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母の死へいただいたメッセージについて

noname#193975の回答

noname#193975
noname#193975
回答No.4

Wikipedeiaから引っ張ってきました。 「星の王子様」 王子が自分の星に帰れたのだと「ぼく」は考え、夜空を見上げる。 王子が笑っているのだろうと考えるときには、夜空は笑顔で満ちているように見えるのだが、万一王子が悲しんでいたらと考えると、そのうちのひとつに王子がいるであろういくつもの星々がみな、涙でいっぱいになっているかのように、「ぼく」には見えるのであった。 以上です^^ 僕は不器用でひとを慰めるのが苦手。 そんなとき歌の力を借りるんだけど、選曲ミスが酷いですよ。 失恋で落ち込んでいる女性を励まそうと飲みに誘って僕が歌った歌が『Just the way you are』 後から考えると「これって口説いたって誤解されないかな?」って。 幸い失礼な奴だとは思われずに済んだけど、それはその女性が前向きに歌詞を捉えてくれたからに他ならない。 『千の風になって』という歌も、受け取り方によっては残酷。 代わり身?映し身?目に見える物体に愛するひとはいない。 「大事なものは目に見えない。心の目で見ないとね」 風という目に見えないもののなかに感じてください。 そういった歌詞。 あなたが笑っていれば世界も笑う・・・?そんな歌もあったような。 ま、無神経な僕の回答だから大目に見て(笑) 質問者様が心で感じたことが全てです。 と、おもいます。 涙で曇った目で空をみないでね。 どうせ涙するなら笑い涙といきましょー! ってコレ回答になるのかな? 通報ボタンも笑いながらクリックしてね。

dyingswan
質問者

お礼

ありがとうございます。いろいろな感性の人がいるのだな、と分かりました。直接の 回答にはなっていないような気もしますが、嬉しいです。Just the way you are は私も好きですよ。

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