策を講ずるのが普通ですが それでもすり抜けた欠陥によって 会社が危うくなるなんてことは良くあることです。 会社なんて簡単につぶれます。 考えうる限りの要素を検討した上で それでも抜け落ちる場合があるので 検査内容は物次第ではないでしょうか。 食品の混入物などはサンプリング試験ではなく 全数検査しますよね。 構造物の鉄骨の溶接検査なども数万点の箇所を全数検査します。 サンプリングでいい要素とそれではいけない分野があるってことでしょう。

関連するQ&A

  • 104問中ミス9個、この場合は?

    私は、ある検定を受けました。 とある本でしっかり勉強しました。 試験の結果104問中ミス9個でした。 ほぼ試験内容を網羅していると思う本でした。 9割少々試験内容を網羅していると言えると思いました。 9割少々をうまい言葉に変えたいです。 良い言葉を教えてください。

  • ミスばかりです

    今日アルバイト先でミスばかりをしてしまい凹んでいます。 大きなミスも小さなミスもたくさんという感じです。 そのアルバイトは2ヶ月ぐらいやっていて、最初の一ヶ月はミスだらけで ほぼ毎日凹んでいたのですが、少しずつ慣れてきて 最近はミスも少なくなってきた感じでした。 今日はいつもならミスらないのに・・・というようなミスもあり、 また、何をやってもうまくいかないって感じで、自分に自信がもてなく なりました。ミスの原因は惰性的なミス(いつもと違うパターンがきて ミスをするケース)や自分ではよかれと思ってやったことがミスったりと 踏んだり蹴ったりです。 なんか、自分は仕事的に無駄なところに力を入れて、 仕事的に重要なことにずぼらになったりしている感じです。 自分ではそのつもりでやっているわけではないと思うのですが・・・ バイト先はスピードも重要で早く早く!という雰囲気の中やっています。 そういう雰囲気の中、慣れてきた故、早くしようとして 重要なことをぶっ飛ばしてやっているからミスっているのかもしれません。 また私は、生真面目なので、仕事中はかなり真剣に成りすぎているので、 まわりが少し見えていないところがあると思います。 仕事に余裕があるときは冗談ぐらいいえるぐらいの精神的な余裕も なくてはならないと思います。 とにかく今、かなり凹んでいて、凹みまくっています。 こんなに自分でダメな人間だっけ?と思うぐらい凹んでいます。 どんくさくて、頭の悪い私にアドバイスをください。

  • 子供の数は半減でもいじめや不登校は2倍、実質4倍?

    理由は質の低い世帯の人間ほどぼこぼこ子供産み 今の若者は世界4番目に多い数の高齢者のせいで働いても働いても天引きが多く手取りが増えない超ストレス社会。 いじめはストレスの多い環境下に置かれると一気に増えるらしいが、ストレスなんてなくならない 子供の数は年々減っているのに いじめの数が増えてるってのは想像よりも遥かに割合が増えてるってことなんだろう いつの時代もイジメはあった なくなることはない 大人の世界でも 日常でもメディアでさえも平気でいじめと言われる犯罪行為をするわけだから 個人的には全て人間が増えすぎたから悪いんだろうなぁって 日本みても正直、個人的には262の生物学方程式はよくいわれるが 8割の人間は不必要(このうちの2割はむしろいなくなってほしい存在) 逆に8割の人間からは自分もそう思われる可能性大。 これが現実なわけです。 人間がいればいるだけ自分にとり有害無益な人間の数が多くなるので やっぱり日本も2千万、3千万ぐらいの人口が理想だったんだろうなぁって。

  • うっかりミス(凡ミス)をなくす方法(資格試験)

    私は、うっかりミスをしてしまいます。 とある試験の過去問をしたら、5つほどうっかりミスをしていました。 ・問題の中のある単語を見落としたために、間違った解釈をして答えを導き出した ・問題を勘違いして読んでしまい、間違った答えを導き出した、よく読めばわかるのになぜか勘違いして読んでしまった ・間違ったものを選ぶというのに、正しいものを選びそうになってすぐに気がついたがヒヤッとした ・問題にカラフルな絵があり、その絵の雰囲気で勘違いして答えを導き出した ・似た意味合いの単語が2つあり、理解するまでは似ていてややこしかった。今はもうよくよく考えればわかるのに、その2つの単語の間違った方を回答にしてしまった。 等ミスをしています。 ミスをゼロにする方法をアドバイスお願いします。

