• ベストアンサー

聖書以外の資料

聖書は複数の資料を編集して 成立していると考えると 取捨選択された他の資料があるはずです。 聖書にもたとえば、 民数記 21:14 それで、「主の戦いの書」にこう言われている。「スパのワヘブとアルノンの谷川とともに、 21:15 谷川の支流は、アルの定住地に達し、モアブの領土をささえている。」 このように他の資料からの引用があります。 こういった聖書以外の聖書に関係する同時代の資料はどれくらい 発見されているのでしょうか?

noname#195588
noname#195588

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ultraCS
  • ベストアンサー率44% (3956/8947)
回答No.2

黙示録はヨハネの他にも色々あったはずなので検索してみました。 以下のサイトの「原始キリスト教の世界」という項目が参考になるかと http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/index.html

noname#195588
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 黙示録ですね。 紹介してくださったサイト参考にいたします。 >新約聖書の中では、まずマルコによる福音書13章およびその並行記事が黙示文学の系列に属する。 いきなり興味深いです。

その他の回答 (4)

回答No.5

旧約聖書の成立過程、四資料説とかあって、結構、面倒くさいんだわ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%9B%B8%E4%BB%AE%E8%AA%AC http://ja.wikipedia.org/wiki/3%E6%AE%B5%E9%9A%8E%E6%AD%A3%E5%85%B8%E5%8C%96%E8%AA%AC 聞くところによると、キリストの十字架以後のヤムニア会議(BC90年くらい)まで、旧約聖書の話は作られ続けられたとする説もあるそうだし、どこが旧約聖書なのだろうか(笑い)。 出エジプト記のモーセが川に流されたって話も、俗にいうアッカドの《サルゴン伝説》のパクリね。日本の桃太郎もそうだったりして。シルクロードを通って、日本にまで《サルゴン伝説》が届いた。 なっ、わけねぇか(笑い)。

noname#195588
質問者

お礼

桃太郎とか世界中に似た話があることについては また別に考えたいと思います。 一つの話があちこちに伝わったのか それとも地域や時代が違っても人間の発想が同じなのか とかいろいろ。

回答No.4

こんばんはです。 同時代といえるかどうかは怪しいですけれど、 旧約聖書、特に、創世記はそれに先行するバビロニアの神話を抜きに語ることはできませんね。 たとえば、ギルガメシュ叙事詩の大洪水に関する記述。  こう言って、彼はずっと昔、神々が地上におこされた大洪水の話をして聞かせました。知恵のある神エアが、どんなふうに風をかき鳴らして洪水を警告してくれたかを。。。。  七日目に、箱舟は世界の果のある山に乗り上げました。老人はもう水がひいたかどうかを知ろうと、まどから一羽の鳩を放ってみました。鳩はすぐに戻ってきました。とまって休む場所がなかったからです。今度はツバメを放ってみましたが、これもすぐに船に帰ってきました。最後はカラスを放ってやりました。カラスは戻ってきませんでした。 (世界最古の物語 H・ガスター 矢島文夫訳) 旧約聖書に記されている《ノアの洪水》の記述と何たる酷似。ギルガメシュ叙事詩からパクッとしか考えられない!! 人間が永遠の命を失ったのも、蛇のせいで、ギルガメシュ叙事詩と創世記では一致している。 ギルガメシュ叙事詩よりさらに遡る《エンメルカルとアラッタ市の領主》には、「昔、今は争っているけれど、人々は同じ言葉を話していた」といったような記述があり、バベルの塔の建設を阻止しようと神が人々の言葉を乱したというような記述との関係性も取り沙汰されています。 文献学的には、旧約聖書がバビロニアなどの神話からパクったと考える方が自然でしょうね。 旧約のダニエル書やヨハネ黙示録の《復活》や《最後の審判》、さらにメシア思想は、ペルシアのゾロアスターの影響でしょう。アヴァスターバビロン捕囚からユダヤ人を解放したのは、ペルシアの王さまだし。。。。 たとえば、Wikipediaのゾロアスター善と悪の対立を参照して。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E6%95%99 聖書、色々な先行思想や文献の影響を受けてんじゃないの。 そう考える方が自然だよね。

