生きる意味と死後の存在について

このQ&Aのポイント
  • 地球上の生物は存在する理由がなく、生きる為に生きている。
  • 人間は知能が優れており、地球を制服しているが、その目的は人間自身の生きる環境を守るため。
  • 生きる為に生きることや死後の存在について疑問を持つ人もいるが、それぞれの意見がある。
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生きる為に生きる意味

誰か中3の無知な脳みその私に教えてください 地球の生物は 道路のいたるところに石ころが偶然落ちてるように 別にそこにある理由もなく 存在する理由もなく  生きる為に生きていますよね この地球上でたまたま知能が他の生物より優れた人間は 地球の至るところにいて地球を制服というか 地球は人間のもの みたいな感じですよね それは 大体の人間が人間の生きれる環境のために生きるんでしょ? 小さいころから幼稚園、小学校、中学校、高校と学び続けるのも 人間の生きれる環境のためで 自然だか動物だか共存 大事っていうけど それも人間の生きるために必要不可欠なものでしょ 別に温暖化になろうが氷河期になろうが緑がなくなろうが 地球は痛くも痒くもないし 人間が地球を守らなくとも生物がいなくとも地球という名の惑星はその後も存在するんじゃ? 欲望 私欲の為に生きてるんでしょうけど 何故みんな生きる為に生きてることを不思議に思わないのですか? 私のおかしい所教えてください もう一つ 死んだら終わりですか? よく霊を見るやら言う人が居ます それは死後が存在するわけで 死んでもなお自我と魂が縛られてるわけですよね 死後に自由なんてない 完全に消えることはできないのですか? 死んだら強制的に天国か地獄に振り分けられる 天国も地獄もいらないし死後もいらない 生きた証ごと消え去りたい そもそも死後などとほざいてる時点で頭が可笑しいと思いますが 自分の意見でもなんでもいい教えてくれませんか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • gungnir7
  • ベストアンサー率43% (1124/2579)
回答No.6

二つの命題を同時に質問しない方がいいです。 前者は自然科学ですが、後者は超心理学、または宗教の命題です。 折角ですから、紐理論からこじつけで説明してみましょう。 全ての世界は一様でつながっているというオカルトの理論があります。 彼らにいわせれば地獄も天国もなく、そこは全て繋がっているということです。 何が違うのか。波動が違うのだそうです。 同じ場所にいても波動が高いとより次元の高い世界に行けるのだとか。 だから明確に天国と地獄に別れるというのではありません。 死ねば終わりなのか、輪廻転生するのか、それは現代科学では証明できていません。 だから、それを信じるも信じないもあなたの判断でしかありません。 ただ、死後の世界などないと仮定して私利私欲に走って、実は死後の世界が存在した場合 死後の何万年と生存中の十数年の取引なのですから、被害は甚大なものになります。 現在の物質界にも天国と地獄が同一の場所に再現されています。日本と北朝鮮を見れば明らかでしょう。 日本と北朝鮮、片方は飽食という言葉が存在する一方、もう片方は飢餓との戦いの連続です。 日本と北朝鮮など距離にして数百km、この大宇宙からみればゴミみたいな距離です。 そのわずかな距離の違いに生まれただけで、天国にも地獄にも落とされるのです。 同じ物質界でも上下でこれだけ格差があるのですから、別の次元も似たようなものなのでしょう。 死んでも自我が縛られている霊というのは、次元の低いところしか出入りできない霊ということになります。 次元が高ければ、それは素晴らしい桃源郷があるのらしいですが、この辺にしておきましょう。

tilerurabi
質問者

お礼

〉二つの命題を同時に質問しない方がいいです。 そうですよね 私も後からそう思いました。 私が一番聞きたかったことは死後の有無でした。 ”死んだら終わりか”を質問するために 何故そう思うのかを説明を入れようとして 生きるために生きることに疑問はないのかなどと まったく繋がらないものになってしまいました。 実に最もな指摘ありがとうございます。 そうですね 確かに北朝鮮と日本は天国と地獄の差 分かりやすい 次元の低いところしか出入りできない霊などは自分で調べることにします。 本当にわかりやすい回答かつ指摘をありがとうございました。 とても勉強になります。

その他の回答 (18)