  • 稚拙なミスが多くて困ってます。

    こんにちは、 小さいときからスペルミスが多くて非常に困ってます。いま大人に成って、実際に仕事をしても、細かい作業になると、つまらないミスをしてしまうのです。例えば「あした」と書いたとすると「あたし」になったり・・・ドラえもんののび太が「のび太」と書こうとしたら「のび犬」になって笑いものになるシーンってありましたよね。将に同じようなケースが続いてて非常に困ってます。 小中学校の時、漢字と作文だけ、どんなに努力しても限りなく0点だったのですが数学理科社会はずば抜けて出来が良かったのを覚えてます。つまらないミスが多かったのと、私が極々普通に振舞って居たにもかかわらず、落ち着きが無くて変だと云われてよく仲間はずれにされてました。 ミスはそれだけで、他の仕事や言動は問題ないと自覚してるのですが、どんなに注意し、なんども確認をしてもミスを犯してしまい、自信喪失して、最後に「自分は駄目人間だ」と思い込む悪循環が続いてて何とかしないといけないなと考えてるのですが、それができず正直もどかしいです。 以前も、2度確認したにもかかわらずミスをしてしまった事がありました。同僚の中にも立ちの悪い人が私のミスの多さを悪用して自分のミスを擦り付けようとするのも居ます。 仕事で英語での文章を読み書きする機会もあるのですが、パソコンやる際にはすぐ修正ができるのでミスを隠蔽する事ができるのですが、イザ直接文章を書き込もうとすると綴りミスが非常に多くて、立派なこと言っても説得力をそいでしまいます。 仕事を辞める方向で話を進めてるのですが、辞めた際に、折角自由な時間が出来るので自分の弱点を補強しようと考えてます。 これは病気なのでしょうか、只の悪い癖なのでしょうか。 良い解決法はないのでしょうか? 私のような偏った人間に適した職や環境ってどんなところなのでしょうか?

  • 寝不足のときにミスしないようにするには?

    昔から眠りが浅く、夜中に何度か目が覚めてしまうことがあります。 そんなときは翌日は頭がぼーーっとしてしまい、仕事で単純なミス(電子メールを別の会社に送ってしまったり)や私生活での忘れ物(電車の網棚にカバンを忘れたり)などを連発してしまいます。 誰しも快適な睡眠が得られないとパフォーマンスが下がるとは思いますが、私の場合は「9割減」と言った感じです。 もはや数すら数えられない感じです(例えば、買い物しても意味不明な金額を手渡したりしてしまいます)。 コーヒーをがぶ飲みしたり体操をしたりしますが、効果がありません。 「眠くて仕方ない」と言うことは全くありません(そんなとき職場に布団があっても眠れないと思います)、ただひたすら頭がぼーーっとして自分で何をやっているのかわからくなってしまうのです。 皆さんは快適な睡眠が得られなかったとき、どうやってしのいでいますか?また、やはり単純なミスをしてしまいますか?

  • ミスを恐れず挑戦する事は大切ですよね?

    だいぶ昔の話になるのですが、中学時代部活内でミスをした結果陰湿なイジメや罵倒を散々されてとても辛い思いをした事があります。 部活内の人間の質もかなり悪かった記憶があるのですが、それ以来挑戦してミスをしてしまうかもしれないならもう挑戦自体するのをやめよう。と思う様になってしまいました。 もちろん理由はミスをした結果陰湿なイジメや罵倒をされるのを恐れた為です。 しかしそれ以来6年程が経つのですが、このままのスタンスで行けば自分は何一つ挑戦出来ず、やりたい事を出来ずに人生を終わらしてしまうのではないかという不安が最近強くなって来ました。 なので自分なりにこの様な結論を出しました。 「これからは周りに何人もの人と一緒に何か物事をする会社やスポーツ等の環境において、考えた結果いけると思ったらどんどんと挑戦し自分の可能性を広げていこう。もしミスをしても、何故ミスをしたのかをよく考え次ぎまた挑戦する時に同じ過ちを犯さないようにすればいい。当時は異常なまでに陰湿な行為をしてくる輩がいたがそれはそれ。精神年齢が低かった輩が沢山いた環境にいてしまった自分の選択のミスが招いた事で、当時の事をトラウマとして心に留めておくのは止めよう。常に挑戦しようという心構えで前向きに生きて行こう」 というものです。 この意見に対しての皆様の意見をお聞きしたいと思い今回質問させて頂きました。 回答お待ちしております。