noname#195588
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうなんですよね。 ギルガメシュ叙事詩とか ゾロアスター教とか。 ジッグラト 私は旧約聖書の文献学に疎いから なんともいいようがないのですが、 旧約聖書の各文書が成立した年代と 並び順は違うみたいなんですよ。 もちろん創世記の中にある要素のいくつかは それだけ古いんでしょうけど。 具体的なことがそれ以上わからなくて。 なんでもアブラハムは実在しなかったとか。 ダビデ王朝のときに各部族をまとめるために作られた 人物だとかなんだとか。 モーセも実在したかどうか怪しい。 そうなってくると…。 ペルシャの王様キュロス2世 ユダヤ人からメシアと呼ばれた人。 エズラとネヘミヤのあたりで ユダヤ教は成立したらしい。 だからそれ以前の話がどうなっているのやら。 ヨシヤ王の時代に申命記が見つかって 宗教の改革をやったみたいですね。 イスラエルの宗教も一神教がある一方で 多神教にもなっていたりしたようです。 あとはキリスト教徒との関係で言えばヤムニア会議とか。 ヤムニア会議 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%A0%E3%83%8B%E3%82%A2%E4%BC%9A%E8%AD%B0

  • zebura23
  • ベストアンサー率30% (252/820)
回答No.3

旧約聖書の大半は 最古と言われる、 発見されたシュメール文書の円筒印章から引用されており、 それらがつなぎ合わされたり、削除され、書き加えられたりして 改竄につぐ改竄で編纂されたものです。 現代にシュメール語を読み解ける人がいなかった中で、 唯一ゼカリア・シッチンという考古学者がシュメール文書を解読しました。 彼は古代の文明が、 太陽系の12番目にあたるニビル星から来た宇宙人の影響を色濃く受けており、 シュメール文書と言われるものが 彼らのことを記したものであると述べています。 旧約聖書に出てくる物語がどのように編纂されたかについて、 また神が一人称ではなく「われわれ」となっていることなどを探ると、 非常に興味深いことがわかります。 興味がおありなら、「ゼカリア・シッチン」の書物をお読みください。 「神々・創造主の正体 アヌンナキという宇宙人」 「地球の主 エンキの失われた聖書」 「神々の起源と宇宙人」 「12番惑星ニビルからやって来た宇宙人」などがあります。 出版社は徳間書店です。

noname#195588
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%B3 宇宙人ですか。 神よりは説得力を感じる人が多いのかもしれませんが…

  • kaorukei
  • ベストアンサー率22% (2/9)
回答No.1

「同年代」というのがかなり難問ですね。 聖書が扱っている期間は、創世から西暦1世紀前後ですから、同年代といってもかなり幅があります。 旧約聖書の方はあまり詳しくありませんが、新約聖書でしたらかなりの数があると思いますよ。 確か、イエス・キリストについて扱った本がこの世で一番多いそうです。(ヒトラーが2番目らしい) また、ローマ時代にがっつり掛かっている書などは、ローマの歴史家が補完している部分がかなりあり、それらも参考資料として扱うことが出来るのではないでしょうか? 旧約聖書ですと、伝承として残っているものもかなりあるようです。 私が知っているのは、ノアの箱舟の逸話が世界中に残っているのだとか。 あとは、バビロニアとアッシリアの王様の話は考古学的発見が行われているのだとか。 とにかく数として表わせない量だと思いますよ。

noname#195588
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 数え切れないほどなんですね。 最近、聖書の権威はさておき 聖書だけを調べるのに無理を感じるので このような質問をしてみました。 聖書の成立には当然、 編集した人の意志や思惑があるので そういった偏りが他の資料から わかればいいのにと思っています。

関連するQ&A

  • 旧約聖書のうち最初に成立した文書は?

