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日本の原始社会におけるアニミズムについて

参考書に、「原始社会の人々の生活が、いつも自然の脅威と向き合っていたため、あらゆる自然物や自然現象の中に霊威の存在を認めた。原始社会に特徴的なこのような信仰をアニミズムという。」とあります。 仏教や神道やキリスト教なら、神社、お寺、教会があり、また崇拝する仏像やキリスト像などがあり、今日も信者がいるので理解できるのですが、日本の原始社会におけるアニミズムの具体的な遺跡だとか遺物、あるいはアニミズムの具体的な証拠というのはあるのでしょうか??? 

noname#247736
noname#247736

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  • nekosuke16
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回答No.6

追記。 (1)「神道の原点はアニミズムにあると理解してもよいのでしょうか???」 そう思います。ただ、現在の神社本庁による組織形態の中では、基本的には自然崇拝が原点にあるにせよ、社会構造が複雑化する中で国家像を構築するため「古事記」や「日本書紀」などの神話を通じてに天皇の祖先として天照大神などの神々を据え、組織的な骨格を創造しながら、本来の自然崇拝に人間的な権威を加えたかたちになりますから、この時点で既にアニミズムからは、かなりかけ離れていると思いますよ。 (2)「弥生時代から古墳時代にかけての「魏志倭人伝」中の「共立一女子為王 名曰卑彌呼 事鬼道 能惑衆」なんかは、一種のアニミズムの証拠と考えてよいのでしょうか???」 卑弥呼自体が政治的な立場にあったことと、「魏志倭人伝」にあるも民衆が高位の人間に対して跪いて礼をするような光景からは、鬼道 を含めて、たとえ卑弥呼に特殊な能力があったとして、弟(だったかな)を参謀とした本来のアニミズムとは無縁の政治的な一つの手段だったと思いますよ。 (3)参考書は、「あらゆる自然物や自然現象の中に霊威の存在を認めた。」 学者はそのように書いているのかもしれないけれども、その当時に生きていた訳もなく、それ以前に原始の生活に霊威や精霊といった言葉などはなく、また、自然に対する畏怖と敬意といったところで、さらにこうした言葉以前の話でしかない。 現代に生きながらも、無意識に神社や神道を通じて何かに感謝することで自ずと手を合わせる私達日本人と同様に、霊威の存在などということではなく、もっと単純に自然に対して向き合っていたのではないですか。

noname#247736
質問者

お礼

再度、ご回答いただきましてありがとうございます。知識が足りなくて、ご回答の趣旨を、まだ十分には理解できませんが、参考になりました。

その他の回答 (6)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10474/32932)
回答No.7

>宗教のことも、神道のことも、ほとんど知識がありません。 ここらへんにもちょっと知識があれば、他の回答者さんがいいたいことが理解できるかと思います。 人類学者によると、人間住むところ宗教ありなのだそうです。未開の部族みたいな人たちにも宗教はあるんですね。ただ彼らの宗教は体系化されてはいなくて、まさにアニミズムや呪術といったような素朴なものですが、「山の精霊が怒るからそういうことをしてはいけない」というような宗教的なものを持っているのです。 日本人の多くは宗教に無自覚で、「私は無宗教です」と平気でいいます。だけど神社やお寺で「宝くじが当たりますように」とお祈りをするし、親しい友達や家族が病気になればどこかのお守りを買ってきますし、結婚式では牧師さんの前で永遠の愛を誓い、お葬式ではお坊さんにお経をあげてもらいます。そういう宗教的な儀式をすることに違和感も嫌悪感も持っていません。 日本人は「なんでもあり教」の信者なのです。日本古来の神様も精霊も、外国の神様も、どんどん受け入れちゃうのです。だから仏教のお寺に七福神という仏教と全然関係ない神様が平気で祀られています。 質問者さんも「御神木」とか「御神体」と聞くとなんとなくそれには触れてはいけないみたいなのはお持ちですよね。そういうやつがアニミズムのひとつなのですよ。本当の無宗教の人は「御神木ゥ?ただの木じゃねえかよ」となるのです。

noname#247736
質問者

お礼

ありがとうございました。 ここらへんにもちょっと知識があれば、他の回答者さんがいいたいことが理解できるかと思います。……そうなんですよね。分からないから質問しているのですが、質問者の知識があまりにも乏しくて、「なんか質問者と回答者で堂々巡りをしているに見えます。」なんてことになってしまいます。「正確に伝える」ということの難しさを感じますし、また逆に、「意図が伝わらなかったことによって、別の新しいことも知る」ことができます。ありがたく、便利な世の中になったとつくづく思います。 人類学者によると、人間住むところ宗教ありなのだそうです。~~「山の精霊が怒るからそういうことをしてはいけない」というような宗教的なものを持っているのです。……人間にとって、「なぜ宗教が必要なのか???」、……一本指でキーを押しながら、気の遠くなるような命題にぶち当たったような気がします。 日本人は「なんでもあり教」の信者なのです。……そういえば私も。笑 アニミズムを否定しているわけでもないし、参考書を読まなくても、むしろ当然あっただろうと想像はしていたのですが、たまたま、他の某書を読んでいて、「しばしば日本の古来の宗教はアニミズムとされるが、そのような証拠はどこにもない。逆に……」とあったものですから、質問に至ったような次第です。