回答No.19

 本当に中3か?と疑うほどの文章力ですが(すみません)、自分も今50才近くで抱えている人生の悩みも本来中学生ぐらいのものかもしれないと思って、最近ちょっとぞっとしたのですが、学生の時に悩むべき悩みを素通りしてしまうと、後で大きなつけが回ってくることもあるので、今悩んでいるのはまっとうです。最近の新聞でも、中学生の悩みが一番大変と書いてありましたが、本当にそう思います。何だか悩みがぐちゃぐちゃで何を悩んでいるのか、整理が大変だと思います。  生きるために生きるのが不思議じゃないかということですが、たぶん与えられた状況をただ生きることは苦痛じゃないかということだと思いますが、それは苦痛です。与えられた価値観と自分の価値観にギャップを感じたらどうするか?そこの対処方法って定型化していないようにも思え、この年でも教えてもらいたいくらいですが、たぶん一番思春期の難しい時期で、なかなかそこをうまく書かれた本なども少なそうです。普通は同じ悩みを書いた本や友達などと悩みを共有して何とか乗り越えていくようです。わからなくてもいい、悩んだまま過ごしていい時期かもしれない。そのうち悩みの中で自我が育ってくれば今までとは違う何かが見えてくる、そんな気がします。たぶん世の中で思春期の悩みのことをよくわかっている人もそういないと思いますが、みんなそれなりに自分のやり方で通り過ぎていて、なかなか素通りできない人は大変ですが、こだわった分だけ発見も大きいと思います。たぶん主体とは何か?のような気がします。  

tilerurabi
質問者

お礼

お褒めいただきありがとうございます。 しかし言葉というものは それなりの丁寧語を組んだりしていれば それなりに見えるものと思います。 ぞっとするというと私もあります 私は最近生意気な子供が増えたと思っています。 それは多分知的な部分にも関係があると思います。 現代の小学生の低学年は中学校の問題を解ける 言いたいのは飛び級制度と留年制度に賛成ということです。 与えられた状況というのは 親を選べない、生まれる場所を選べないということでしょうか? 価値観というものは人間が一千万人いれば 一千万通りあって人一人が居る場所の状況や出来事と その人の自然に備わった感性によって違ってくるものと思っています。 与えられた価値観というのは家庭内環境ということでしょうか? 私にはちゃんとした友達はいないし 共有相手もいなければ 誰ひとり哲学的なことを一言も言わないので 私が浮いてるかのような状態です。 そんなレベル一個下に合わせてるような状態を 小5から過ごしてきて さらに受験の焦りあから自我喪失をしてしまい鈍っているんです。 今思えば小6の時の私の精神レベルは中2,3でした。 悩んだまま過ごし通してしまうのはもったいないと思います。 確かに時が経てば分かるということは 私もその体験があるので理解できますが 自我が育つまでの時間など待っている時間すら惜しいものなのです。 自我が育つまでの時間というものがあるなら その時に自分で成長させるべきだと思っています。 〉世の中で思春期の悩みのことをよくわかっている人もそういない とはどういうことでしょうか 私によると 思春期を一番わかってられるのはその時で 大人になるに近づいて 様々な知識 経験を迫られることの焦りから いろいろな好奇心を時間が勿体無い くだらないと捨ててしまい 幼少期を切り捨てていく 忘れていってしまうから、 親は子の気持ちをつかめないのだと思います。 今なんだか一日一秒をたくさんの発見と好奇心  探究心 欲求 遊び心 こだわりで埋め尽くして大切に生きようと思いました。 そう思えさせてくれたことに本当にありがとうございます。

回答No.18

 こんばんは。  ひとが生きるのは 生きたいからです。  生きる意味は 自由になることです。    ★ 死んだら終わりですか?  ☆ 終わりであってもなくても 上のことに変わりはありません。  知ることが出来ても出来なくても 同じです。

