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哲学の人文科学及び社会科学の位置づけについて
- 哲学を学ぶとは、人文科学や社会科学の根幹的な思想を学ぶことであり、その重要性を考えるべきである。
- 哲学は人文科学や社会科学の諸分野を支える基盤であり、新たな視点や問いを提供する役割を果たしている。
- 哲学の研究は人文科学や社会科学のフロンティアの開拓にも貢献しており、重要な学問分野として位置づけられる。
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時間があるので脱線しないように 真面目に答えてみようと思います。 まず前提として 日本では学ぶということが真剣に語られていません。 「真面目に学ぶ」が強調されすぎ、それ以外が 疎かになっています。 非効率的学習プロセスが主流になっているということです。 今 定年になろうとしている人たちは 勉強しなければいけなかった総量=絶対量が 圧倒的に少なかった。 日常的にそのことついては 自覚がありますが いざ他人の評価となると 勉強をしなくても基本ができればいいのだとか いい大学を出たのはいいやつだ とかと いうことをいいだし 「いい加減=適正ということは=俺に従うことである」 を 基準として持ち出してきます。 学の基準が その担当者の主観のみに左右されるということです。 つまり 質問者様の述べる 根拠 が 老人中心の身勝手な根拠 と なっていることに 問題があるのです。 本題に入ります。 科学の諸分野を支えているのは ひとです。 2000年に入ってからこの方、序文に掲げた理由で、著しく信頼関係という大事なものが破壊され続けています。 しかしそのすきを見て蔓延している害毒があります。 『科学の諸分野の根幹をなしているのは思想であり、 根幹的思想とは 「哲学的経済学である」 という 迷信』です。 まさに はびこっています。 たとえば 日本の哲学は 哲学学である と えらそうに いうひとがいますが、 その根幹をなす思想は、 (学)は経済学が根幹でありその根幹は 哲学であり その根幹が わたくし である という 刹那的・唯物論的 部分意識です。匿名キリスト教の「論理的・間接的」布教です。 究極的には 学問は俺よりバカである 俺のほうが偉いという理論です。 唯一絶対の神のまえでは どんぐりの背比べである みんな馬鹿だ という 傲慢です。 底に横たわっているのは キリスト教的 物質論=燃料資源 と 言語論理=ivGotです。 あたまのわるいおれさまも iGotをおさえていれば 基本をおさえている どうだ! もってるか? という のが 基本として ひつようとされる 行動だ というわけです。 つまり 数学・哲学の素養がない人間の それでも俺様は偉い といいたいがための 言い逃れが 「(アカウントの)所有」である という現状です。 (布教が失敗した例として セカンドライフ を あげると 日本人はそこまで馬鹿ではなかった ということもできましょうが・・・) つまり 簡単に表現するとすれば、 所属と思想 という 中世的思考が 今の世の中では 所有と偶像崇拝 に とってかわられたのです。 書面としては ドグマが 神学から 情報科学 へと移りました。 そういう意味で 質問者様が感じ取った 他人を弾圧し、加害者側となって阻害されないための教義 そして その根本はどこにあるか という 点では 的を射ているということができるでしょう。 しかし その数学は 情報科学としての 数学 であり 哲学も 情報科学としての 哲学です。 中世では 1教会 2キリスト教 3聖書(神学) であったものが 形を変えて 存在し続け 現状としては 1 SNS 2 端末教 3 WIKIぺ (情報科学 別しては自然=数学/人文=哲学/社会=経済学) に 変化しました。 新たな真理とは いまでいうと 表現的焼き直しです。 馬が車に 書物がデータに 変わった というだけの 言語的・論理的修正です。 忘れてはならないこととしては 支えているのが「底辺」であり、 上記IT三学 (情報工学としての数学・ ネットオントロジーとしての哲学・ 社畜管理のための経営学)を修めているのは WASPシンパの指導者たちです。 なにも支えてはいません。 「B層には なるな」ということだけが最低限の教訓として存在します。
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- ok9608
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数学が自然科学の根幹をなす学問 という捉えかたは、 自然科学についての分析・統合を説明するときに 論理的に説明するのが説得し易い ということの説明だとおもうのです。つまり 数学は あらゆる分野(非自然科学系以外の人文・社会などで 説明手段として使用されていくと思います。もっと言えば数式のみでなく論理学的展開も同じく多用されるとおもいます。哲学の説明においても 同様論理性は重要とおもいます。だから あらゆる分野で論理的展開は重要であります。その意味では数学は基礎の基礎とも言える学問とおもいます。 では哲学の役目はどうでしょうか。非自然科学系では根幹をなすが 自然科学では根幹をなさない かですが そんなことはありません。そもそも哲学とは一つの主張と思うのです。学問世界であろうが 実業世界であろうが 個人が 何かにむかっての主張は必ずあるとおもうのです。特に他人に対して主張を認めさすことは重要なことです。論理的に説得できれば ベストな形の納得展開とおもうのです。つまり 哲学は論理展開が分かりやすい とおもうのです。各学問は その哲学の上に 論理的説明展開されるのが望ましいと 思います。 ところが哲学には非論理的にしか展開できない モノもあります。例えば芸術の展開です。このような場合、その哲学を理解させる には 工夫がいります。一品のみではなく多品にする とか一品についての丁寧な説明とか 多様な説明を試みるべき であると思います。 また 新しい哲学の誕生 についてお尋ねですが ポストモダン以後は十人十色のいわば個人的哲学時代に入ったのではないか と勝手ながら思っています。大哲学者が大世界を語るのではなく 一個人がそのなかで主張するという小さい哲学です。もちろ 個人が世界を語ってもいいのですが 思想を統一するものではない ということです。この哲カテで個人が展開していく は個人的哲学の一つのようにおもいます。 以上 参考までに
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ご回答ありがとうございました! 遅れまして大変申し訳ありませんでした!