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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:哲学の人文科学及び社会科学の中の位置づけについて)

哲学の人文科学及び社会科学の位置づけについて

ok9608の回答

  • ok9608
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回答No.2

数学が自然科学の根幹をなす学問 という捉えかたは、 自然科学についての分析・統合を説明するときに 論理的に説明するのが説得し易い ということの説明だとおもうのです。つまり 数学は あらゆる分野(非自然科学系以外の人文・社会などで 説明手段として使用されていくと思います。もっと言えば数式のみでなく論理学的展開も同じく多用されるとおもいます。哲学の説明においても 同様論理性は重要とおもいます。だから あらゆる分野で論理的展開は重要であります。その意味では数学は基礎の基礎とも言える学問とおもいます。 では哲学の役目はどうでしょうか。非自然科学系では根幹をなすが 自然科学では根幹をなさない かですが そんなことはありません。そもそも哲学とは一つの主張と思うのです。学問世界であろうが 実業世界であろうが 個人が 何かにむかっての主張は必ずあるとおもうのです。特に他人に対して主張を認めさすことは重要なことです。論理的に説得できれば ベストな形の納得展開とおもうのです。つまり 哲学は論理展開が分かりやすい とおもうのです。各学問は その哲学の上に 論理的説明展開されるのが望ましいと 思います。 ところが哲学には非論理的にしか展開できない モノもあります。例えば芸術の展開です。このような場合、その哲学を理解させる には 工夫がいります。一品のみではなく多品にする とか一品についての丁寧な説明とか 多様な説明を試みるべき であると思います。 また 新しい哲学の誕生 についてお尋ねですが ポストモダン以後は十人十色のいわば個人的哲学時代に入ったのではないか と勝手ながら思っています。大哲学者が大世界を語るのではなく 一個人がそのなかで主張するという小さい哲学です。もちろ 個人が世界を語ってもいいのですが 思想を統一するものではない ということです。この哲カテで個人が展開していく は個人的哲学の一つのようにおもいます。 以上 参考までに

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