tilerurabi
質問者

補足

はたして自由というものがあるとおもいますか? 〉知ることが出来ても出来なくても 同じです。 そうですね。 同意します。

  • nung
  • ベストアンサー率40% (69/169)
回答No.17

40代男性です。 私も、幽霊やら、死後など無いと思っていました。 しかし、人知を超えた物があるとしか思えないような証拠を、たくさん突きつけられて、今ではオカルトめいたことを信じるようになりました。 自分自身での霊体験はありませんが。 >死んだら強制的に天国か地獄に振り分けられる 強制的に振り分けられるのではなく、自分でそれを選ぶのだと思います。 人生とは、悪夢のような物。死ぬ=悪夢から覚めること。 悪夢から覚めたとき、ああ夢で良かったと思えれば、その人は、天国にいます。 悪夢の中の自分の行為に慄然として、自分自身が許せないほど深い後悔が残る人は、自らの心を責めさいなむので、それが地獄の苦しみなのではないでしょうか。 生前は視野が狭いので、自分自身の欺瞞や嘘に気付く事が出来ません。 しかし悪夢から覚めると、全てが明るみに出てしまうので、自分自身をごまかすことが出来なくなるのです。 全ては自分で選んだことだったのだ、と言うことです。 確証はありませんが、そんな気がします。 死後が本当にあるとすれば、自分のベストを尽くして生きれば、天国に行ける。 死後がないとすれば、死ぬ間際に振り返って、満足できるような人生を生きればよい。 どちらにしても、同じ事ではないですか? 尚、自分のベストと書きましたが、トータルして49:51でも、プラスへ傾けば十分だと思います。

tilerurabi
質問者

補足

何故人生が悪夢のような物とするのですか? 死んでしまって全てが明るみに出てしまって自分自信をごかましきれなくとも 天国、地獄に平等などないのでは? 天国と地獄に死人の魂をとどめておく理由がありますか 天国と地獄とは生前の人間の大まかな想像で 天国と地獄があるとして 死人がどちらかにいくとなるとします 真っ白な世界の中辛く居づらく感じるならばそこは嫌な所であるからして 地獄なのでしょう 真っ白な世界の中で幸福感に満たされとても居心地よく感じるならば そこは天国とあらわすのでしょう 私はそう思いました。 人生に満足感を求めるかといえば。 満足感いっぱいで死んでいった人と 後悔ありありで死んでいった人とは その後何が違うのでしょう? 死ぬとは生きれなくなること 生きるために生きてるものにとってそれは終着点ではないですか? もし死後があるのなら 生きる為に生きる生き物に何故死後が必要なのでしょう 答えなどあると思いますか? これを無駄だと諦めることなのでしょうか

回答No.16

>何故みんな生きる為に生きてることを不思議に思わないのですか? >私の言う生きるために生きるとは >生きがいをもってして生きるということです。 >目標や夢を持っているだけで生きてる です。 そういう意味の「生きる為に生きる事」に関しては、多くのものが疑問を持っていません。それは何故かと言うと、脳がそれを受け入れているからです。 人が疑問を感じる原因のひとつに「ストレス」と言うものがあります。 毎日、勉強(仕事)をして、蟻のように働く人生。しかしそれに対し、人からの尊敬や自分の理想に近づける事、具体的な収入アップ。そのような状況は次のモチベーションに繋がりネガティブな「ストレス」は感じません。(ポジティブなストレスは感じているがこれは含まない) しかし毎日、日に日に重労働になる。収入は下がる事はあっても上がる事はない。学校の勉強ならば、前よりも勉強に時間を割いているのに成績は下がる一方。 もしそうなった場合、人は「ストレス」を感じます。そんな時「自分はこれでよいのだろうか」と言う「疑問」を感じるのです。 ネガティブな「ストレス」を感じない状況下では、人は「疑問」を抱きません。 「目標や夢を持っているだけで生きてる」事になぜ人は不思議に思わないかと言うと、その事に対して人間の脳は、ネガティブな「ストレス」を感じるような仕組みに出来ていないからです。 だから、多くの人はそれに関して疑問や不思議に感じないのです。 宇宙の真理からすれば、たとえ人類の歴史に偉業をなしても「取るに足らない事」と言えるでしょう。しかしそれは、人間の脳の「ストレス」にはさほど影響しません。 >もう一つ >死んだら終わりですか? ソクラテスは死の間際にこう言いました。 「死は無で全く意識のない状態か、それとも言われているように、この世からあの世へと魂が居場所を変え移住することなのか、二つに一つなのですから。」 つまり、死後は「全く無」か、なんらかしら死後の世界あるいは魂が分離してさまようのか、その二つに一つであると言う事です。そしてどちらにしても彼(ソクラテス)にとっては幸せな事だと結論付けました。

