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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:廃仏毀釈の時代の周辺疑問がいくつか)

周辺疑問 廃仏毀釈時代の謎

このQ&Aのポイント
  • 廃仏毀釈時代の周辺疑問についてまとめました。
  • 廃仏毀釈時代の人々の宗教心や矛盾について解消されたのかについて考えます。
  • 廃仏毀釈と国家宗教の関連について学問的な理解を探ります。

質問者が選んだベストアンサー

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  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.1

ご質問全体は、「廃仏毀釈」と言うテーマを巡る専門書を書けるだけのテーマです。質問へのストレートな回答は私には不可能ですので、ヒントだけ。 簡単に言うと、明治以前は日本には、現在我々が知っている「神道」なるものは存在しなかったと考えて下さい。ですので「当時、日本中の人は、神道方式など何も知らなかった」のも当たり前です。存在しないものを知るわけがありません。廃仏毀釈によって仏教から分離され、儀式などが整備されたのが現在我々が知っている「神道」です。 「神道の元締め」ということに現在はなっている皇室も、明治維新以前は仏教(現在の神道を内在する)と密接に結びついていました。皇室の菩提寺といえる存在であったのが 泉涌寺 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%89%E6%B6%8C%E5%AF%BA です。 天皇にならない、あるいは4つの世襲親王家 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E8%A5%B2%E8%A6%AA%E7%8E%8B%E5%AE%B6 を継がない皇族男子は原則として全員「法親王」「入道親王」などとなって寺に入り、結婚せずに(子孫を残さずに)一生を終えました。 門跡 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80%E8%B7%A1 の中に「宮門跡」として記載がありますが、こういった寺院が、「法親王」「入道親王」の落ち着き先です。 上記のような「神道と言うものが存在しない。それで誰も困らない」状態で明治維新を迎え、なぜ「廃仏毀釈」なる「ムーブメント」「宗教改革」が巻き起こったのか、正直私も十分に理解しているとはいえません。 下記の本を熟読されると、ご質問への答えが見えてくるのではないでしょうか。幸い、新刊書店で買える新書判ですので入手が容易です。 他にはあまり適当な文献がありません。 神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103) (新書) 安丸 良夫 (著) http://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E3%80%85%E3%81%AE%E6%98%8E%E6%B2%BB%E7%B6%AD%E6%96%B0%E2%80%95%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E5%88%86%E9%9B%A2%E3%81%A8%E5%BB%83%E4%BB%8F%E6%AF%80%E9%87%88-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%BB%84%E7%89%88-103-%E5%AE%89%E4%B8%B8/dp/4004201039/

q_and_j
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。   素人のムチャぶりの質問に、丁寧にご教示いただけまして 恐縮するばかりです。  さっそく、岩波新書の黄表紙は買ってこようと思います。 素人は、  廃仏毀釈や、神道の勢力増などと聞きますと 江戸時代まで、仏教があって、神道があって、 従来劣勢だった神社神道が、明治維新に乗って、仏教寺仏を 巻き返した・・・ なんてイメージを持ってしまうのですが 全く違って  今のようなイメージの神道は無くて、仏教からある意味 細胞分裂してできたのが、神道だという流れの理解。  とてもわかりやすく、理解が進みます。 素人には、不思議なことだらけの「廃仏毀釈」なんですが 一番不思議なことは、みんなが不思議がらないことですネ。 だって、天皇家は、聖徳太子以来、仏教徒だったんですから・・。 どうもありがとうございました。 もうすこし、締め切りはお待ちしておきます。

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