    旧約聖書のうち最初に成立した文書と、その時代のユダヤ民族の自治権について知りたいです。特に不都合がなければ 1)http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/nenpyou.html  2)http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/old-testament2.htm を教材として、お訊ねします。不都合があれば別の資料に従います。 1 1)によって、預言書の一つに「アモス書」があり、これが旧約聖書の最古の文書と考えました。いけませんか。 2 2)の11枚の画像のうち、聖書に記述が有ろうと無かろうと大筋として7割以上の確率で史実といえそうなのは何番ですか。全ての番号が該当しますか。 3 「アモス書」は2)の(7)の図に於いてアッシリアによるサマリア陥落以前、即ち南北王国に分裂していた時代に成立したと考えました。いけませんか。  この分裂していた時代のユダヤ民族の自治権は、どの程度と考えるのが妥当ですか。分裂していただけで独立した国家だったのですか。それとも他民族の干渉、支配を受けていましたか。この質問で全て知ろうというのは無理でしょう。大まかな話として、現在の日本並み、連合軍駐留時の日本並み、自治権は皆無(第二次大戦以前のゲットー内自治程度)のうち、どれに近いですか。 よろしくお願いします。

  • 悪魔を表す数字として、666らしいですが、聖書に書かれていたという以外

    悪魔を表す数字として、666らしいですが、聖書に書かれていたという以外、具体的に何の数字なんですか?

  • 聖書について

    聖書の正典は、本屋さんにたくさん置いてあるんですが 外典は置いてないです。 新約、旧約問いませんから外典が読みたいです。 どうやって探せばいいのでしょうか?

  • 聖書

    聖書、旧約聖書、新約聖書の違いについて教えてください。

  • 聖書

    私の、友人はキリスト教ですが、友人によると、聖書の中に、(白人が一番偉く他の民族は下等)だと言うことが書いてあると言うのですが、私は、信じられないのですが、その様に誤解を与えている、箇所がある文面があったら教えてください。

  • 聖書について

    わたしは以前、幼いときの掛かり付けの小児科医院が十字架を看板に小さく掲げて、そこの医院では待合室に少し小さめの聖書(といっても2cm前後の厚さのもの)が置いてあり、ご自由にお持ち帰りくださいと書いてあったので、大切にいただいてきたことがありました。ですが、その聖書を引越しで無くしてしまったので、また欲しいのですが、書店などで購入するのではなく、この病院のように無料配布していただけるところを探しています。 どのようなところでしたら頂けるのでしょうか? また、わたしは○○教などと教会に通ったりはせず、自分の心のなかで崇拝しているので、勧誘に関わりたくありません。(する側・される側ともに) 経験あるかた・ご存知の方教えてください。

  • 聖書って?

    新約聖書はイエスの弟子達によって書かれたらしいですが、旧約聖書って誰によっていつ頃書かれたんですか?