  • kappa1zoku
  • ベストアンサー率29% (334/1137)
回答No.5

なんか質問者と回答者で堂々巡りをしているに見えます。 あなたは「アニミズムの具体的証拠を」といい、回答者は霊気漂うこのような場所があるのだと語っています。 現代のように社が建設された神社以前は、巨石や巨木あるいは森そのものがご神体として祀られていたという記述を本で読んだことがありますが、それが証拠ですと言っても、それを証明する文献はその後の時代のものでしかありません。 原始社会に言葉や文字やそれを記録する媒体がないのですから、ないものねだりになるかも知れません。 結局のところ、僕らが向かうのは神話の世界だと思います。 つまり、『古事記』などで国土の成り立ちを語る際にのくだりなどにそれが見て取れるのではないでしょうか。 『古事記』池澤夏樹訳。 >国がまだ形を成さず、水に浮かぶ脂のような状態で、まるでクラゲのように漂っていた時に、葦の若い芽のように萌える勢いの中から生まれたのが、(ウマシ・アシカビ・ヒコジの神)と(アメノ・トコタチの神)の二神であった。 神の誕生と国の誕生が自然の中から生まれたと考えるのは、神=国=自然と考える土台があったからではないでしょうか。 また、神々のセックスという自然行為から、島がつくられ、神が作られるというのも、神と自然の力を同義に考えていたことに繋がるのではと考えます。 また、卑弥呼の時代のものとして権力・権威の象徴のように語られる鏡も、太陽という自然の力を背景にしていたのではないでしょうか。 あなたが示した参考書に「原始社会の人々が自然の脅威を感じて」とありますが、21世紀現代の我々も、いまだに自然の脅威を感じています。そして、それは現代科学によっても容易に解決できていないように思えます。

noname#247736
質問者

お礼

ありがとうございました。 原始社会に言葉や文字やそれを記録する媒体がないのですから、ないものねだりになるかも知れません。……そうなんです。アニミズムを否定しているわけではありませんし、原始の人々が自然を怖れ、敬ったことは、容易に想像できるのですが、「原始社会の人々の生活が、いつも自然の脅威と向き合っていたため、あらゆる自然物や自然現象の中に霊威の存在を認めた。」といかにも見てきたように言い切っているものだから、何か具体的な証拠があるのだろうか???という疑問でした。 神の誕生と国の誕生が自然の中から生まれたと考えるのは、神=国=自然と考える土台があったからではないでしょうか。……「古事記」は、まだ、さらっとしか目を通していないので、そこまでは読み取れませんでした。考えてみます。 また、卑弥呼の時代のものとして権力・権威の象徴のように語られる鏡も、太陽という自然の力を背景にしていたのではないでしょうか。……「鏡」の用途というのも、大変興味深いですね。 「原始社会の人々が自然の脅威を感じて」とありますが、21世紀現代の我々も、いまだに自然の脅威を感じています。……おっしゃる通りです。ただ、現代の「自然の脅威」には、人類の所業・驕りによる自業自得という側面も含んでいるように感じています。

回答No.4

現代でも信者がいるものとして沖縄の「斎場御嶽」とかが知られていますね。 あと、富士山を始めとする各地の山岳信仰も緩やかな信仰ながら自然崇拝 (Animism) の一つでしょう……関東地方には富士見ヶ丘とか富士見坂といった地名、富士山を模した小さな丘を持つ神社などが沢山あり、神社は土地神様として地元の人達が正月等に参拝しますから仏教やキリスト教信者の人でもある程度の自然崇拝を許容しているという事になりますね(^_^)/。 宗教とは呼べないかも知れませんが、Power Stone とか、ある種の物体に神秘性を感じて大切にする人がいるというのも Animism の一つと言えるでしょう……古代社会では勾玉とか鏡、刀剣、銅鐸、埴輪等がそれにあたります。

noname#247736
質問者

お礼

ありがとうございました。 「山岳信仰」……わかりやすい事例ですね。アニミズムというものが、現代に生きているということが、よく理解できます。 神社は土地神様として地元の人達が正月等に参拝しますから仏教やキリスト教信者の人でもある程度の自然崇拝を許容しているという事になりますね(^_^)/。……笑・日本人は、あまり一つの神様にこだわらないのですかねぇ。 古代社会では勾玉とか鏡、刀剣、銅鐸、埴輪等がそれにあたります。……アニミズムの証拠足りうるのでしょうか???質問する前に、例えば「土偶」だとか、「石棒」だとかも、頭の中で考えてみたのですが、アニミズムの証拠になりうるのかわかりませんでした。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.3