  • 取り返しのつかないミス

    取り返しのつかないミス プロジェクトの主担当として製品開発に携わってきました 1年経って量産化に向けた段階に進んでいる中、大きな設計ミスに気づきました 気づいた、というのは正確ではなく改めて検証すると破綻していることが分かりました 大丈夫かどうか分からないが、何となく進めてきたためです 社会人として最低だと思います プロジェクトが終わる可能性があり、相当の損害を会社に与えそうです これまでも小さなミスを繰り返し、学歴だけの人間と言われて(思われて)きました そうするうちにミスを恐れるようになってしまいました ミスを報告するたびにあきれた顔をされました これ以上会社に迷惑を掛けれないと何度も辞職することを考えました それでも辞職しても意味がない、ミスを挽回しようと踏ん張ってはきました クビになるのは仕方ありません、しかし上司の首も飛びかねない事態で かつ多くの人を巻き込んだプロジェクトであるため、ひどい状況になるのは明らかです ミスを挽回することができるならがんばりたいですが、どう考えても無理です もう死にたいです 逃げや甘えであることは十分承知しています これまでも死を考えたことは何度もあります それでも死に対する恐怖と、親に対する申し訳ない気持ちで何もできませんでした でも、、、 まだ上司に報告していませんが、明日報告します 何の質問か分からなくて申し訳ありません 話を聞いてほしいだけなのかも知れません

  • バグの確認って

    通常、作成したプログラムなどの動作確認というのはどのような方法で行うとほぼ誤りが0になるものですか? PerlとPHPを独学で学びましたが、プログラム稼働後、思いもよらないミスが見つかったり、動きが正確に動いていなかったり、となかなか自分では全てのデバックをしきれず、苦慮しています。 全てのパタンを網羅、ができるときはよいのですが、それが100通り、200通りとなってくると、、、結局見逃してしまったり、、、 皆さんのコツやアドバイスがありましたら教えてください。

  • 闇の中にいた人が光を見たと言えるようになるには?

     まづ これは――哲学ですが――たとえを交じえての議論です。  (α) いくつかありえたのでしょうが もっともふさわしい手段というのは 神が人間となって 人間として――ということは人びとに決してその生前には 神であることが分かられずに 人間として――去っていくこと。だったのではないか。  ☆ このひとつの答えをめぐって 以下に説明をつけますので ご見解をお寄せください。  (β) ここで神というのは それをいま単純にこの(α)のごとく想定するというものです。   (γ) この命題は まづ論理を問題にしていると言わねばなりません。  その意味は 別の見方をしりぞけるものではなく 受けつけないという意味ではないということです。  ほかの見方による批判を歓迎するのはむろんのこと またほかの見解そのものについても 受けつけたいと思います。――その意味で (α)は単純にそういう想定だということになると思います。  (δ) さて 《人間として》というのは たとえばイエスの弟子たちも 最後にはペテロを初めとして全員イエスを裏切ったという事態に現われます。あるいは はりつけになったイエスはその脇腹を槍で突くと 血が出たということ。そして実際に 死を死んだということなどです。  (ε) 《人間として》でなければ――つまり もし神ならそこから降りて来いとローマ兵士たちにからかわれて 神として十字架上から降りて行き奇蹟を起こしたなら あぁ それは神だから出来る われわれ人間にはお呼びではないことだと見なされて 話はおしまいになるということですが 人間としてでなければ―― わたしたち人間の生活上の努力が 到底 最終の目的に達して完成することなど出来っこないとわたしたちが思ってしまう。あきらめてしまう。  重ねて述べれば キリストなる神として奇蹟を起こしたのなら 神だからそう出来るのだ われわれ人間には到底無理だと思い何ごとにつけても人びとは あきらめてしまう。  (ζ)  しかも 《神が肉となった人間として》でなければ――つまり神の子キリストがやって来たのではなく 単なる人間イエスとしてだけであったのでは―― 人に見させる光は ただの人間の能力としての理性や知性や感性の光にとどまってしまう。広い意味の芸術や科学の光だけになってしまう。  (η) 逆に言いかえると 神は 人間の《身と心》やその自然本性にそなわった能力なのではなくまたそれを発揮した成果なのではないと人びとが知る必要があった。神は 人間がこしらえたものではなく 非知であり非経験の場である。  (θ) 人間の能力としての啓蒙の光は 闇を照らすことは出来るかも知れないが この闇を晴らすことは出来ない。闇を晴らす光を見たと言えるようには まだならない。  (ι) しかもこの《人間イエスかつ神キリストの物語》は 大いなる虚構である。闇の中から光を見させたなら 用済みである。大芝居を打った。それによって 神をユダヤ民族だけのではなく普遍神として指し示した。普遍神と人間たるわれとの関係 すなわち 信仰を わが心なる《非思考の庭》として現わした。    という哲学を問います。よろしくどうぞ。  

専門家に質問してみよう