朝鮮南北分断に日本は責任がありません。南北分断が固定化したのは、朝鮮戦争が38度線で膠着し、休戦に至ったことの帰結ではありますが、それにも日本は責任がありません。朝鮮戦争当時GHQに統治され、自衛隊すらまだ創設されていない日本に関与など有り得ません。
順を追って詳しく説明しますと、1910年に日韓併合条約に基づいて、日本は朝鮮半島に朝鮮総督府を設置して統治してきましたが、大東亜戦争に至ります。
その大東亜戦争さなかの1943年に連合国はカイロ宣言で「朝鮮の独立」を日本に求めました。そして、1945年のポツダム宣言でカイロ宣言の遵守を改めて要求されたわけです。日本はポツダム宣言を受諾しましたので、その時点で朝鮮の独立を了承したということになります。
ポツダム宣言に従って、日本は朝鮮半島から撤退し、朝鮮半島の南半分の統治をアメリカに、北半分の統治をソ連に託します。その分担は連合国が主体的に決定したことであって、日本は関与していません。日本は枢軸国とみなされて、連合国の会議には参加させてもらえませんでした。つまり日本に発言権は無かった訳です。
そうしてソ連とアメリカによる朝鮮半島の暫定的な分断統治が続きましたが、米ソが今後の朝鮮半島の扱いを話し合っているさなかに、ソ連が傀儡の金日成をそそのかせて北朝鮮の独立を宣言させました。アメリカも対抗して傀儡の李承晩に独立を宣言させます。
こういう経緯で、北半分に朝鮮民主主義人民共和国、南半分に大韓民国が成立します。金日成はソ連をバックにし、李承晩はアメリカをバックにした。それも民族自決の形であって、朝鮮民族が決めたことなのですから異議を唱える道理はありません。
その後、金日成は中ソの支援を取り付けて、大韓民国に武力侵攻し、朝鮮半島の赤化統一を目指しますが、国連はこれを北朝鮮による韓国侵略とみなして国連軍を編成して韓国が壊滅する危機を助けました。
その時点での中国は国連としては中華民国なのであって、中華人民共和国は地方政権という扱いでありました。朝鮮戦争は中ソが北朝鮮を支援し、国連が韓国を支援したことで38度線で戦線が膠着して、休戦に至るのです。ソ連も国連安保理の常任理事国ですから、国連から侵略行為を非難された北朝鮮を表向きは支援する立場にはありませんでしたが、こっそり裏から支援していました。中華人民共和国は国連に加盟していませんし、人民が自分の判断で義勇軍として参戦していたと表向きは主張していました。韓国はアメリカが国連軍を主導しました。結局勢力が均衡して、南北分断が固定化したことになります。
もし朝鮮人民が朝鮮の統一を望むのであれば、その意志を示す機会はいくらでもありました。米ソの分断的軍政に対して、カイロ宣言の主旨に違反すると抗議デモをやろうと思えばできた筈です。日本統治化の1919年に三一運動で朝鮮民族は独立の意志を示しました。1919年にできたことが戦後にできない道理がどうしてあるのでしょうか。朝鮮民族が統一を望むのであれば、そもそも金日成の朝鮮民主主義人民共和国樹立に抗議することだってできた筈です。金日成の朝鮮分断策動は断じて認められないと声明すればよかったのです。それが通るかどうか別として、少なくともその意志を表明することはできた筈なのです。
李承晩はどうしてそうしなかったのでしょうか。朝鮮民族が統一を望むのであれば、李承晩の大韓民国樹立にも抗議すれば良かったのです。朝鮮民主主義人民共和国樹立に抗議しないのであれば李承晩に北朝鮮に合流せよと要求することだってできた筈なのです。
もし朝鮮人民が統一を望むのであれば、その意志を示す機会はいくらでもあった。しかし朝鮮人民はそうしなかった。
ここで視点を変えて、沖縄を見てみましょう。沖縄は戦後、米軍の軍政下に入りました。アメリカは琉球民族が日本に支配されていたといった認識を持っていました。アメリカとしては琉球民族を日本の圧政から解放したつもりでいたのです。しかし、それはアメリカのひとりよがりの幻想でした。沖縄県民は本土復帰運動で独立の意志などなく、自分たちは日本人なのだとアメリカに対して表明しました。沖縄県民は、アメリカの目論見に対して明確に否定の意志を示しました。それが沖縄返還につながるのです。
井筒和幸に問う。沖縄県民にできたことが、どうして朝鮮人民にできなかったのか。沖縄でできたことがどうして朝鮮半島でできなかったのか。その理由はなんですか?それはそもそも朝鮮人民に統一の意思などなかったからと考えるしかない。それ以外に解釈のしようがない。違いますか?
朝鮮の南北分断は、まさに朝鮮民族の責任なのです。
ではありますが朝鮮人民が南北で対立してしまったことの背景には、日本にも一定の責任はあります。日本は朝鮮の南北分断には責任は無いが、朝鮮人民が南北で感情的対立に至ってしまったことに関しては、日本は全く責任が無いとまではいえない。
というのは、日本は日韓併合時代に朝鮮半島北半分を工業地帯、南半分を農業地帯と位置づけて、産業的には異なる施政方針を持っていました。日本には朝鮮を分断する意志はありませんでした。それは南北の気象条件と地勢条件の違いに基づくのです。北が冷涼で農業に不適なのに対して、南は温暖湿潤で農業に向いていた。北が水力発電源に恵まれていたのに対して、南はまったく恵まれていない。
北では当時世界最大級の水豊ダムが1937年に建設されたのに対して、南には小規模な火力発電所があっただけでした。北と南の水力発電源の格差は、北と南の地勢条件の違いに起因します。それは当然ながら現代でも変わっていない。韓国には今でも水力発電所が一つもないのです。ここ大事です。テストに出ますよ。驚くべきことですが、韓国には水力発電所が皆無です。もちろん砂漠じゃないのだから水利はあります。しかし韓国では農業用水、生活用水を賄うのが精一杯であり、ダムを建設できる適地などないのです。
だから日本が北を工業地帯、南を農業地帯と位置づけたのは分断の意志によるものでなく、気象条件・地勢条件の違いに基づく合理的判断でもあったといえるのです。
余談だが、北朝鮮は日本統治時代に既に電源開発が進んでいたにもかかわらず、現代の電力事情は極めて悪い。それは北朝鮮が共産主義的運営の失敗で設備が老朽化し、部品交換などの保守も行き届かないからです。日本は膨大な工業インフラを北朝鮮に残しましたが、その後の手当てが足りずに稼働率が極めて悪いのです。
一方、韓国は水力発電源に恵まれなかった為、原子力発電の導入を積極的に推進しました。韓国はアジアでは最も原発依存度が高い国です。韓国の戦後の歴史は電源開発の歴史といっても良いぐらい。常に増大する電力需要を一生懸命電力供給が追いかけるようなイメージです。今でも韓国は電力需給に余裕がない。ほとんどの原発を停止させている日本より、はるかに電力需給が厳しい状況にあります。
そのようにして工業地帯の北の朝鮮人民が共産主義を支持し、農業地帯の南の朝鮮人民が資本主義を支持したという差が生じてしまったことに関しては、日本が全く関与していないとまではいえないわけです。
しかしそれを持って朝鮮分断の責任が日本にもあるという主張は乱暴な極論だといわざるを得ません。
質問者さんがそれをどう考えるかは私には分かりませんが、それはお任せする以外にない。(了)
お礼
ご回答ありがとうございました。 知識の乏しい私にもよく理解できました。