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日本軍の出征時の服装について

pem42391の回答

  • pem42391
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回答No.3

服装の前にまず、ハッキリとしておかなければならないことがあります。 シャバの世界から陸軍に入る場合、みんなが「赤紙」をもらったわけじゃないです。二十歳の時に徴兵検査を受けて甲種や乙種で合格し、数ヶ月後に予定どおり指定された部隊に入って(これが「入営」)兵隊になる人は「現役」の兵隊で、「赤紙」をもらわないはずです。そこで原則2年間、兵隊として努め除隊すると「予備役」となり、またシャバで生活するわけです。「予備役」の人は年をとると「後備役」という扱いになります。これら「予備役」や「後備役」でシャバで暮らしているひとを「在郷軍人」とも呼びます。それから徴兵検査のときに体が弱くて不合格だったり、合格でも兵隊の数が余っていて(大正から昭和ヒトケタの頃はそういうこともあった)結果的に「入営」しなかった人は「補充役」とされてシャバで暮らします。 昭和の始めごろなら、「入営」する人はシャバの服装で出かけますが、軍隊生活というのは人生の一大イベントですから、多少は気合を入れた服装として紋付の羽織袴であったり、背広にネクタイという格好の人が少なくなかったようです。このシャバの服は貸与される軍服に着替えたあとは荷物としてまとめ、「入営」に付き添って来てくれた人に手渡したり郵送したりでシャバに戻します。 昭和12年(1937)、日中戦争が始まると兵隊の数が多く必要となったので「予備役」や「後備役」の人をまた陸軍に呼び戻すために「召集」します。このときの「召集令状」のひとつが俗にいう「赤紙」。この召集はその後もずっと続き、昭和16年(1941)太平洋戦争の時代に突入していきます。初めはまだ年齢が若めの「予備役」から、そのうち戦争が激しくなって人員が消耗してくるとオッサンの「後備役」や、今まで「入営」経験がない「補充役」も「召集」されるようになりました。なお、「赤紙」ではなく「現役」として「入営」する人も戦争が終わるまで変わらずにいました。 「召集」されて軍隊に入るのは「応召」と表現する場合が多いようです。「出征」とは本来は兵隊が日本を離れて戦地に行くことを意味するはずでが、戦争が盛んになると、兵隊になることは近い将来に戦地に行くこととほぼイコールになってきたので、シャバから軍隊に入ることも「出征」と呼ぶことになったようです。 このときの服装は、すでに過去に厳しい軍隊経験がある「予備役」や「後備役」の「在郷軍人」の中にはプライドを込めて「在郷軍人服」という、階級章も付いた軍服そっくりの服を作って持っている場合があり、それを着て家を出ていった人がいるので、それが軍服と誤解されることが多いのではないでしょうか。兵隊や下士官の軍服は軍隊(=国)のものであり、軍隊にいるあいだだけ貸し与えられているものですから、シャバから軍隊に行く時に軍服を着ているのは(将校を除いて)話の辻褄が合いません。当時の日本は間違いなく貧乏国であり、兵隊になったからとしていちいち軍服をあげていては財政負担がとんでもないことになるということを考えてみてください。 また初めて軍隊に入る人を含め「在郷軍人服」を持っていない人の中にも、ちょっと見ると軍服っぽい「青年団服」や「消防団服」などを着ていく場合があるようで紛らわしいです。さらに昭和15年(1940)には「国民服」という、これまた陸軍の軍服に似ているものが定められた(奨励はされたが義務ではない)ので、それ以降、つまり太平洋戦争の期間中は今の目から見ると軍服と見間違えやすい服装が多かったと思います。大学・専門学校からの学徒兵は学生服でしょう。こういった服装はそれぞれの自由意志だと思います。 しかしながら、太平洋戦争も進んでいくと防諜(スパイに情報が漏れないようにすること)として、どれだけ兵員を増やしたか知られないためにあまり大っぴらに入営や応召を行わないように軍部からお達しがあり、言われるままに酒瓶を片手に浴衣がけで夕方に兵営の門をくぐって兵隊になったという著述を読んだことがあります。真偽の程は知りませんが。 最後に、戦地では軍人はもちろん軍服が基本ですが、憲兵の中には任務のために民間の服(背広や防暑服、時には支那服)を着て、頭髪も軍人丸出しの坊主頭ではなく、少し伸ばして七三にしている者も少なくなかったようです。また、軍服でも将校はふつうテーラーメイドの良い軍服を自分で誂えますが、質が良いために目立ち、狙撃されることが多いので安全のために兵隊と同じような安物をわざわざ着たと『ある陸軍予備士官の手記』(中村八朗著)で読みました。当時の日本陸軍は今の自衛隊や米軍と違い、戦闘の時もデスクワークの時も同じデザインの軍服だけです。飛行機に乗るような職種はもちろん例外ですね。 敗戦後はもう軍隊に気兼ねすることもないですから、階級章などを取り去った程度の軍服をそのまま着て復員したでしょう。そのぐらいは退職金がわり(涙)ですね、要領の良い人は軍の毛布などをいただいて帰ってきたようです。

参考URL:
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/tadanorih/20090822/20090822102518.jpg
izabelk
質問者

補足

ありがとうございます。大変参考になります。 ご回答くださった文章を引用させていただきながら、再度質問させていただきたく、以下お願い申し上げます。 >最後に、戦地では軍人はもちろん軍服が基本ですが、 戦地で戦っている方たちは全員(在郷軍人も学徒兵も)、国から支給された共通の軍服を着ていた、というふうに理解してよろしいでしょうか?

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