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同和教育の重要性と改善の必要性
- 同和教育の中で、特に同和教育というものがありますが、皆さんはこれについてどういった教育を受けてこられましたか?私は佐賀県出身なのですが、正直、中途半端な同和教育だったと感じています。
- 私たちの世代(現在20歳です)は同和問題、部落差別の存在そのものを知る機会が学校教育以外にほとんどないといえるのではないでしょうか。実際、私は学校の人権同和教育で初めて同和問題について知りました。しかし、それがまるで同和問題を知っているのが前提とでもいうような教育方法で、現在に至るまで同和問題を「なんだかよくわからないもの」と感じてきました。そこで思うのが、同和教育をするならするで、最初からすべて理解できるように行うべきだということです。
- 中途半端な教育は逆に差別意識を深めるだけだと思うのですが、皆さんはどうお考えですか?自分の受けてきた同和教育について思うことなども書いていただければと思います。
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日本人は弥生~江戸時代までは力を入れて教育しますが、 現代社会、とりわけWWII以後はガン無視ですよね。 そういう態度が今の日本人の無反省を助長していると思います。 2chでは韓国アレルギーを持った人々(通名ネトウヨ)が 好き放題罵声をあびて矮小な自尊心を満たしています。 同和に限らず、小学校1年生から日本のしてきたことを 徹底的に教育すべきだと思います。 そうすれば自律した反省できる日本人が栽培できるのです。 日本人は世界やアジアから生かされているのです。 WWIIで負けてご免なさいと謝罪したから赦されたのです。 ここのところをしっかりと理解しないといけません。 ところが現実は全く反対ですね。日本軍は偉大だ、 独島は日本領だ。戦争をすればすぐに取り返せる。 こんな考えばっかりです。 これも全て戦後日本教育の失敗作といえるでしょう。
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- windwald
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中途半端な同和教育が差別意識を深める、というのはある意味正しいと考えます。 それは段階を間違え、「最初から全て理解できるように」と言ったことも含みます。 性教育と同じように発達の段階を踏まえた教育が必要です。 ですから「中途半端」も「行き過ぎ」もどちらもだめなんです。 また、逆に触れないでおく、なんて言うこともできません。 なぜなら人間は知識を学校からのみ得るわけではないからです。 世の中には間違った情報や問題のある情報なんてごまんとあります。 「食品添加物は危険」とか「津波が来る前には必ず潮が引く」とか「コーラで洗えば妊娠しない」とか。 何も基礎知識を持たなければ、これらが間違っていると気づくことすらできないんです。 世のため、あなたのため、という正義面をしてやってきた情報に惑わされないようにはどうします? 親戚などから「どこそこの地区は怖い」と(明示的にでも暗示的にでも)教えられたときにどう受け取ってしまうか。 同和教育というのを同和地区について学ぶこと、と勘違いしてはいけません。 あくまで人権教育の中の一部門であり、 世の中で、不当な差のある扱いを受けたり、その扱いのために不平等が生じたりしたときに、 「おかしい」と気づき、「何故おかしいのか」主張し、 その不当な扱いや不平等を無くすためです。 知っているからこそ「おかしい・不平等だ」と判断できるし、主張もできるんです。 そして同和問題に関してはそれを克服したという、モデルケースですよね。
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回答ありがとうございます。
- hekiyu
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"特に同和教育というものがありますが、 皆さんはこれについてどういった教育を 受けてこられましたか?" ↑ 小中高と、そんな授業はありませんでした。 勿論大学も。 理系だったけど。 ”同和問題、部落差別の存在そのものを知る機会が 学校教育以外にほとんどないといえるのではないでしょうか。 (それとも被差別部落地域周辺ではそういう 機会もあるのでしょうか? ↑ 地域周辺ではやられている、という話を聞きます。 ”中途半端な教育は逆に差別意識を 深めるだけだと思うのですが” ↑ お言葉ですが、専門家以外は、皆、中途半端 でしょう。専門家の間ですら、説が分かれて いるというのに。 差別が無くならないのは、彼らが特権を有して いるからだと思います。 一部の人が、差別を利用して、甘い汁を吸っている のが最大の原因だと思います。
お礼
回答ありがとうございます。
- bismarks05
