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ええじゃないか騒動(幕末)とは?
- ええじゃないか騒動とは、日本の江戸時代末期の慶応3年(1867年)に起きた近畿、四国、東海地方などでの騒動であり、「天から御札が降ってくる、これは慶事の前触れだ。」という言葉が広まり、民衆が仮装して町々を巡って踊った。
- 「ええじゃないか騒動」の仕掛け人や目的は明確ではなく、討幕派が関与していたとの説もあるが、証拠はない。また、「ええじゃないか騒動」が倒幕に貢献したかどうかも明確ではないが、時代の流れとは逆行していたため、倒幕には寄与しなかった可能性がある。
- 「ええじゃないか騒動」は東海道沿線を中心に広まったが、全国的な広がりはなく、大地震、津波、大雨、コレラ流行などの範囲と一致しているわけではない。その発生範囲の限定された要因は明確ではない。
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お礼
ご回答ありがとうございました。 (1) 『討幕派には「ええじゃないか騒動」を起こせるほど力はありませんでした。』……他の方のご回答を見ても、どうも、討幕派のやったことではないようですね。 (2) 討幕派が関係していないとすれば、それ程意味のある質問でもないですよね。 (3) 「根拠のない記述者の推定創作です。」……分かりました。参考書を理解するのも難しいですね。 (4) 「町民」……「お祭り気分」……「はやり」ということですね。 「江戸の町のイメージで全国を判断すると致命的な間違いを起こします」、「明治維新というのは、総人口の2~3%程度の武家階級内での政権交代です。」というのは、勉強になりました。 「短期間で自然発生的に起きて自然消滅したのもこの為です。正確な記録が見当たらないのも、当時の人達も記録するほどの事件とは見做していなかったことによるものです。大規模ではた迷惑なお祭り騒ぎが流行した、という程度のことです。おかげで歴史学者が苦労しています。 未だにその詳細が不明です。」……少し、姿が見えてきました。