• ベストアンサー

禊や水垢離って…

禊や水垢離の様なものは海外では見ない日本独特のものなんですか? 修験道は密教もかなり入ってると聞きますがインドや中国ではああいうことはやらなかったのでしょうか? 神道が起源なのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

 古代ローマ時代に februa という清めの儀式が現在の 2月( February )の頃の寒い季節にありました。つまり「禊の月」です。当時は年号を表す習慣がないため、「○○王の年の△△年」という表記をしていました。そしてこの「禊の月」が一年の終わりで、身を清めて新しい年を迎えたのです。ヨーロッパの各言語では、月名がよく似ていますので、古くから広く知られた習慣のようです。  キリスト教で「洗礼」という儀式がありますが、元は川や湖などに入り、身を清める儀式です。現在は額に水をつけることで入信の際にこの儀式を行うようですが、水で身を清めるという発想は、禊と通じるものがあると思います。ただ、西洋の場合は、氷水の滝に打たれるほどの冷たさはないかもしません。  インダス川でお釈迦さまが身を清められたとも伝わりますし、現在も彼の地では(仏教でなくても)沐浴をして身を清めたり、遺体を川に流して水葬にしているようです。  起源がどこにあるかはわかりません。ただ、洋の東西を問わず、水を「聖なるもの」という感覚を持っているのではないでしょうか?

yoh_u
質問者

お礼

>>氷水の滝に打たれるほどの冷たさはないかもしません。 世界中に水を使って体を清める行為はあっても厳しく辛い冷水を使った修行の様なものは無いということでしょうか…? ご回答どうもありがとうございます。参考にさせていただきます!

その他の回答 (3)

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.4

 書き忘れました。神道で滝に打たれる時など白装束を身にますが、ああした服装は「他意はない」との身の潔白を示す意味があるとの記述を何かの書物で目にした記憶があります。  因みに仏教には「神」はいません、「仏(ほとけ)」がいるだけです。神仏習合が日本で発生したのは奈良時代末のことといわれています。

yoh_u
質問者

お礼

そうですか…ではやはり滝に打たれて神を注ぐと言われる禊とはかなり違うんですね… 参考になりました。ご回答ありがとうございます。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.3

 中国やインドには「斎戒沐浴」との考え方があります。文字どおり「身を清めて真剣さを示す」との行為です。

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.2

 年代から考えて、おそらくユダヤ教が最初でしょう。  あえて、「起源」とは言いません。  もちろん、まったく無関係に始まった可能性もあるわけですから。  とにかく、いろんなところに似たものがありますね。  ラビ・トケイヤーさんの本だったかな、何冊か同じような本を持っているのでどれか忘れましたが、ユダヤ人にも川でみそぎするということを書いている本があります。  ユダヤ人は12部族から成るのだそうですが、そのうち10部族(失われた10部族)が東へ東へと移動していって日本人になったと考えているユダヤ人たちがいて本を書いています。  その人たちによると、例えば川でみそぎすることや、神の物を運ぶとき直接手で持たず御輿のようにして運ぶこと、昔のラビたちは神道の神主が着るようなそでにヒモを下げた服を着ていたこと・・・ などなど、両国の風習によく似た点が多々あると書いています。  ちなみに、その10部族は、一神教の「神」を裏切ってさまざまな神を信じた(多神教)ために神の怒りを買い、本来の場所から散らされたという話になっています。  

yoh_u
質問者

お礼

ユダヤ教もあの様な厳しい冷水修行をしていてそれが日本に伝わった可能性があるということでしょうか。 ご回答どうもありがとうございます。参考になりました。

関連するQ&A

専門家に質問してみよう