• ベストアンサー

悟りとは主観と客観の一致である。

sheep67の回答

  • sheep67
  • ベストアンサー率28% (36/128)
回答No.33

どうも納得行かないので再追加です。 下の話をまとめると、りんご=未知の物体X  と言ってもいいはずです。 りんごが何なのか、わかりません。 食用なので、別にわからなくてもいいということです。 別にこのパソコンモニターでも時計でも道行く人でも同じですが。 本来りんごは全く過去何かわからないし今もわからないし未来もわからないのですが、 そこに人の目的意識や経験を注入して、初めて意味あるものとして成り立ちます。 食用の果物、とかです。 りんごという名前もある意味ただの偶然ですね。 すべてのものは自分との関連で、自分の目的のために意味が生まれ、意味あるものとして成り立つだけで、 自分の関心の範囲を超える意味まで考えると、意味不明になります。 逆に言うと、このへんの、未知に対して人が勝手に意味を導入することが、象徴の仕組みとも言えるかと。 意味は無限に変化するのでこのあたりは固定しません。 よく他人には価値のないものだけど、ある人には生命より大事、ということもありますし。 それはもう言葉の機能の限界は悲しいくらいで。 この側面から考えると、悟りがそんな特別なものとは思えないですし、 逆に言うと、悟りもりんごも同じくらい特別なものとも言えますし、 どっちにせよ、直接表現の不可能なものであることに変りないと想像しますが、 りんごと悟りの大きな違いは、 りんごは食べられたらいいのだし、それ以上の意味や本質は求められません。 つまり、りんごに関して、りんごとは何か? という質問は要求されません。 (農家の人なら、多少は作る必要上追いかけますが) でもなぜか、悟りに限らず、宗教哲学では、その言葉そのものの意味がダイレクトに問われます。 こんな事な日常生活ではありえないですし、おもしろいところですねー・・・ 言葉の意味を正確に表現することは、誰もできたためしのないことですし、 直接の単語の意味の説明は不可能なまま、まただれも知らないまま、問題なく世界が成立してます。 何かの本質が、象徴によって単語化される構図を考えます。  本質→象徴作用→日常の言葉   というふうに生まれるとします。 この構図において、りんごは、日常の言葉です。図の右側です。 でも悟りは、象徴作用によって変質する前の本質を指す言葉です。図の左側です。 (りんごの意味も 本当はそれは何か?と追求すれば本質にまで遡るという点では悟りと同じですが) 個人的な余談でした。

noname#150682
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 質問の意味が自分でも深く理解できた気がします。

関連するQ&A

  • 客観的?主観的?

    良く客観的だとか、主観的だ。なんて使われますが客観的と主観的の意味をだれかわかりやすくおしえていただけないでしょうか?? 電子辞書などでひいてもいまいち理解できません。 よろしくお願いします。

  • 主観と客観について

    「主観」および「客観」の意味を教えてください。辞書を見てもいまいちよく理解できません。 例えば、物理学の運動の法則の一つに、 「すべての物体は、外部から力を加えられない限り、静止している物体は静止状態を続け、運動している物体は等速直線運動を続ける。」 があります。この法則を一般の方にわかりやすく説明するために 「物体というのは速度の変化を嫌う性質があります。止まっているときはそのままずっと止まっていたい、ある速度で動いているときはその速度でずっと動いていたいのです」 と言ったら、ある文系学者さんから、 「そのような説明は良くないです。主観的だから」 と言われました。 前者の説明は客観的であることは明らかですが、なぜ後者の説明は主観的なのでしょうか?主観と客観の違いは何ですか? 主観性、客観性のそれぞれの定義は国語辞典に下記の通り書かれています。 主観性: 主観に依存する性質。(主観:その人ひとりのモノの見方) 客観性:だれもがそうだと納得できる、そのものの性質。 この定義に照らし合わせると、「いかなる条件下でもいかなる物体は"そのままの状態でいたい"が必ず成立する」であるならば、これは個々に依らないことであり、かつ、誰もがそうだと納得できるそのものの性質を擬人法で表したものなので、むしろ主観性が低く客観性が高いと言えるのではないでしょうか?

