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悟りとは主観と客観の一致である。
noname#181697の回答
ANo.22の補足について、 コメントをさせて頂きます。 言語化した時点で、真理は真理で無くなってしまうので、 真理そのものを言語化する事は出来ません。 しかし、言語は言語で大変に便利なものですし、 実際、相当な所まで表現する事が出来ます。 まあ、他人に理解してもらえるかは、 また別の話ですけどね・・・。 言語は思考の産物であり、 本質的には「迷い」に過ぎません。 でも、言語の限界を知ってこそ、 言語を弄ぶ事に飽き果ててこそ、 真実を知ろうとする心も起こるんです。 思想の矛盾の先にこそ、 言語化される前の「あるがままの世界」が、 世の実相が、真理が、あるんです。 畢竟「迷わぬ者に、悟り無し」です。
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回答ありがとうございます。 森田博士も「大きい迷いがあって、大きい悟りがある。」みたいなことを言っていますね。 同じ事を言っているんだと思います。