• ベストアンサー

旧約聖書 ゼカリヤ 14章の記述

 旧約聖書の小預言とされるゼカリヤ14章4~5節に、以下のような記述があります。(少し長いです)   新共同訳聖書 4節 その日、主は御足をもって  エルサレムの東にある、オリーブ山の上に立たれる。  オリーブ山は東と西に半分に裂け/非常に大きな谷ができる。  山の半分は北に退き、半分は南に退く。 5節 あなたたちはわが山の谷を通って逃げよ。山あいの谷はアツァルにまで達している。ユダの王ウジヤの時代に/地震を避けて逃れたように逃げるがよい。わが神なる主は、聖なる御使いたちと共に/あなたのもとに来られる。 以上は何を預言したのか? その日とは、どのような日を言ってるのか? 又、記述の内容を象徴的な意味で見るべきか? それとも実際の出来事と解釈できるのか? あなたのもとに来られるとは、どんな意味なのか? ※1、 私なりの解釈は、キリストの再臨と解釈しますが、再臨お仕方が他の聖書と整合性が無いように感じます。 ※2 なお12章、13章にも“その日”と記述されてありますが、同じ意味とすればどうなのか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#181644
noname#181644
回答No.1

あくまで私見で、史学的にも宗教学的にも根拠はありませんが、私は次のように解釈しました。 イエスがオリーブ畑の丘の上で演説するためにやってきた。その時、群衆の意見は二つに割れた。イエスが何かを言って群衆はどよめきとともに退いた。そして、「中道を歩むべきである、その先に、アツァル(これは何を意味しているのかわからないですが、彼らが望んだ目標とするべき在り方のようなものでしょうか)がある。アツァルでは、考えを同じくする人々(裕福な人々=神(名を持った人々、何らかの良い知識や人生観を持った人々、)やその元で働く人々(御使))があなた方を迎えてくれるであろう。」と言った。 こんなところではないでしょうか。ユダの王ウジヤとは、ようするにその民族にとっての良き指導者の時代に、アツァルにいける、すなわち自らで良い共同体を作り、また同じくそのような良い共同体を作って暮らしている他の民族とに合流できる、そんな意味ではないかと考えました。

soudan-ari
質問者

お礼

 ありがとう御座います。(^O^)   なるほど、別な視点(意見)があると嬉しいですね。もう少しほかの意見も待ちたいと思います。

その他の回答 (1)

回答No.2

  自由だ、自由だ、自由だ。 おめーさんに自由なんかねーよ。  

soudan-ari
質問者

お礼

人の道26 様、ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 旧約聖書 人物

    旧約聖書創世記第4章で、出てくる人物で、 カインの妻 レメクの妻アダ、チラ 25節「人」の二人目の妻 はどこから来たのでしょうか。 (神)ヤハウエ神が人間を作ってエデンに置いていたはずですが、 他にも上記のような人を作っていた、ということでしょうか? 3章の最後で、神は人を排した、という記述もあり、よくわからず。 また、「神」「ヤハウエ神」と2つの言い方をしてますがこれは同じでしょうか? 詳しい方教えてください。

  • 旧約聖書ヨブ記について

     旧約聖書のヨブ記についていくつか疑問に思うところがあるので、教えて頂きたいと思います。  まず、ヨブ記38章2節に「知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか」とありますが、これは、流れ的に(といっても私が読んでいる聖書の日本語訳的にということですが)エリフのことを言っているのでしょうか。また、同様に41章12節の「わたしは彼のおしゃべりと、雄弁と、美辞麗句に黙っていることはできない」とありますが、この彼もエリフのことを指しているのでしょうか。だとするなら、42章の7節で神様は、ヨブの3人の友であるエリファズ、ビルダデ、ツォファルには、「あなた方は、わたしについて真実を語らず、ヨブのようではなかった」と言及しているのに、エリフについては、ノーコメントなのはなぜでしょうか。  私は思うのですが、結局このヨブ記というなんとも謎の多い書物がなぜ我々に与えられているのかということを考えると、その究極的な意味は解りませんが、ざっくり何が言いたいのかというと、神様は、ヨブという神様の前にも人々の前にもこれ以上ないと思われるような正しい僕であった人であっても、試練の中では、神様に不平を洩らすのであって、それは、至極当然のことであるのだということ、そして神様の愛は、私たち全てが抱くそのような思いをそのまま受け入れてくださることができる愛の方であるのだということ、それに対して何だかんだ屁理屈を言って、目の前で苦しみ悲しんでいる友をさしおいて神様や信仰、奉仕といったことを重んじてしまうところがあるので気をつけるように教えておられるのではないかと思うのです。  『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。 とイエスは今日も語られているように思います。

