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薩長同盟と大政奉還

「薩長同盟」と「大政奉還」に関する質問です。 坂本龍馬は「薩長同盟」と「大政奉還」を斡旋したとされていますが、これって変ではないでしょうか? 坂本龍馬の独創ではない、という意味での「変」ではなく(坂本龍馬の独創ではなく、数多くの人間の考えを元に行われたことは承知の上です)、この二つを斡旋するのは矛盾ではないか、という意味での「変」です。 薩長同盟は幕府の武力討伐のために結成されたものだと思いますが、大政奉還は逆に、幕府の権力を穏便に朝廷へ返上するものですよね。 つまり、この二つって真逆だと思うのです。 討幕のために薩長同盟に協力していた龍馬が、次は討幕ではない大政奉還に協力するというのは、私には「転向」に見えます。 龍馬は勝海舟を会いに行ったときに尊皇攘夷の考えを捨てていますから、「転向」はありえない話ではありませんが、散々薩長を振り回しておいて、土壇場で大政奉還に協力するなんて、何だか筋が通っていないようにも見えます。 これはいったいどういうことなのか、教えていただけると幸いです。

みんなの回答

  • sujika
  • ベストアンサー率24% (222/902)
回答No.5

坂本龍馬は、 薩長同盟を成し遂げた後、 薩長が倒幕のための口実がほしかったんです。 また、薩長同盟に土佐藩も加えた薩長土同盟にまで拡げるため、 大政奉還の建白書を土佐藩の山内容堂から、建白させたのです。 当初、龍馬は幕府側が大政奉還を受けるはずが無いと、思う節があって、 受けないなら、薩長土における倒幕の口実にするつもりでした。 しかし、途中から、アメリカの南北戦争の様になっては、 幕府体制が倒れても、日本の再生には時間が掛ると思うようになっていったんです。 結局、徳川慶喜が大政奉還をしてしまったんですけどね。

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noname#181117
noname#181117
回答No.4

当時国内で戦が起こっていたら、西洋諸国がいくらでも入り込んで、中国の二の舞だったでしょうね。 日本全体が、天皇の下で一つにならなければ。 そのためには討幕しかないと、薩長は考えたのでしょう。 討幕はどんなに痛くても、避けることは不可能だと。 多分そのほうが、当時は現実的に見えただろうと思います。 多くの人は、大政奉還に反対だったのではなく、大政奉還は単なる机上の空論だとしか思えなかったのでは? 薩長を説得し、その空論を現実にするために大きな役割をしたのが、坂本龍馬だと思います。

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  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (815/3041)
回答No.3

目的は権力を幕府から朝廷に奪う事であって、穏便か武力によるかは本質ではないでしょう。 もう少し言うと、竜馬は何者かと言うのを考えればわかりやすいでしょう。 竜馬の生家の坂本家は、そもそも商家が金で武士になった家柄で、本家は才谷家という質屋です。 坂本竜馬は山師的な商売人です。 薩長同盟の直前、長州は幕府に戦争をふっかけられそうで西洋銃を欲していました。 ですが長州では外国から銃を買えません。 よって竜馬は薩摩と長州を結び付けることで、長州が薩摩名義で武器を買う、その武器購入の仲介を海援隊(竜馬の組織)がやることで利益を得ようとしたのです。(利益か利権かはよくわかりませんが。) 大政奉還の時は、竜馬は出身の土佐藩と近づいていきます。 土佐藩は藩主が徳川に忠誠を誓っていて一方時代に取り残されることも恐れています。 この背反する状況を乗り切る案を提示することで土佐藩に近づき、その一方で土佐藩の武器購入をやっぱり仲介していたのです。 要は竜馬の本質は武器商人で、顧客に対してそのための便宜をいろいろ図っていたんですよ。 自分の行為が日本のためになると思ってて武器を売っていたのか、武器を売るのが目的でそのための仮面が志士なのかはわかりませんが、基本的に相手の立場を考えたうえで武器を売っていたのでしょう。

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  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.2

>薩長同盟は幕府の武力討伐のために結成されたもの そんな事実はありません。それまでの薩長同盟は敵対関係を解消して一方が攻められた時は一方は助けるといった意味です。その時点では誰も倒幕など考えていない。 >大政奉還は逆に、幕府の権力を穏便に朝廷へ返上するもの それこそが倒幕なんです。今まで朝廷から預かっていた統治権を返上する。後の処置、すなわち幕府後の政権を薩長に託すのか、それでも幕府に再び任せたいのか朝廷で決めてくださいとして将軍たる徳川慶喜は謹慎したのです。将軍自ら倒幕した。そして王政復古の大号令で、再び政権が幕府に返らないことが確定しました。これで一件落着なんです。全く矛盾していません。坂本龍馬は転向なんかしていません。しかし世の中は坂本龍馬を中心に回っていたのでもないし、徳川慶喜を中心に回っていたのでもない。 幕臣の一部の旗本と会津藩を中心とする東北諸藩は、大勢に従わず明治新政府に抵抗して成敗されただけの話です。西南雄藩は薩長同盟を中心として一枚岩に纏まっていたけど、幕府側はそれぞれ180度全くばらばらで、統一した行動がとれなかったんです。徳川慶喜も匙を投げた格好で、逆賊一味の始末を官軍に任せました。

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  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E9%A6%AC 徳川家も含んだ有力諸侯連合 というグランドデザインを基本に考えていたと考えれば 薩長同盟斡旋 長州の復活と、徳川家の突出防止 薩土盟約 倒幕志向の薩摩の歯止め 大政奉還 徳川家が将軍から一有力大名へ というので一貫していると思うが

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