• 締切済み

家族との宗教の違い

学生です。 私の家は代々仏教です。 しかし、私自身は偶像崇拝する事が生理的に無理というか、とても抵抗があります。嫌です。 昔(小学生くらい)から違和感のようなものを感じていました。 中学生のころ神道の存在を知って、これだ!と思いました。 それからは真剣に神道を信仰し始めました。 ちなみに私の兄弟も皆、偶像崇拝を嫌い、神道を信仰しているそうです。 しかし、より信仰心が強めな年代である祖母に、「家は仏教だけど、正直言って神道を信仰している」と打ち明けたら、「家が仏教なんだから、仏教を信仰しなさい!」と、怒鳴られました。 考えたくはないことですが、もし万が一、事故などで自分が死んだとき、仏教式の葬式をやられたりしたら、ほんとにもう嫌ですよ。 学生なのでまだ家には逆らえる立場ではないのはわかりますが、それでも嫌です。 兄弟とは気持ちが分かり合えるのですけれども、根本が解決出来ないと言うかなんというか…。 家に神道を強制させたいわけでは無いのですが、理解してもらいたいのです。 自分が死んだときのためにも。 どうすれば、理解してもらえると思いますか? それと、偶像崇拝そのものが嫌いというのはおかしいのですか? アイドルとかそういったものが本当に苦手です。

みんなの回答

  • 00000136
  • ベストアンサー率14% (65/441)
回答No.3

死んでからどんな葬式とか気にしても意味ないよ。 気になるなら遺言書にでも書いとけば、なんとかなるんじゃないの。

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  • kandglose
  • ベストアンサー率90% (568/626)
回答No.2

全く間違っていません。むしろ清々しささえ感じます。 私はとりあえず仏教徒(浄土真宗)ですが、憲法の下信仰は自由であり、それ以上に 信仰心を他人がとやかく言う資格は誰にもありません。 >それと、偶像崇拝そのものが嫌いというのはおかしいのですか? 全然おかしくありません。 西方ではイスラム教は一神教で、偶像崇拝を厳しく戒め排しています。 キリスト教も元々は一神教で偶像崇拝をしない教義でしたが、布教を民族を超えて ヨーロッパ全土、更には全世界へ広げる際、その民族土着の信仰対象と融合して 「マリア信仰(カトリック)」や「イコン崇拝(ギリシャ正教)」という偶像崇拝を容認する 姿勢を取っています。 http://www.ozawa-katsuhiko.com/10christ_hikari/christ_hikari_text/christ_hikari07.html http://www.ozawa-katsuhiko.com/10christ_hikari/christ_hikari_text/christ_hikari04.html 翻って日本に戻りますが、日本に仏教が伝来したのは6世紀後半ですね。 その後政治的闘争を絡めた仏教定着の是非を問う蘇我-物部紛争を経て、聖徳太子の時代に 仏教は日本に定着していきます。 その後、奈良時代になってから、神道と仏教は西方キリスト教と同じような道をたどり 「神仏習合(神仏混淆)」という、双方が融合して信仰対象となる時代を迎えます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E7%BF%92%E5%90%88 上記URLの記述によると >715年(霊亀元年)には越前国気比大神の託宣により神宮寺が建立されるなど、 >奈良時代初頭から国家レベルの神社において神宮寺を建立する動きが出始め、 >満願禅師らによる鹿島神宮、賀茂神社、伊勢神宮などで境内外を問わず神宮寺が併設された。 >また、宇佐八幡神のように神体が菩薩形をとる神(僧形八幡神)も現れた[1]。 と、私たちが馴染みの神宮・神社でも神仏習合の動きが見られます。 その中で、「浄土思想の普及で、ケガレを忌避する神祇信仰に対しケガレから根本的に離脱する 方法を提示できる仏教の優位を示し、仏教上位の状況下において仏教側から神祇信仰を 取り込もうとする「本地垂迹説」に対し、鎌倉時代末期から南北朝時代になると、僧侶による 神道説に対する反動から、逆に、神こそが本地であり仏は仮の姿であるとする神本仏迹説を唱える 伊勢神道や唯一神道が現れ、江戸時代には朱子学の理論により両派を統合した垂加神道が誕生した。 これらは神祇信仰の主流派の教義となっていき、神道としての教義確立に貢献した。」 と上記URLでは述べられています。 そして明治維新を迎え、アジアをつけ狙う欧米列強に対抗して「和魂洋才」の精神的な柱として 日本は「神道」と捉えた明治政府は「神仏分離」を実施し、太平洋戦争を経て現在に至っています。 お祖母様に伝えて下さい。「家が仏教なんだから、仏教を信仰しなさい!」と仰いますが 「神仏習合」で仲が良かった時代が1100年もあったんだから、目くじらを立てないでも いいんじゃないかって。 それから、 >もし万が一、事故などで自分が死んだとき、 >仏教式の葬式をやられたりしたら、ほんとにもう嫌ですよ。 >家に神道を強制させたいわけでは無いのですが、理解してもらいたいのです。 >自分が死んだときのためにも。 >どうすれば、理解してもらえると思いますか? そこまで強い意思をお持ちでしたら『遺言状』をしたためて、万が一の際手をつけられるような しかし普段すぐに見つかって破り捨てられないような場所(自分の預金通帳の保管場所等)に 隠し持っていらっしゃってはいかがでしょうか。 形式は問いません。自らの意思(遺志?)をしたためた遺言分を封書にし、その表書きに 「遺言状」と記して、隠し持っていればいいと思います。 なお、遺言状は改めて書き直すことも可能であり、日付がついていれば、より新しい 日付の方の遺志が優先されます。 いかがでしょうか。

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  • KoalaGold
  • ベストアンサー率20% (2539/12476)
回答No.1

偶像崇拝も葬式も儀式であり、儀式は生きている人の為にあるようです。 儀式を通し心を投じる時間を、自分の本意に反して続けるのは気持ちのいいものではないでしょうね。家族内で宗教が割れてしまうとお互いにそれを押し付けることになります。 質問者様のご両親がなくなった際は仏教の葬式をするのでしょう。扶養家族である限りは催行する側が気の済むようにするでしょうね。子供が親より先に亡くなって葬式をするなと遺言されたらもっと親不孝な気がしますよ。 自分が先に死んだらもう好きなようにしてもらえば。最高する側にこだわりを残すのはさらなる親不孝です。

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