• 締切済み

正しい原因はどちらですか? 日本史 江戸時代

Verhaltenの回答

  • Verhalten
  • ベストアンサー率17% (36/201)
回答No.2

当時の世界は銀本位制度であり、銀の重さで取引が行われていました。 一分銀3枚とメキシコ銀貨の重さが等しいので 3分=1ドルで決められてしまいます。(実際の価値は1ドル=1分銀程度であった。) その為、2ドル=6分銀ですから4分銀(1両)多く支払う事になります。 それを海外で小判に両替されるとどんどん小判が消えて行く事になるのです。 (略史参照) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%94%BF%E5%B0%8F%E5%88%A4 幕府も一分銀より大きな二朱銀を作りますが流通せず、バカ二朱と揶揄されます。 質の悪い安政小判を作りますが、列強の圧力で製造を中止します。 国内の戦争などで当然物資は不足しているはずです。 江戸の水車小屋は殆どが木炭を引くようになり、火事が相次いだと言う記録もあります。 (黒色火薬の木炭用として売れるから。) 長州では硝石が手に入らず、城下の便所の土を残らず掘り出して作ったそうです。 現代を見れば、ギリシアショックでユーロが暴落したように、 幕府はあてにならないと物価が上がります。 西洋が攻めてくると買占めが横行します。 マネーショック+物不足+黒船ショック+政治不安と内乱+列強に対する危機感 その内、事実認識が可能であるのは金の流出と物不足です。

関連するQ&A

  • 江戸時代の金銀輸入について

    江戸時代初期に金銀の流出に苦慮した幕府は,宝暦期以降長崎貿易を通じて金銀を輸入します。 田沼意次に代表されるように,輸入金銀で貨幣を改鋳したりしますが, この政策は,そのごも幕末まで継続されます。 ではこの輸入金銀で以降も貨幣改鋳という事になるのでしょうか。

  • 質の悪い貨幣が流通すると物価が上がる理由

    こんばんは。 今日日本史の勉強をしていたら、江戸時代末期の開国後の日本で『金が国外に流出し、質の悪い貨幣が流通した結果、物価の上昇を招いた』というような記述があったのですが、まず質の悪い貨幣とはどういうものですか、またなぜ質の悪い貨幣が流通すると物価が上がるのでしょうか?? よくわからないので、どなたか教えてください。お願いします。

  • 江戸時代の貿易収支について。

    江戸時代の外交にjは、「ウソ」が蔓延しており、 ウィキペディアさえも信用できません。 特に「鎖国」下の経済については、混乱しています。 日本は最大の軍事大国、経済大国という話があれば、 金銀の流出に苦しんでいたなどという話もあります。 鉄砲、醤油、陶器、銅、鈴などの輸出は確かでしょう。 貿易は不均衡はあり得ません。 外国通貨をため込んでも何の意味もありません。 一体貿易で得た外貨は一体どう処分していたのでしょうか。 国内では鎖国を強制していましたので、外国製品の販路はなかったはずです。 想像や意見でも結構です。 江戸時代の貿易の実態と貿易収支について教えてください。

  • 米の値段が、江戸時代には、なぜ下がったのですか?

    山本博文著の江戸学講座を興味深く読んでおりますが、次の説明に出会いました。 <江戸時代の初めは、家禄だけで食べていける旗本・御家人も多かったのですが、中期以降は、米の値段が下がりますから難しかったでしょう。> 一般的には、物価は長期的にみると、漸進的に上昇します。(もちろん、技術革新などによって、低下する場合がありますが)。 米の値段が、江戸時代には、なぜ下がったのですか?

  • 江戸時代の金銀交換比率

    江戸時代 日本の金銀比率は金1に対し銀4.65であった。外国の相場は金1に対して銀15.3 であった。 米国商人が中国大陸などから銀貨100枚を日本に持ち込んで金と交換すると金貨21.50になる これを上海に持ち帰って銀貨に交換すると銀貨330枚になる これを再度日本に持ち込んで金貨にすると 金貨142枚になる とある本に書いてあります。私は最後の箇所は金貨71枚になると思うのですが何故。二倍の 142枚になるのか分かりません。本が間違ってるのか私が間違ってるのか教えて下さい。

