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悟りとは主観と客観の一致である。
amaguappaの回答
#4さんのお礼欄によれば、森田療法の森田博士の言葉ということですが、 その解釈に限れば、意味はさほど広くありません。 自由な意見を募集してもあまり建設的ではないかと思います。 砕啄同時といって、 雛が卵の中から「狭いよう、苦しいよう、やってらんないよう」と力任せに殻をコツコツし始めると、 親鳥が「もう卵から出る頃かな」と嘴で殻をコツコツしながらついばんでやるのです。 期が満ちて、そのときが来ると、殻を破るためには中と外で同時に働きかけがあるということです。 西洋の精神療法に比べ、森田博士は、主観・観念の打ち消しや矯正をはからないのが特色です。 思い込み、病のなかにある思考や判断といったものが、事実でないことを事実と思い込む、 そのような主観を捩じ伏せることなく、 自然に主観を離れられるような心のしつけを繰り返して、客観的な事実をありのままに素直に受け入れる時期が来る。 粘土をこねながら粘土になりきるかのごとく、闇鍋みたいな心の中を見つめていないでありのままの事実を見られるようになる時が来る、 ご質問のくだりはその程度の意味だと思います。
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お礼
回答ありがとうございます。 amaguappaさんは、時折回答書き込みを見かけますが、森田への造詣も深いのには驚きました。 >自由な意見を募集してもあまり建設的ではないかと思います。 色々な意見が聞けるので、もう少し回答を受け付けたいと思います。