  • 主観と客観

    学校の課題で、知のプロセスにおける主観と客観との関係を説明しなくてはいけないのですが、いまいち主観と客観の意味が判りません。自分で何かテキストを1つ、もしくは2つ読んでそれを分析しながら主観客観の関係を明らかにしていく、というのがこの課題の趣旨なんですが、その取っ掛かりさえ掴めていない状況です。曖昧な質問で申し訳ないのですがどうか助けてください。

  • 悟り

    仏教的悟りやキリスト教的悟りなど、悟りにも色々と定義があると思いますが、 自分というものを完全に客観的に見れるようになり 自由自在に自分をコントロールできる状態が悟りでよろしいですか? 現代的に言うとメタ認知ですかね?

  • 主観的なことを客観的に書ける?

    「あなたがそれをどう評価するか、なるべく客観的に書いてください」という文章があり、違和感を感じました。 つまり「あなたがどう評価するか」を書けば、それは主観的なことだと思うのです。 主観的なことを客観的に書く、というのが、あるいは成立するのかなあと考えたりもしているのですが、よくわかりません。みなさんは違和感を感じませんか? ちなみに、その文章は下記URLにありました。 http://help.yahoo.co.jp/help/jp/movies/help/8/3.html

  • 内観は主観か客観か

    内観は主観か客観か・・・ 案外答えに困りますよねぇ

  • 主観世界と客観世界を足すと。

    こちらのカテか迷いますが。アンケートなのかもしれませんが、前に近い質問もしてるのですが再度。 話はまず、この世界を大きく分けるとすると、主観世界と客観世界に分けられると思います。 逆に主観世界と客観世界を足したものの存在を考えると、それはこの世のすべてを含む、まさにこの世のすべてのすべて、と言うべき存在です。 そういう話を前提として、主観性と客観性の関係について(主観客観それぞれの性質とその関係について)考えることは、この世のありとあらゆるものを含む体系の法則ルールを見つけることにつながるだろうと直感的に思い、ずっと昔考え始めました。今では一応の結論もでています。 が、あまり他の人の話を聞いたことがないのです。また同じ意見の人も探しましたが今のところ見つかりません。自分では主観論理学などと勝手に名づけてます。 なので、上記のような考えのはじめ方、考え方の方向進め方について、他の人はどう思われるでしょうか?意見が聞いてみたいです。 主要な結論として、主観世界では、存在=関係、と言うものがあります。存在と関係は等価で、この関係は直感的に人の脳には把握できないものであると言うものです。四次元立方体を直感できる人がいないように。物質とエネルギーが等価で、それが直感には響かないように。 もちろん、存在も関係も、その言葉の定義を厳密にしないと意味のない話ですし、実際厳密に定義できます。(最近ミラー細胞なるものが発見されたらしく興味もってます) こんな感じの(流れの)、話なんですが、なんといいますか、そもそもあまり関心をもってくれる人も周りにいない感じで、皆さんはこういう話を聞いてどう思われるのでしょうか? あるいは同じようなあるいは逆の考えなど持ったかたおられましたら聞かせてほしいのですが。 よろしくお願いします。

  • 客観訴訟と主観訴訟

    客観訴訟と主観訴訟 って、何が違うのでしょうか?

  • 「悟り」とは何か。

    悟りの状態とはどのような状態になることでしょうか? また悟りとは何か? 哲学はもちろん、生物的や物理的など、また個人的な体験(主観や直感、確信的)様々な分野、観点から、お聞かせくださいると幸いです。

  • 客観的見地と主観的見地で意見が食い違っていると矛盾してますか?

    客観的見地と主観的見地で意見が食い違っていると矛盾してますか?