  • 聖書について

    全く無知ですのでこのような質問をさせていただき申し訳ありません。 最近ユダヤ人と日本人との関係している本を読んでいて、並行して聖書の関連部分を読んでいます。いくつかの疑問が出てきます。 1.キリスト教の方もBibleを読んでいると伺いますが、旧約聖書におけるユダヤの歴史を肯定してみえるのでしょうか。肯定していたのならなぜユダヤ人は迫害されたのでしょうか。ユダヤ人の方は新約聖書を肯定してみえるのでしょうか。 2.旧約聖書(ユダヤ教)の唯一神はヤハウェ(エホバ)ですが、イエスはヤハウェ(神)の子という意味ですか?ユダヤ教とキリスト教は同一神を崇拝している?ということでしょうか。 3.古代より聖書は欧米人をはじめ多くの人たちの精神的支柱になってきたと思いますがどのあたりの章を参考にしてみえるのでしょうか。 熟知してみえる方は当たり前のことと思いますが、大部分の日本人はこうしたことはよく知りません。冠婚葬祭時や祭り・行事の意味すらよくわかっておらず、セレモニー的な遊び的な意味あいが強いと思います。失礼ですが、欧米の方もよくわからないが日曜日は教会に行く・聖書を読む(日本人もよくわからないけど神社やお寺にお参りに行く・お経を聞く)ということもあるのでしょうか。 小さい頃に道徳的な内容ばっかり語る昔の人の(宗教的な)説教に辟易してしまい。ゆえに本質的な内容の理解をすすめられなかったのは人生において大いな損失だと思いました。説法とかお経とかは内容を理解するための入り口という印象です。粗雑な人間にはこうした基本の姿勢が必要だと思いますが、思慮深く物事を真面目にとらえる人間にはその次の内容の理解の方がより重要だったのではないかと思います。 現実にはまじめで思慮深い人に対して多くの説教がなされ、粗雑な人にはあまりされていない。理由は、真面目な人はおとなしいからよくいうことをきき楽だから。不逞な輩に教えるのは大変なためだからでしょう。しかし、これは社会的にみて明らかにおかしいと思います。 内容の理解が深まれば説教・お経など時に必要ですが、現代社会にどう生かしていくかの方により重点が置かれるという理解も可なのではでしょうか? ちなみにわたくし事ですが、先日父の葬儀があり、自分と同じぐらいの年のお坊さんがお経をあげてくださいました。お経時間は5分、足が痛いので正座はなし。その後、お坊さんがよく行っている行きつけのお店の話しで盛り上がりました。自分としてはこれでいいと思います。あまりに形だけにとらわれていても意味がなく、物事の本質とは何かについて心の中で黙考することの方がより重要だと思います。 私は30台後半の男性です。後半は個人的な意見です。中学から大学および卒業後とあまりに先生の説教が多く、学問の理解がなかなか思うように深められなかった自分の現実をみて少し感情的になってしまったと思います。

  • 聖書とは 何か?

     関連するすべての質問についてこの初めの問いをしておけば 問い求めが分かりやすくなるのではないか。  初めということは しばしば終着駅における結論になるとも考えられますが ともかく出発してみます。  むろん哲学としての問いです。  たたき台としては:  (1) 信仰とは何ぞやという問いについて 答えている。  (1-1) たとえば 《信仰が与えられるのは 血筋によってではなく 友情や義理人情など生活上のかかわりによってではなく あるいは人間の意志や努力や学識によってでもなく 無根拠においてである》と。  (1-2) たとえば 《理性や知識あるいは知恵によってではなく ひとは 信仰によってあゆむ》と。 哲学としては 《無根拠によって》という意味になるかと考えます。  (2) その信仰の対象である神は 非経験であり非対象である。ゆえに 無い神をいだくのも――つまり無神論も―― 信仰である。    (2-1) 《無い神》と《神は存在するというときの有る神》とが 《人間と非経験とのかかわり》としてその人の非思考なる姿であるという類型において互いに同じ信仰形態である。    (2-2) つけ添えるなら 《有る神》のその名も それが何であっても まったく問わないということ。名前の違いには 意味がない。  (2-3) 言いかえると 聖書は 新約聖書に到って そのアブラハム以来の神を経験世界の背景にしりぞかせた。  (2-4) 神は 良心と信教の自由なる公理にうちにみづからの身を隠した。言いかえると おのおの主観内面におさめられた。  (2-5) (ただし その主観の自己表現として 神の話をするなということではなく してもよいし それは 説明責任をともなった表現の自由にもとづきおこなわれる)。  (2-6) 無い神の話と有る神の話とが 同列にあつかわれる。  (2-7) いわゆるもろもろの民族宗教も 以上のような扱い方のうちに揚棄されて行く。  ☆ いろんな角度から捉えられていくかと考えます。ご回答の内容について 納得できるように質問者はたずね返してまいるかと思います。その点 つけ添えます。

  • 聖書53.1-5について

    私は今キリスト教のことを勉強しているのですが、聖書に書いてあることって、なんとな~く、感覚的には分かるのですが、何が言いたいのか、何を伝えたいのか、何を意味しているのかよくわかりません(;_;) そこで、イザヤ書の53.1から5までを今読んだのですが、なんとな~く感じるものはあったのですが、やはりよくわかりません(;_;)どなたか解説してしていただける方がいたら、よろしくお願いします(;_;)