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ヨブ記とは?神様の試練と信仰について考える

puregrapeの回答

  • puregrape
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回答No.7

「ヨブ32:2彼がヨブの三人の友達にも怒りを起こした。それは、彼らが答えを発見する事が出来なかったにもかかわらず、ヨブを罪に定めたからだった。」                                                                                                                        「32:17私が‘私も私の分を答弁し、私も私の意見を述べてみよう’と言った。」                                                                                                        ここで、ヨブおよびヨブの三人の友達に言っているのはエリフです。                                                                                                             エリフが自分のことをエリフ、彼、私と言っているだけで、ヨブ記を著者はエリフです。                                                                                                  ヨブ記1:6でサタンが登場し、41:1でも登場します。                                                                                                                    「41:1Canst thou draw out leviathan with an hook? or bore his jaw through with a thorn? 貴方がつり針を彼の鼻に入れる事が出来るでしょうか。棘で彼の顎を縫う事が出来るでしょうか。」                                                                                                                                  無知な人々がleviathanをわにと翻訳しましたが、聖経はイザヤ27:1でリビヤタンを竜であり、蛇であると教えてくれます。                                                                                                                                      即ち、リビヤタンは竜であり、蛇であり、サタンです。                                                                                                                サタンはいつも彼の僕である人々を使い、偽りの答えをさせます。                                                                                                                                                                 このようなわけで、42:7でヨブの友達3人が登場し、エリフが書かれてないのは至極に当然なことだと言える事が出来ます。                                                                                                                                        イスラエル人はイエスキリストを信じるのでは無く、殺しました。                                                                                                             ヨハネ啓示録はイスラエルが受ける苦難について書かれてあります。                                                                                                                  ダニエルの70週の最後の1週間が啓示録4章から19章までの7年です。                                                                                                                                                          そして、最も苦しい時間が啓示録12:14に書かれてある三年半の期間です。                                                                                                              ヨブ記は全部で42章で、三年半の苦難を啓示しでいます。                                                                                                                                                           42ヶ月は三年半の間に受けるべきイスラエルの罪に対する報いです。                                                                                                                 ヨブ記はエリフを通じて、これの事を予表として書いたのです。                                                                                                                                                              救われて無い異邦人の人々はイスラエルが受けるべき大患乱に引きずられ参加します。

tokkey
質問者

お礼

大変お待たせして申し訳ありませんでした。 いろいろ教えていただいて感謝です。 エリフのくだりも納得です。 ご指摘の通りに読むのが自然ですね。 ありがとうございました。

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