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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:生きる為に生きる意味)

生きる意味と死後の存在について

このQ&Aのポイント
  • 地球上の生物は存在する理由がなく、生きる為に生きている。
  • 人間は知能が優れており、地球を制服しているが、その目的は人間自身の生きる環境を守るため。
  • 生きる為に生きることや死後の存在について疑問を持つ人もいるが、それぞれの意見がある。

質問者が選んだベストアンサー

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  • gungnir7
  • ベストアンサー率43% (1124/2579)
回答No.6

二つの命題を同時に質問しない方がいいです。 前者は自然科学ですが、後者は超心理学、または宗教の命題です。 折角ですから、紐理論からこじつけで説明してみましょう。 全ての世界は一様でつながっているというオカルトの理論があります。 彼らにいわせれば地獄も天国もなく、そこは全て繋がっているということです。 何が違うのか。波動が違うのだそうです。 同じ場所にいても波動が高いとより次元の高い世界に行けるのだとか。 だから明確に天国と地獄に別れるというのではありません。 死ねば終わりなのか、輪廻転生するのか、それは現代科学では証明できていません。 だから、それを信じるも信じないもあなたの判断でしかありません。 ただ、死後の世界などないと仮定して私利私欲に走って、実は死後の世界が存在した場合 死後の何万年と生存中の十数年の取引なのですから、被害は甚大なものになります。 現在の物質界にも天国と地獄が同一の場所に再現されています。日本と北朝鮮を見れば明らかでしょう。 日本と北朝鮮、片方は飽食という言葉が存在する一方、もう片方は飢餓との戦いの連続です。 日本と北朝鮮など距離にして数百km、この大宇宙からみればゴミみたいな距離です。 そのわずかな距離の違いに生まれただけで、天国にも地獄にも落とされるのです。 同じ物質界でも上下でこれだけ格差があるのですから、別の次元も似たようなものなのでしょう。 死んでも自我が縛られている霊というのは、次元の低いところしか出入りできない霊ということになります。 次元が高ければ、それは素晴らしい桃源郷があるのらしいですが、この辺にしておきましょう。

tilerurabi
質問者

お礼

〉二つの命題を同時に質問しない方がいいです。 そうですよね 私も後からそう思いました。 私が一番聞きたかったことは死後の有無でした。 ”死んだら終わりか”を質問するために 何故そう思うのかを説明を入れようとして 生きるために生きることに疑問はないのかなどと まったく繋がらないものになってしまいました。 実に最もな指摘ありがとうございます。 そうですね 確かに北朝鮮と日本は天国と地獄の差 分かりやすい 次元の低いところしか出入りできない霊などは自分で調べることにします。 本当にわかりやすい回答かつ指摘をありがとうございました。 とても勉強になります。

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その他の回答 (18)

  • agripapa
  • ベストアンサー率0% (0/46)
回答No.9

人間のおバカなところは生きる意味を作らなければならないところですね。 ・

tilerurabi
質問者

お礼

そうですね バカというか知識的に発達した性だと私は思っています。

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回答No.8

人間のえらいところは 生きる意味をつくったことですね 生まれたままではいけません 自分で意味、理由をつくらなければなりません 人それぞれでもいいのです 全員同じでなくてもいいのです だから地球には それぞれの人がたくさんいます 地球の人間みな同じ意味、理由で生きていたら つまらないでしょう? もっとも 同じ意味、理由があったとしたら その時点で 人間は疑問にも思わないでしょうね せっせとエサを捜すだけの一生でしょうね 勝手に自由に意味をもっていいところが すばらし、と思いませんか

tilerurabi
質問者

お礼

人それぞれでもいい 全員同じでなくてもいい 私も昔からそう思っています。 個性があってからこそ出会いが楽しいと思っています。 みんなが一緒のつまらなさはもう知っていました。 〉同じ意味、理由があったとしたらその時点で 人間は疑問にも思わないでしょうね あなたの意見に賛成です。 生きるために生きる意味は別に欲しいわけじゃないんです この世界から消えることができるのかなと思っただけです。 私のなかで消えるという方法は ”死”という一つの方法しかないんです。 なので死後があったら私は困るのです。

