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日本軍の出征時の服装について

pem42391の回答

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  • pem42391
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回答No.5

回答者 No.3 再びです。補足の質問にお答えしつつ、さらにもうちょい書こうと思います。 > 戦地で戦っている方たちは全員(在郷軍人も学徒兵も) > 国から支給された共通の軍服を着ていた 将校と准士官は軍服も軍靴も何もかも自分で金を出して(最初だけ軍からいくらか補助金が出るケースがありますが)用意します。ですから「国から支給された」というのは違いますね。下士官と兵隊は軍(=国)から軍服を貸与されました。支給っていうともらえるような誤解を受けますから、貸与と表現するほうが好ましいと個人的には思います。 以下は下士官と兵隊について書きます。 「在郷軍人」ってのはシャバにいる時の呼び名ですから、いったん「赤紙」などの召集令状を受けて「召集」され軍隊に入れば、そんな呼ばれ方は過去のもので“普通の兵隊(または下士官など)”です。「学徒兵」というのも、シャバの世界では当時のエリートだった高学歴者をシャバの世界がおだてた呼び名であり、軍隊の中での“公式的な扱い”は他の人と変わらない“普通の兵隊”です。徴兵により初めて軍隊に入った人と同じです(ただし、高学歴の頭の良い人材を下っ端の兵隊にしておくのは軍隊としてモッタイナイので、何ヶ月か兵隊をやらせたあとに「幹部候補生」といって将校になる特別コースに進ませることもありましたが、これは今回の服制とは別の話)。 初めて入営した「現役」の兵隊も、「召集」されて、二度目(人によっては三度目という場合も)の軍隊生活をする「予備役」「後備役」の兵隊も、初めて入営するが、やや低く見られがちな「補充役」の兵隊も、原則的にはみんな同じ“普通の兵隊”です。ですから原則として貸与された共通の軍服を着ていたということになります。軍服は一着きりということはなく、国内にいるときは軍衣と呼ばれる上着、軍袴(ぐんこ)と呼ばれるズボンの上下セットが3つぐらいは貸与され、手元で兵隊個人が管理します。だいたい状態がやや良いもの1セット、劣化しているもの2セットぐらいで普段の生活や演習では劣化しているものを交互に洗濯しながら使い、状態がやや良いものは外出や特別なときに使う「よそ行き」です。冬服と夏服の違いもあります(季節が違うときの服は部隊の倉庫にでも保管したと思います)。これが戦地へ行くとなるといちばん良い状態の軍服を着て出征し、他にいろいろ持って行けないのでそれ一着きりです。ただし戦地といっても常にドンパチやってる最前線ばかりではないですから、すこし安全な後方に駐屯しているときは輜重兵など補給部隊が持ってきた着替え用の軍服を手にいれて、交換して使っていた場合もあるでしょう。 以上が総論です。しかし、物事というものは総論があれば各論もある。各論として、「共通の軍服」といいますが、細かいことをいえば戦地によって気候が違いますから、寒い満州では防寒がしっかりした外套や防寒帽も含めた軍服一式だし、暑い南洋であれば防暑タイプの軍服です。厳密に日本の陸軍(あるいは海軍)すべてが「共通」というわけにはいかない、という答えになります。ま、同じ場所にいる同じ部隊の中なら「基本的には共通」です。 もう一つの各論があります。いま「基本的には共通」と書きました。なぜかというと年代によって軍服のデザインや品質が違うからです。陸軍の場合ですが、まず大きな違いとして昭和13年(1938)にデザインの変更がありました。上着がそれまでは立襟(学生服みたいな感じ)だったのが折襟(国民服と似た感じ)になりました。そして階級章は肩についていたものが襟につけるようになりました。また、パッと見ではなかなかわからないことですが、軍服の品質も年を追うごとにどんどん変わっていって、質が悪くなります(布地やボタンの材質や縫製の確かさ)。兵隊の数が増えたことと、何よりも物資が不足したことが原因ですね。襟の形や階級章の位置などデザインが同じでも年代が終戦の昭和20年(1945)に近づけば近づくほど品質は劣化していきます。そこで兵隊たちは年代の古い軍服を好んだという著述がよく見られます。ひとつには良い品質のほうが、やはり着ていて快適であるということ。もうひとつは古いデザインの軍服を着ていたほうが、いかにも歴戦のベテランのように見えてかっこいい。ですから下士官は当然、兵隊でも階級が上の者や軍隊の在籍年数が長い(部隊の中で立場が強くなる)者ほど、いろんな手段を駆使して「古い軍服」を自分に回してもらって着ていたようです。昭和14年~17年ぐらいの写真を見ていると、下士官の班長さんや上等兵が立襟の軍服を着ていて、階級章の星1つの新兵は折襟でペナペナな生地の軍服なんていうのもときどき目にすることがあります。襟のデザイン変更は太平洋戦争が始まる3年前ですから、戦争後半にはもう立襟の軍服は(戦地では特に)ほとんど手に入らなかったでしょうが、品質に関しては終戦まで良質の軍服を求める傾向はあったといえます。 最後に蛇足ですが、前の回答にも書いた「兵隊になっても軍服は“貸与”されるだけであって、もらえるわけではない」傍証の資料をリンクしておきます。昭和12年春に帝国議会の衆議院が「兵隊が除隊する際に、かわいそうだから一着ぐらいあげたらどうだ」と出した建議書の写しです。それはつまり昭和12年春までは、兵隊になっても軍服はもらえなかったことを意味します。その後どうなったという資料はすぐに見つかりませんでしたが、この建議書が出された直後の7月に日中戦争が始まり、日本は泥沼に入っていくわけで、国も軍隊も軍服をくれてやるほど財政の余裕はなかったと考えるのが妥当ではないでしょうか。 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C01001539600?IS_KIND=SimpleSummary&IS_KEY_S1=%E5%9C%A8%E9%83%B7%E8%BB%8D%E4%BA%BA%E3%80%80%E8%BB%8D%E6%9C%8D&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InfoD&

izabelk
質問者

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