tilerurabi
質問者

お礼

〉脳がそれを受け入れている  というのは 生きるために生きていることが当たり前であり 生物は誕生した瞬間からそうなっている為ということですよね 〉そんな時「自分はこれでよいのだろうか」と言う「疑問」を感じるのです。 私の場合 今私のやっていることは本当に意味のあることで必要なことだろうか? という疑問が湧き出たため生とか死とかに至りました。

noname#175120
noname#175120
回答No.15

動物は皆そうですよ。 自らが生きるためにだけ生きているのです。 例え草食動物でも肉食動物の為に生きているわけでは無いのです。 ただ、人間は余計な事を考える能力を持ってしまった為に極当たり前の事に意味を見出すようになっただけです。 元からあまり意味が無いわけですからそこに意味や目的を見出すのは難問な訳ですね。 生物の目的はたった一つ、命のリンクを次の世代へ継ぐこと。 生きる目的が明確な物は家畜とか人によって意図的に繁殖され育てられる生物位でしょうね。 死んだら自分という個体は終わりですが、物質としては全ての物がリサイクルされます。 地球上の物質は限られてますから、それらが分解され再構成されるのです。 これだけでも意義があると思いますよ。 生きている事に目的や意味を見出すのは個々の経験や努力によります。 逆に言えば死を迎えるときに自分は何のために生きたのかを初めて認識できるのだと思います。 その為に生きているとも言えますね。

  • agripapa
  • ベストアンサー率0% (0/46)
回答No.14

温故知新 意味.. ・

tilerurabi
質問者

お礼

温故知新 今の私が一番なさなければならないことのように思います。 ありがたいお言葉本当にありがとうございました。

  • agripapa
  • ベストアンサー率0% (0/46)
回答No.13

そして 業は超えていくもの... かな ・

tilerurabi
質問者

補足

理解できなくて申し訳ないのですが 業どういうことですか? なすべきことや学問ということですか?

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.12

人間は他の生命体と同じです。 生きる意味などありません。 だから、自分たちで生きる意味を創って しまえ、ということです。 意味を創って生きた方が、よりよく 生きられるんでないかな、ということでしょう。 それだけです。 ”何故みんな生きる為に生きてることを不思議に思わないのですか?”    ↑ 人間が他の生命体と同質であり、特別な存在では 無いからです。 ”死んだら終わりですか?”    ↑ 我、未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや

tilerurabi
質問者

お礼

意味を創って生きた方が、よりよく 生きられるんでないかな、ということでしょう。 よくわかりました。 我、未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや ありがとうございます 調べてみたいと思います。

  • freulein
  • ベストアンサー率39% (94/237)
回答No.11

若者らしい力強い直球のような質問です。直球で返球します。 「人にはかく生きるべしとの強い使命がある」と仮定し、これがどの程度の正当性を持っているかを吟味しましょう。背理法を使います。   「正しい使命あり」との仮定が正しいとすれば、これに違反して生きることが許されることはありません。違反すれば「窒息」「雷に撃たれる」「大地が裂けて落ち込んでしまう」などの結果がやってくるはずです。まるで「生きるためには呼吸すべし」に対して違反を試みると、窒息して死ぬとの罰があると同様のことです。強い法則への違反には強い罰則があるはずです。さもなければ強い法則ではないことになります。   さて、私たちは「正しい使命」とやらを気にかけないでも実際に生きていることが事実のようです。このことから「正しい使命」とは大した法則ではないことが示されたわけです。違反が自由な法則とは法則ではないということです。   私たちには「生きるべき正しい使命」がないことが今や明らかとなりました。ご自由に生きてください。ここに「生きる価値がある」かも知れませんよ。「天の定めた使命」から自由な価値を生きることができるでしょう。

tilerurabi
質問者

お礼

若者らしい力強い直球のような質問とは 私にとって褒め言葉です 返球誠にありがとうございます。 なんとなく分かりました しかし自由という言葉に引っかかりました。 自分の生きる道を自分で決めれるという点では自由と思います。 だけど生きることに自由を感じられないです。 生きるために生まれてきて 生きるために生きるのは間違いないのでしょう。 けれど自由ではないと私は感じます。

  • agripapa
  • ベストアンサー率0% (0/46)
回答No.10

:バカというか知識的に発達した性だと私は思っています 業 だね.. 例えば、知識を学び詰め込んだ所を出ることを卒業という よね.. ・

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