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回答No.7

物質に「目的」はありません。 しかし、原理的には無目的であるがゆえに、現象的に二次的に必然的に生じる目的というのもあるのです。 物質としての「無目的」は、現象的には淘汰(エントロピー増大)となり、二次的に存続する能力の増進=進化を導きます。 「いやオレは違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わって種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするように収束するのです。 一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、これも「オレの生きる目的は意志の充足じゃない!」と主張したところで、それも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。 その結果として、生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。 上記の“式”に「認識」やたらに出てきて、認識の深まりが充足感の追求において重要である事が分かります。 「精神的充足感のため」は、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、認識の深まりにおける、最大限の大きな目的、最大限の愛を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。 であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のためです。 生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。 しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう? 人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。 原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。 お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。 本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。 要するに今の人は、自ら喜び(自己存在の本質に根ざした生)に目をそむけ、他律的生=「苦痛から逃げる事による生」に堕しているのです。 (「助け合う喜び」から「奪い合って勝つ喜び(幻想)」への変質)         存在すること           ↓ 生きること(体)  +  認識を深めること(心)     ↓            ↓ 組織化(分業=助け合い)の追求:精神的充足量の追及     ↓            ↓ 自律的社会行動(生産)×社会生命的自覚化(愛) (エントロピー増大の反力としての反エントロピー) =生きること自体による充足=人生を通算した最大充足

tilerurabi
質問者

補足

今現在の社会は弱肉強食社会ということですか? 〉であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のため  〉人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のため 〉生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。 私は現代より原始時代の方が幸せだと思っているのです。 現代はお金で動いていますが 原始時代は物々交換だったからです。 今でも貝殻などをお金のような感じで物々交換が行われている国が あるそうなんです。 悪魔のツールをどうしたらよいのでしょう。 私が思うに精神的充足感を消し去ってしまうような社会 教育や常識が精神的充足感を紛らわしているのかなと思いました。 でもこの社会生きていくのにお金は最大限に重要なものだと思います。 精神的充足感の前に生きていけるかというか 弱肉強食になってしまってから精神的充足感を考え直すにはというか ブータンのように弱肉強食的な社会ではない国もあるということです。

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回答No.5

20代女です。 私も20歳くらいまでは同じような事を悩み続けていました。 何のために生きているのか? (今の自分は)望んでもいないのにいつの間にか勝手に生まれていて、 なんで100年近くも苦労とか努力とかを強いられて生きなければならないのか? 生きる意味はあるのか? といったような事を、延々と… もしかすると、質問者さんとは若干感覚が違うのかもしれないですけど。 25歳に近付いていっている今、やはり生きている理由はわかりません。 しかし、前ほど悩むことはなくなりました。 どちらかといえば、悩んでも答えが出るものではないと思いました。 また、生きるために生きるだけじゃなく、 生きるからには、何か意味を持たせようと思いました。 (自分で死なない限り)生きなければならないなら、 死ぬときに後悔しないような人生にしようと思いました。 大げさでクサイ発言かもしれないですが、 そう思ったら、少しはちゃんと生きてみようと思えたんですね。 大人から、~の頃は、という言い方をされると何か腹が立つし、 嫌な気分になってしまうかもしれませんが、言わせてもらいますね。 やっぱり、中学3年生ってよく悩んでしまう時代だと思いますよ。 子供と大人の中間くらいの時代ですよね。 すぐ死にたいと思いますよね。 私も思いました。いや、今でもよく思いますが(笑) 頑張ってあと5年ちょっとは我慢してみませんか? 20歳くらいになったら、なにか考え方が変わってくるかもしれないです。 やっぱり、世間一般でいう「大人」に近付いてくると、 心が老けてくるというか、何かが変わってきます。 20代の私から見れば、中学の頃はずいぶん馬鹿みたいなことで 悩んだり泣いたりもがいていたなーと思います。 質問者さんも、どうなるかわかりませんが 何かが、変わるはずですよ。 それから、私は霊が見えませんが もしかしたら本当にいるのかもと思っています。 それで、質問者さんの意見を読んで、たしかに亡くなった人は 霊として存在してるのかな…と思いました。 でも、改めて今よく考えてみると、 もし全ての亡くなった人が霊として現世にとどまっているならば それこそ人類が始まって以来のすべての人間が存在していることになります。 霊が見える人からすると、現世の人さえも見えないほどに 空間中を霊が埋め尽くしてしまうくらいに居ることになってしまうと思います(笑)。 たぶんそれはないですよね。 なので、恐らく霊能者の方に見えているのは想いが強いとか、 なんらかの理由のある人だけなんじゃないでしょうか? 生きていたときに納得のいく人生を終えられた人は、 輪廻転生というように、また新しい人生を始めているのではないでしょうか? すごく主観的で抽象的な長文になってしまいましたが、 自分がおかしいとか、そんな悲しいことを思わないでください。 今は悩みたいだけ悩めば良いと思うんです。 それで自分なりの答えが見つけられることもあると思いますし、 いつかそんな自分を笑うこともできるかもしれません。 あんまり思いつめないで、もっと肩の力を抜いて生きてみませんか?