  • 至急*開国~大政奉還

    開国することで国内に起こった対立        国内の政局の変化        民衆の生活の変化 大政奉還の真意、大政奉還に対する  民衆の世論は? について今度近くの高校との交流で スピーチする事になりました、、、 簡単にまとめてくれる方お願いします!! 私の考えは 民衆の生活は金が、大量に流出し 貿易の品不足から物価上昇がおこり 苦しくなった ということしか、分からなかったです(泣) 助けてくださるかたお願いします。

  • 江戸~明治にかけての日本の変遷について

    江戸~明治にかけての日本の変遷について 学校の歴史の課題で、江戸時代から明治時代にかけての日本が外国との関わり合いの中でどのように変わっていったのかを黒船・開国・攘夷・維新・文明開花の5つの語句を必ず使って200字程度で簡単にまとめよ、という課題が出たのですが、私は歴史が苦手なので一体何をどう書いたらいいのかわかりません(一応授業はちゃんと聞いていたのですが先生の話し方がやたら難しくて・・・良い先生なんですけど^^;) 私が覚えている限りでストーリーを組み立てると、 「ある日突然黒船がやってきて開国を迫られた日本で、開国派とそれに反対する派閥(攘夷?)にわかれ激しい対立(維新?)が起きたものの、結局反対派は敗れ、開国によって外国の文化が次々と日本に取り入れられた結果文明開花が起きた。」 という感じになるのですが・・・(稚拙な文で本当にすみませんm(__)m焦) はたしてこれで合っているのか疑問ですし、そもそも問題では「日本がどう変わっていったか」を問うてるのでこれでは答になりません・・・orz つまり、当時の人々の思想や国内情勢(政治や経済など)といったものがこれらの出来事(黒船来航や開国、維新など)によってどのように変わっていったのかを知りたいです。(できれば分かりやすくお願いします^^;) また「こんなこと書いたらいいんじゃない?」みたいなアドバイスがあったらぜひお願いしますm(__)m 明後日が提出期限なのでそれまでに回答頂けると非常に助かります^^;

  • 鎖国の影響は今の日本に残ってますか?

    日本は江戸時代に300年くらい鎖国してたわけですが、その影響は今の日本にどれくらい残っているものでしょうか? 本当に鎖国って長いですよね。 開国~現在よりも鎖国してた時代のほうが長いし、アメリカ建国よりも期間が長い。 今でもいろいろな方面で影響があると思うのですが、どうでしょうか。

  • サラリーマンは江戸時代の小作農と同じか? 派遣社員は江戸時代のエタヒニ

    サラリーマンは江戸時代の小作農と同じか? 派遣社員は江戸時代のエタヒニンと同じか? 知り合いの人と、社会の仕組みについて話をしていたときに 「サラリーマンなんてのは所詮、江戸時代の小作農と同じだ。  自らは生産手段(田畑)をもてず、地主(使用者)に好きなだけ搾取されている。  徳川家康は  百姓は生かさぬように、殺さぬように  と言ったらしいが、あきれるほど感心する名言だ。  300年後のわれわれも  サラリーマンは生かさぬように、殺さぬように  存在させられている。  300年前にそれを実践していたのだから、会社経営者が家康の本(歴史小説など)をこぞって読む理由がわかる。  小泉首相の【派遣社員規制の緩和】によって作られた大量の非正規社員は現代におけるエタ・非人だ。士農工商の”農工商”の連中に  上見て暮らすな、下見て暮らせ  と、一種の優越感と一種の恐怖心を持たせるために作られた新階級と同じ役割をさせられているのだ」 といっていました。  私は 「なんとなく言いたいことはわかるが、江戸時代と現代日本では人権のあり方も違うし、職業選択の自由もある。そこまで同一視することはないのでは?」 と思う一方、彼の意見にも一理あるような気がします。 彼の意見は正しいのでしょうか?

  • かなり愚問・・・愚問?開国って?

    こんにちは。 江戸時代とか、その前の時代であって諸外国の関係について教えてください。 長崎で開国とか北海道で開国とか歴史にはありますが、いわゆる歴史的な開国は、一応授業で習いましたが、実際的にはどうなのでしょうか? 異国(差別的な表現ですみません。髪の毛・目の色・体つき・言語)の人が開国を求めたー私だったらとりあえず逃げますが・・・ 例えば宇宙人が私に開国(?)を求めてきたとしても、ちんぷんかんぷんです。宇宙人が、総理大臣の家に直接行って開国を求めるって言うのも考えにくい。 長くなりましたが、聞きたかったのは歴史的にだれが、どういう形で0→1を作り上げたか?っていうのを教えてください。