 #1です。補足です。 >>あらゆる自然物や自然現象の中に霊威の存在を認めた。……証拠はあるのでしょうか???……これって、「自然物や自然現象の中に霊威の存在を認めた。」ということですか???全く異なるんじゃないかという印象を持ちます。   僕には、神社、お寺、教会、仏像、キリスト像が、具体的な証拠だと思っているのが面白いです。まさにこれらの宗教を「偶像崇拝」にしている立場ですね。

  • nekosuke16
  • ベストアンサー率24% (903/3667)
回答No.2

仏教やキリスト教、イスラム教ということであれば、釈迦やイエスと弟子といった直接的な関係性や、宗教としての教義、経典、或いは、仏像やイエス・キリストの像、教会というものがあるし、イスラム教であれば偶像はないけれども、ムハンマドの名とコーランという経典がある。 つまり、それぞれの宗教には、人々が拠り所として集う場所と暗唱できる文字を残しているという意味で、既に人間としての村社会や文化が始まって以降の歴史という意味合いがある。 また、日本独特の神道については、貴方が書いているように「あらゆる自然物や自然現象の中に霊威の存在を認めた。」という意味で自然崇拝がその原点にある。 ただ、釈迦に至っては紀元前5世紀前後?という遥か昔であり、日本で言えば未だ縄文時代後期ということで、実際にどこまで村社会が発展していたかは分からないけれども、いづれにしても、アニミズムとは、そうした人間社会が登場する以前の宗教観。 そして、アニミズムの根底にあるものが、貴方の言う「自然の脅威」であり、だからこそ、自然の中にあらゆる霊威、つまりは、精霊のようなものを感じ取り、畏怖と敬意を込めて生贄を送り感謝の祭りを行う。 まだまだ、統制の取れた村社会や耕作という規模に至らない状況であり、現在で言えばアマゾンのジャングルに暮らす小さな部族社会によく似た構造の中で、自然を相手にした狩猟を生業とした時代に生まれた畏怖と敬意という意味では、宗教、宗教観というよりも、もっと以前の食料を与えてくれる自然に対する感謝という世界観。 したがって、偶像もなければ遺跡も教会もない訳ですから、もし、証拠があるとすれば、その時代、若しくは、現在のアマゾンの原住民にも未だに残る特別な能力を有する呪術師やシャーマンなどの存在と、こうした人々が行う儀式そのものということになるでしょうね。 つまり、人間の社会以前の原始の世界にあるアニミズムに物的証拠はないと思います。

noname#247736
質問者

お礼

ありがとうございました。よくわかりました。 日本独特の神道については、貴方が書いているように「あらゆる自然物や自然現象の中に霊威の存在を認めた。」という意味で自然崇拝がその原点にある。……宗教のことも、神道のことも、ほとんど知識がありません。神道の原点はアニミズムにあると理解してもよいのでしょうか??? まだまだ、統制の取れた村社会や耕作という規模に至らない状況であり、現在で言えばアマゾンのジャングルに暮らす小さな部族社会によく似た構造の中で、自然を相手にした狩猟を生業とした時代に生まれた畏怖と敬意という意味では、宗教、宗教観というよりも、もっと以前の食料を与えてくれる自然に対する感謝という世界観。……分かるような気がします。 したがって、偶像もなければ遺跡も教会もない訳ですから、もし、証拠があるとすれば、その時代、若しくは、現在のアマゾンの原住民にも未だに残る特別な能力を有する呪術師やシャーマンなどの存在と、こうした人々が行う儀式そのものということになるでしょうね。……時代は下がりますが、弥生時代から古墳時代にかけての「魏志倭人伝」中の「共立一女子為王 名曰卑彌呼 事鬼道 能惑衆」なんかは、一種のアニミズムの証拠と考えてよいのでしょうか??? つまり、人間の社会以前の原始の世界にあるアニミズムに物的証拠はないと思います。……分かります。ただ、参考書は、「あらゆる自然物や自然現象の中に霊威の存在を認めた。」と言い切っているものですから、何か具体的な証拠でもあるのだろうか???というのが質問の趣旨でした。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.1

 日本の原始社会におけるアニミズムの具体的な遺跡だとか遺物、あるいはアニミズムの具体的な証拠というのはあるのでしょうか???  今は西洋文化の吸収の結果痕跡は薄いものの、西都原(さいとばる)の古墳群を訪れた時の安らかさ、伊勢神宮の場所から受ける感じなどかと思います。  西行法師が伊勢を訪れて「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」と詠ったあれです。今でいうパワースポットに似ています。  https://www.compass-point.jp/kakugen/3334/  アニミズムは、「物」ではありませんから、その具体的な遺跡とか遺「物」は、無いのが当然だと思います。

noname#247736
質問者

お礼

西都原(さいとばる)の古墳群を訪れた時の安らかさ、伊勢神宮の場所から受ける感じなどかと思います。……これって、「自然物や自然現象の中に霊威の存在を認めた。」ということですか???全く異なるんじゃないかという印象を持ちます。

noname#247736
質問者

補足

あらゆる自然物や自然現象の中に霊威の存在を認めた。……証拠はあるのでしょうか???

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