tilerurabi
質問者

お礼

お優しいお言葉を私なんかにありがとうございます。 生きるのに理由はないからこそ 消えたいと思いました。 地球や社会は生きてるものの問題で そこから居なくなれば別に問題でもなんでもないと思いました。 居なくなのるのは簡単なのでしょう。 しかし居なくなってからも世界が続いてもらっては困るのです。 死後なんてとんでもない。 生物学的に強い遺伝子を残すためとか 自然界って強者だけが生き残るようなものじゃないですか なぜ人間がいろいろなものを観察したり研究したりするかっていったら 後者の人々に知ってもらいたいだとか 受け継いで欲しいというものだったりだとかと思いますが なにがしたいんだろうと思ってしまったのですよ。

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  • agripapa
  • ベストアンサー率0% (0/46)
回答No.4

言ってることが臭いんだよね... ・

tilerurabi
質問者

補足

死後とか地球とか人間は~とか生物は~とか そのへんのことでしょうか?

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noname#158730
noname#158730
回答No.3

>何故みんな生きる為に生きてることを不思議に思わないのですか? 「生きる為に生きている」と考える時点で その人は何の楽しみも持っていない・・ということではないでしょうか? 私は、自分の楽しみの為に生きている、つもりです。 >それは死後が存在するわけで >死んでもなお自我と魂が縛られてるわけですよね ということは あなたは「死後」とか「霊魂」とかを信じているのですね? 私は人間に「死後」なんて無いと思っています。 昔、臨死体験?に近い体験をしたことがありますが 何もありませんでした、霊魂となってさまようことも 地獄も、天国も、そもそも何もないのですから 感じようがありません。 死後とか、霊魂、とかは今生きている人の為にある言葉だと思っています。 どんな死期を迎えたいのか? 周囲にどんな風に見送ってもらいたいのか? 考える為にあるのだと・・・ >誰か中3の無知な脳みその私に教えてください >地球の生物は >道路のいたるところに石ころが偶然落ちてるように >別にそこにある理由もなく >存在する理由もなく 無知が故の考えだと思います。 石ころが何故そこにあるのか? どうやって石ころというものができあがったのか 無知にも程があるでしょう・・・ ですが未だ中学生ですよね これからですね。 >そもそも死後などとほざいてる時点で頭が可笑しいと思いますが 他人を、嘲笑する前に、自分の知識を増やしましょう。 他人を笑っているつもりかもしれませんが 実は自分の恥を振りまいているだけ・・になってしまいます。 現代では他人を ・嘲笑する ・卑下する ・罵倒する 事が立派でエライ人間と、勘違いしている人が多いですが これは総て 自分の恥を晒すことでしかありません。 というのが”私の意見”なのでこれを どう取るかはご自由に・・・

