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鎌倉・室町、戦国、江戸時代の天皇 権威はあったの?

mekuriyaの回答

  • mekuriya
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回答No.4

寛政の改革を主導した松平定信は大政委任論を唱えました。11代征夷大将軍徳川 家斉の時代である。大政委任論とは幕府が預かる統治権は天皇から委任されたものだという政権の正当性を主張した理論です。それは徳川 家斉に将軍としての自覚を持たせようという狙いもあったのでしょうが、衰えつつある幕府の権威を、朝廷の権威を借りて、もう一度復興させようという考えがあったからなのです。もし天皇に権威が無かったら、大政委任論は何の意味を持つことができるでしょうか。徳川幕府は、神君家康公の威光によって権威を保ってきましたが、さすがに150年も経つと賞味期限切れになっていたということが背景にあります。17世紀の水戸光圀の時代までは、徳川の印籠を振りかざせば、庶民はははーと地べたにはいつくばった。しかし、11代征夷大将軍徳川 家斉の時代はもうそうではない。徳川の印籠には、もう効力が残っていない。権威とは、そういうものなのである。恐れを知らぬ現代日本人には権威という概念が何かを理解している人は少ない。中世ヨーロッパではローマ教皇が権威の根源であった。ローマ教皇から戴冠を授かれば、どんな馬鹿でも王様になれた。ローマ教皇が聖地を奪回せよと号令を発すれば、十字軍と称して、有象無象の軍勢が故郷を後にした。ローマ教皇自身は軍隊を保持していない。私兵を抱えてもいない。しかしローマ教皇が黒を白といえば、人々は皆それを信じた。それが権威ということなのだ。 南北朝とはなにか。建武の新政を裏切った足利尊氏が征夷大将軍に就任する為に北朝の光明天皇を擁立した。後醍醐天皇が征夷大将軍に任命してくれないなら、新しい別な天皇に任命してもらえばよいという発想なのだ。しかし後醍醐天皇は光明天皇への譲位を認めなかった。それが南北朝なのだ。現代人には、天皇から任命されないなら、自分で勝手に征夷大将軍を自称すれば良いではないかと考える人もいるかも知れない。しかし、それでは駄目なのだ。朝敵となってしまえば、全国の武士を敵に回してしまう。そうなれば、鎌倉幕府の執権を務めた北条氏のように討たれてしまう。 さらに時代をさかのぼれば、奢る平家が没落したのも、以仁王が源氏に平家を討てと激を飛ばしたことが発端なのだ。以仁王の令旨がなかりせば、源頼朝も世に出ることがなく鎌倉幕府を開けなかったに違いない。 ここまで説明すれば権威とは何か分かってもらえると思うのだが、どうだろうか。

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