- ベストアンサー
日本軍の出征時の服装について
pem42391の回答
- pem42391
- ベストアンサー率52% (70/134)
たびたびすいません、回答者 No.3 & No.5 です。No.5の回答において > 軍服の品質も年を追うごとにどんどん変わっていって、質が悪くなります > 終戦の昭和20年(1945)に近づけば近づくほど品質は劣化 などと書きました。誤解の無いように補足すると製造年が新しい物のほうが品質が悪いという意味です。「古い軍服を何年も着ていて擦り切れたり破れたりで劣化する」ということではもちろんありません。 製造年が古くても、何らかの事情で使用されずに保管されたまま(いわゆるデッドストック)とか、あまり頻繁に使用されておらず状態が良い、という軍服を下士官や古参兵は欲しがったと補足させてください。皆さんわかっていたとは思いますが、念のため。 ついでに > 戦後、戦地から帰ってこられた方は軍服のまま戻られた > 方が多いのでしょうか? これもドラマ等では国民服に > ゲートルを撒いたような服装の方が多いように思うのですが 戦地では軍服以外にないでしょう。敗戦のあとの戦地の日本軍は捕虜として米英中などの軍隊の監視下にありましたから、民間の服など手に入れる余裕はほぼありません。 そして日本行きの船が手配されたらそのまま詰め込まれて帰ってくる、その際に僅かな私物なども没収された人が多かったようです。No.3で私が書いた要領の良い人は軍の毛布をウンヌンという話も内地(国内)の部隊だろう、と修正させてください。 しつこく書きますが、兵隊と下士官の軍服は基本的に軍隊に返すものです。昭和ヒトケタの頃なら除隊のときも羽織袴とか背広とか、ちょっと良い服を除隊直前に送ってもらったり休日外出のときに持ち込んだりするのが許されたようで、それを着て除隊します。人によっては在郷軍人服を準備して、それを着て除隊したんでしょう。また日中戦争や太平洋戦争中も2年ぐらいでは簡単にシャバに戻してくれませんが、長年いれば除隊できる人はいました。そういう人は戦地にいても一度内地の留守部隊などに戻ってその後で除隊するので、内地の部隊でシャバの服を準備すればいいのです(戦争中は晴れ着なんか着る余裕はなかったでしょう)。敗戦後は軍隊が機能しなくなったので、軍服を返す相手がいないも同然ですから、軍服から階級章や徽章の類をはずして(そうするとちょっと国民服のように見えます)その格好で帰還するのが普通。終戦直後はそういう服のまま生活している人も珍しくなかったようですね、何しろモノのない時でしたから。そういう服を「兵隊服」とも呼んだそうです。 ドラマなんて、すべてテキトーなんで真面目に見るもんじゃありません。白黒時代の映画ならまだ多少は参考になりますが、カラーになって、まして平成以降なんてすべて“イメージ映像”でしかないでしょう。
関連するQ&A
- 太平洋戦争時の軍服って支給? それとも手縫い?
太平洋戦争の話題で、軍人の価値は○○銭(赤紙の葉書代)というのがありますよね? でも、よくドラマの出征シーンでは軍服を着て家を出て行ったり 駅から見送られるシーンがありますね。 それで思ったのですが、軍服はどうなっているのでしょうか? 昔の人は服を自分で作ったりしていたでしょうから女性が縫ってたりしてたのでしょうか? それとも赤紙の後に実は軍服が郵送されたり 役場とかで受け取ったりしているのでしょうか? 一つ一つの台詞の揚げ足取りをするつもりはないのですが 実情はどうなっていたのかお教えください。
- ベストアンサー
- 歴史
- 出征兵士が見送りの際に着ているのは軍服?
太平洋戦争に関するTVや映画などを観ていると、出征兵士が駅や玄関先で市民に見送られたりするシーンがよくあります。 そこで質問なのですが、この出征兵士はまだ入隊していないにも関わらず軍服のようなものを着ています。 これは軍服ではないのでしょうか? それとも入隊前に軍服が支給されるのでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 太平洋戦争の際の兵士召集について
こんにちは! 太平洋戦争の際の兵士召集についていくつか質問があります。 よく「赤紙が来る」とか言われると思うのですが、召集令状が来たのは良いとしても、軍服、銃などはいつ頃に渡されるのでしょうか?自分の家には太平洋戦争の際に、兵士として召集されサイパンで亡くなられた方の写真があるのですが、その写真にはしっかり軍服と銃を持って写っておられます。ということは、赤紙が来るのと同時にそういう物も貰えるのでしょうか? あと、赤紙を貰った場合、当然、とりあえず何処かに集まらなければなりませんよね?例えば、戦地へ向けて走る舟がいる港などに。その目的地へ行く際は、集団で行くのでしょうか?それとも、各自で行くのでしょうか?
- 締切済み
- 歴史
- 戦場に行った人行かなかった人
先日、TVで巨人の沢村投手の映画を見ました。沢村選手は太平洋戦争が本格化する前に一度海外の戦地へ出兵していて、巨人の選手として復帰して、再び出兵しているようです。(どこまで事実か確証はありませんが)、そこで質問ですが、太平洋戦争時、いつ、どこへ、誰が出兵するのか、どのような基準で決められたのでしょうか。当時、男性全てが兵隊として駆り出された訳ではないですよね。赤紙(適切な表現でなければすみません)が来る人、来ない人。希望して戦地へ行った人、そうでない人等いろいろな人がいたと思います。どのように決められたのでしょうか。よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 国民から見た『戦争』
またすみませんが、質問です。 太平洋戦争の時、日本の国民は戦争をどのように見ていたのか、本当に戦争に賛成していたのかを教えてください。大体、赤紙が着たら喜んでいたという感じがアニメや映画からするのですが、はたして本当なのか、変な質問ですが、お願いします。
- 締切済み
- 歴史
- 召集令状発行は陸軍ばかりか
戦時中の召集令状に関して質問です。 私が過去に戦争体験者から聞いたのは、実際召集令状が来て出征した先は中国、タイ、朝鮮、比島等で大方が「陸軍」でした。 逆に『海軍』は少なくとも私は聞いたことありません。海軍は兵を集めるのに召集令状なるものは発行していたんでしょうか。陸軍同様に地上戦を戦った部隊に「海軍陸戦隊」なる組織があったようですが、これを含め召集令状を受け取って赴任してみたら「戦艦大和の砲手になれ」とか「海軍爆撃機に搭乗し爆弾を落とせ」など言われた例はあるんでしょうか。 当時海軍の主力戦闘機のゼロ戦や紫電改などの航空機はさすがに訓練しないと操縦出来ないから、赤紙を貰って戦地に来た人が操縦したとは思いませんが、史実として海軍には赤紙なるものが存在して実際配属された人はいるんでしょうか。 戦記にお詳しい方、宜しく御教示ください。
- 締切済み
- 歴史
お礼
ありがとうございます。 No.3, 5も含め、ご回答くださった文章もわかりやすく、大変勉強になりました。 リンク先の資料も興味深く拝見いたしました。 ありがとうございました。