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幕府について至急お願いします

武市半平太は尊皇攘夷派(朝廷を中心に外国人排斥を目指すグループ)ですが、 反幕府派や倒幕派、討幕派とはどう違うのですか? 外国人を日本に入れなく朝廷が政権を握ればいいって思ってたって事で、理解してますがよろしいでしょうか。 もしもそうなら、反幕府派(幕府から政権を奪おうとするグループ)とはどう違うのですか? 討幕派と倒幕派の違いもわからないです… すいませんが詳しい解説をよろしくお願いいたします。

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  • takeko85
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回答No.1

尊皇攘夷派 元々はこの派が中心でした。天皇の威光によって幕府を動かし攘夷を達成しようとしていました。 反幕府派 幕府は現実路線でしたから攘夷など出来ないことはわかっていたので開国しました。それを反対していたのが反幕府派です。 倒幕派(軍事衝突を回避した政権移譲を目指す政治工作) 頼りにならない幕府を倒して、自分たちが攘夷を行う、または攘夷が出来る政権を作るのを倒幕派です。倒すまででいいと政権内に徳川宗家がいてもいいと思っていた派閥です。大政奉還まででいいと思っていた派閥です。土佐藩や福井藩が中心です。 討幕派(武力で倒すことを目的) 頼りにならない幕府は討ち滅ばして自分たち中心の政権を取る派閥です。長州藩や薩摩藩が中心です。 長州藩も最初から討幕派ではありませんでした。 尊皇攘夷 ↓ 禁門の変(反幕府派) ↓ 下関戦争(攘夷不可能) ↓ 第一次長州征伐 ↓ 保守派(俗論党)が主導権(佐幕派) ↓ 功山寺挙兵(倒幕派) ↓ 薩長盟約 ↓ 第二次長州征討 幕府敗北 ↓ 薩長同盟(討幕派)

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質問者

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詳しい解説ありがとうございました

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  • kusirosi
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回答No.2

 武市が理想とする政治秩序は、天皇を頂点に、将軍、大名、大名の家臣という順に位置づけ、 「我々家臣は主君(土佐の場合は山内家国父容堂・藩主豊範)に忠義を尽くすことが天皇への忠義となる」というものである。これは従来の封建的身分鉄序となんら変わらないし、将軍の存在を否定していない。 ただ、将軍の職掌に違いがある。  幕府とこれを支持する大名らの「公武合体」の将軍は、諸大名を束ねる軍事面の最高決定権者であり、 政治の最高決定権者である  対する諸国の勤王党志士の「尊王攘夷」の将軍は、征夷大将軍本来の語義の「攘夷」実行における軍事面の最高決定権者・総軍司令官である。幕府の役目も、それ周辺に集約される。  土佐を率い、国政に発言力を持とうとした容堂の政治姿勢はあくまで「公武合体」である。 それゆえ武市ら土佐勤王党のいう将軍の職掌は受け入れがたいものである。江戸で幕政に参画し、 幕閣たちのありようを見ている容堂に、武市の思想は現実から乖離した観念的なものと映ったであろう。  武市が、文久二年、起草し、藩主・山内豊範に朝廷に出させようとした建白書には、こうある。 1 山城、摂津、大和、近江四力国を天皇の直轄地とし、 そこに配置した親王以下の国司は、諸国浪士を家来として召し抱える。 2 大坂近辺の豪商に御用金を課し、兵器を十分にととのえてから防御を万全とし その上で攘夷の勅命を下すこと。 3 天皇の名で、肥後、備前、因幡、阿波など大藩七、八藩を集め、 その武力を背景に勅使を東下させる。そうすれば幕府もたちまち勅命に従い、 尊皇攘夷の功をなし、皇室の威光も回復されるであろう。 4 政令はすべて天皇から諸大名へ、直接 発すること。(王政復古) 5 江戸への参勤交代は、五年ないし三年に一度とする。

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質問者

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詳しい解説ありがとうございました

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