  • 箴言1章7節 「主を畏れることは知恵の初め。」意味を教えてください。

    旧約聖書・箴言1章7節、「主を畏れることは知恵の初め。」という聖句の意味を教えてください。なるべく詳しくお願いします。 でも、そんなに詳しくはない、という方でも回答をお願いします。

  • 聖書の解釈について

    旧約聖書の伝道者の書の7章の11節と12節の「資産を伴う知恵はよい。日を見る人に益となる。 知恵の陰にいるのは、金銭の陰にいるようだ。」の意味がわかりません。16節でどうして知恵が ありすぎてはいけないとあるのですか。私は知識はありすぎては身を滅ぼすような気がしているのですが。 10節から18節まで何を言おうとしているのですか?教えてください。

  • 新約聖書にある預言者とは

    新約聖書 福音書について質問します。 新約聖書を読むと、随所に預言者の言葉が成就したとの記述があります。 たとえば、マタイによる福音書によると、 主が預言者イザヤをもって言われた言葉が成就するためにおこったのである。 “見よ、乙女が身重になって男の子を産み、人はその子をインマヌエルと呼ぶであろう。” ・・・・・・・・・・・・・ 預言者エレミヤをもって言われた言葉が成就したのである。 “声がきこえた、-ラケルのはげしいわめきとなげきの声である。・・・・・” ・・・・・・・・・・・・・・ “彼はナザレ人と言われる。”と預言者たちをもって言われた言葉が成就するためであった。 ・・・・・・・・・・・・ “悔い改めよ、天の国は近づいた。”この人は、預言者イザヤによってこう言われた人である。 “荒野に叫ぶ者の声はひびく、主の道を用意し、その道をまっすぐにせよ。” ・・・・・・・・・・・・ このように、預言者の言葉が成就したと書かれていますが、その預言者の言葉はどのような本に載っているのですか。教えてください。

  • 聖書 意味

    聖書に関して質問です。 マタイによる福音書17章24節~27節の 海、魚、つり針とはどういう意味でしょうか? 意味が分かりません。 ご存知の方いらっしゃいましたら、教えてください。 どうか、よろしくお願い致します。

  • 聖書朗読箇所の記号

    こんにちは(^_^)! 聖書の朗読箇所で時折、英文字(a、b)が併記されている場合に遭遇します。 この英文字は何を意味するのでしょうか? 例えば「申命記8、14b-16a」と書いてあれば、8章の14節-16節と解釈したいのですが、 聖書の当該箇所にはa、bなどの明記がありません。 どの様に理解すれば良いのか教えて下さいませ。

  • 新約聖書ルカ5章39節の解釈について

    私は福音派のクリスチャンです。 最近新改訳のチェーン式聖書を通読しはじめました。 そこで質問です。 ルカ5章39節の 「また、だれでも古いぶどう酒を飲んでから、新しい物を望みはしません。『古いものは良い』と言うのです。」 ここのところの意味がよくわかりません。 古い葡萄酒とは、旧約のことで、新しい葡萄酒とは新約のことなんでしょうか?

  • 聖書の引用

    Dance with the one that brung ya. あなたを連れてきてくれた人と踊れは、恩人に報いなさいという意味になるかと思いますが、聖書のどこの章の何節か詳しいことをご存知の方、ご教示ください。また、brung ya はふるい言い方なのでしょうか?よろしくお願いいたします。

  • 聖書の解釈

    初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 (新共同訳 ヨハネによる福音書1章1節) 初めて聖書を読みました。ですが、上の箇所の意味がよくわかりませんでした。何が言いたいのでしょうか。どなたか教えてください。