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悟りとは主観と客観の一致である。
sheep67の回答
- sheep67
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もうちょっと付け足しで、 ちょっと脱線してるかもしれませんが、これを悟りの表現方法の問題としてみると よくヨーロッパでは、プディングの味は食べなきゃわかんない、ということわざがありますし、 りんごがどんなものかを表すときに、 赤くて、丸くて、酸っぱくて、硬さ、大きさ、原産地、由来など、ほぼ無数にりんごについて表現する言葉がありますが、 結局どれひとつそれらの説明はりんごそのものではなく、 それらの説明をすべて集めても、りんごそのものにはなりません。 論理的に非常に正確にりんごを説明したいと思うなら、りんごはりんごだ、りんご=りんご というしか、誤差の一切無い表現はできなくなります。 これは、ある種の循環論法で、自家撞着にも似たような感じです。 自己言及的表現は、何かを説明してないからこそ正確、という意味のない話です。 言葉が、永遠にりんごを正確に表現することがないように、そもそも言葉には対象物を正確に表現する能力などないですし、 なぜなら言葉は象徴にすぎないからですが、 なので、同じことは悟りの場合にも当てはまると・・・たぶん、思いました。
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