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簡単に・・・ >人権教育の中で、特に同和教育というものがありますが、皆さんはこれについてどういった教育を受けてこられましたか? おおよそ「同和教育」として指導される謂われも必然性もないので、義務教育・高等教育課程で概念以上の指導・啓蒙は行われていないと思われる。 実態として、よほどの余力のない教職員・もしくは思想性の強い教職員でもない限りは、「同和教育」などは取り扱わないと思われる。 特に教職員の政治行動への弾圧的処分などが一般化する80年代以降においては、特にタブーな領域とする見解も見られる。 そもそも、人権教育の大枠の一つのセクトにすぎない同和教育を各論する必然性がないのである。専門的に人権論などを行うにしても同じことであろう。 つまり、多くの人が「同和教育」を受けたとは言えないだろう。ただし、人権啓発運動の隆盛期で概念として簡単に指導された人は相当数いるように思われる。 >そこで思うのが、同和教育をするならするで、最初からすべて理解できるように行うべきだということです。 質問者は大学生である。 大学生が、未だに義務教育課程のように受動的学習姿勢であることは、上記のような感覚から示唆しえるだろう。 仮に興味がないなら履修しなければいいし、必修であるなら当事者の自己決定・自己責任で学習主体として学ぶべきだろう。そのためにシラバスがあるのだから・・そのシラバスで悩まされる指導者の苦労は割愛) そもそも、同和教育の原初と辿るだけでも一コマの単位になりえるほど難しいテーマなのである。 いわんや「最初からすべて」という総論については、指導員の思想性含めて極めて困難であろう。 質問者は同和教育を簡単に捉えているからこそ、本件のような質問に至るのだろう 大学生にもなって「最初からすべて理解できるように」という価値観は、大学の意味からしても疑問が生じても仕方ないだろう。 質問者の『学生としての質』については自制するとして 同和教育のメソッドは人権論が主体になる。 ただし、人権論は、(1)一般人権論・(2)私人間人権論に分離できる。後者(2)は極めて個別的で仔細な政治・法的知識を要する問題である、 同和教育は、本質的には、(2)私人間人権論の領域が多く、(1)一般的人権論(権力VS個人)とは異なり専門性が強いものである。 極端な話をすれば、同和教育は、狭義の私人間問題全般に内在するものであることから高等教育以降で行うべきものだろう。 >中途半端な教育は逆に差別意識を深めるだけだと思うのですが、皆さんはどうお考えですか? 否定しえない。 ただし、教育内容で差別意識を矯正しえるものではないだろう。差別意識は「教育課程」で芽生えたり、希薄化するものではなく、日常風景である実社会の背景によって変化するものだろう。 事実、インドの学校教育では徹底的にカースト制度批判を行うにしても、社会慣習としてこびりついた差別(区別)意識は修正しえていない。同じような事例は世界に多く存在するのである。 学校教育の机上論が実社会において投影されうる余地は否定しない。しかし、他者のアイデンティに関する問題に関しては、経験知に依拠する傾向が強いようである。 つまり、「教育では差別解消・助長も出来無いのである」 以上
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回答ありがとうございます。
- williumblake
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もう触れたくないんですよ。 戦争問題もそうですが、なにかというと日本の責任だの謝罪だの反省だの声高に叫びだす基地外が現れます。 同和問題にもそういう団体とその信奉者がそこかしこにいて、表現が少しでも気に入らないとすぐに攻撃してくるのです。 そんな輩にかき回されて教育現場を混乱させられたくないから、あえて放置しているのです。 日本はもうほとんどそんな感じです。 いやなことですが、大声で人を悪く言って自分があたかも正しいかのように主張する、人をうんざりさせる輩を排除できるなら、教えない、あまり触れない、という選択肢が一番安全です。 一部教育現場の良識ある方々には本当に同情します。 私たちは学校やメディアを無条件に信じるのではなく、情報を自ら検証・考察して理解する必要があるのです。 常に学ぶ姿勢があれば、自分で勉強し理解できます。 それでいいと思います。 今の学校教育にそれを求めるのは酷です。 学校教育を取り巻く環境は、普通ではないのです。 子供を通わせるのが不安になるほどにね。
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回答ありがとうございます。
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回答ありがとうございます。 最初に回答を下さったseiryuu4さんをベストアンサーにさせていただきます。 皆様さまざまな意見を有り難うございました。