tilerurabi
質問者

補足

>その人は何の楽しみも持っていない・・ということではないでしょうか? いいえ 私の言う生きるために生きるとは 生きがいをもってして生きるということです。 目標や夢を持っているだけで生きてる です。 >あなたは「死後」とか「霊魂」とかを信じているのですね? 生存の時の姿かたちのままの霊体がが存在するということは 魂というものがあるからではないですか? 信じているというか 魂を縛るとしたら 死んだあともその人物が存在するということでじゃないですか? そうなると死後があるのではないか?ということです 幽霊が確実に居る とは思っていません なので半信半疑です。 >無知にも程があるでしょう・・・ とはどういう意味ですか? 石ころのでき方には形や場所によるのでは? 私は石ころのでき方と存在を分からないと言っているのではありません あくまで例です ある人が 生命体の存在理由とは 道路に石ころがあるように 偶然そこにころがりついたわけで そこに石ころがある理由など意味もないと言っていたことです 石ころが何故そこにあるのかという存在理由に たまたま鳥が餌と間違えてくわえてもってきただけなど 意味も理由もないのでは? >他人を、嘲笑する前に、自分の知識を増やしましょう すみません そもそも私のようなものに他人を嘲笑などできないことです。 私の文が他人を嘲笑するような文に見えてしまったのなら 申し訳ありませんでした。 伝わりづらいようで申し訳ありませんでしたが 「そもそも死後などとほざいてる時点で頭が可笑しいと思いますが」 という文については むしろ自分を謙譲したつもりなのですが? 死後ってあるのかな?などと分かりえないことを ここまで大げさにほざいている時点で 私の頭は可笑しいと思いますが。 という意味で自分の無知さを示したつもりです。 ご意見。指摘ありがとうございました。 勉強になります。

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  • atti1228
  • ベストアンサー率15% (111/711)
回答No.2

上記は、自分を愛しているから。かわいいから。下記は、死なないとわからんがなにもなくなる。年老いたひとは、朝なに食べたかさえ覚えていない。全部忘れるんだ。この生きている苦悩でさえ。

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  • 53jh8f6th
  • ベストアンサー率22% (11/50)
回答No.1

>何故みんな生きる為に生きてることを不思議に思わないのですか? そんなこと考えるだけ無駄だからです。 あなたは何のために生きているのですか?

tilerurabi
質問者

補足

無駄というのは 生きるために生きていることが当たり前であり 生物は誕生した瞬間からそうなっている為ですか? >あなたは何のために生きているのですか? 自分の私欲のために生きてます。 私欲である私の一番の夢は 高校で難関大学に合格できるだけの知識や経験を十分身につけて 難関大学に合格することです なぜ難関大学に合格する必要があるかというと 親を喜ばせたいためと 社会で生きていくために有利だからと言われたからです。 しかし場合によって難関大学卒業の人間でも 就職などできないという噂があるようで 学生である私の義務は勉強です。 今の私は親のために生きてます。 他の生物の親は子が自立できる程度まで育てたら死んでいくのに 人間の場合寿命が長いせいか自立すると 一人では生きていけないようになった親の世話を見なければいけません そのために兄弟の居ない私は一人で親を養えるだけの 生きていけるだけのお金が必要ですよね それを学力で勝ち取らなければいけないのでしょう? 私にはたくさんの目標と夢があります 大体が字を綺麗に書けたいとか 運動神経が良くなりたいとか 人のためになりたい とかのような 小さな目標や夢です 以上それが生きがいです ここからが私の疑問の解説にもならない程度の説明力ですが詳細です 生きるために生きることを知能の高い人間は私欲をかけたしたのでしょうか? 生きるために生きることに生気を感じられないでいる なぜ夢を追い目標を果たさなければいけないか 進化して良い遺伝子を残すためですか? だから私はこの常識から外れれば問題ではないと思ったのです でも死後とかなんとか言うじゃないですか その存在は定かではないでしょう だけど幽霊がいる 存在も定かでもないのに 幽霊についてのたくさんの情報があるんです その一つ一つの情報に可能性が導き出されませんか? 死ぬとは生きれなくなること 生きるために生きてるものにとってそれは終わりではないですか? もし死後があるのなら 生きる為に生きる生き物に何故死後が必要なのでしょう 答えなどあると思いますか? これを無駄だと諦めることなのでしょう 私の意見になにか問題があれば はっきり言っていただけると嬉しいです。

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