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明治維新への切っ掛け&トリガーと成ったのは?

貴方は、どの事象・事件・戦争だと思いますか? ※下記の主な事象・事件・戦争の中から選んで下さい(出来れば理由を添えて)。 「ペリー来航・安政の大獄・薩英戦争・天誅組&生野の変・池田屋事件・禁門の変・長州戦争・薩長同盟・大政奉還・その他」

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  • 回答No.5
  • YJY3
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具体的に答えられなくて申し訳ないのですが、 ☆☆日本の主要な人たち(朝廷・幕府・雄藩)が『地方分権(幕藩体制)ではなく中央集権の新しい体制を作らねば』と考え始めるきっかけとなった出来事。☆☆ これが答えではないかと。 私は明治維新の本質は「薩長の権力奪取」ではなく「中央集権化」であると考えています。 幕末のある時期から、朝廷も幕府も雄藩も幕藩体制の限界を認識し、中央集権国家を作ることを目指し始めます。彼らが争っていたのは、「誰が新しい中央集権国家のリーダーになるか」=「徳川か、雄藩か、それとも両者が対等に協力するか」ということについてであり、「中央集権国家を作る」ということでは一致していたわけです。もし徳川慶喜が勝利していれば、徳川を中心とした中央集権体制のもと、“明治維新”が起きていたと思います。 では具体的にその「きっかけの出来事」は何なのかということですが、それはちょっと分からないですね。もしかしたら、一つの事件がきっかけというより、『日増しに強まる列強の圧力』が原因と言ったほうがいいのかもしれませんね。

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質問者からのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 分かり易く丁寧にお教え願いまして、大変、参考に成りました。 >具体的にその「きっかけの出来事」は何なのかということですが、それはちょっと分からないですね。もしかしたら、一つの事件がきっかけというより、『日増しに強まる列強の圧力』が原因と言ったほうがいいのかもしれませんね。 何となく仰る意味やニュアンスは伝わります。 ちょうど、労災や安全運動に言われる所のヒヤリハット理論と酷似してます。 一つの象徴的・決定的な事件や出来事がトリガーと言うよりも、内圧&外圧の高まり、素朴で限定的ではあってもナショナリズム、外様や下級武士や庶民の下剋上の様な問題意識の高まりが、エネルギーと成ってマグマのように十万高まっていたのでしょうか? 当事者にも良くは見えないけれど、学問的&体系的ではないが、勤皇だ佐幕だ、攘夷だ開国だと色分けよりも、何とかしなければ国が守れない暮らしが良く成らないとの]危機感と問題意識を人々が同床異夢であっても持ち始めた。 新たな世、住み易い豊かさを求める志向・思いが、幕府の統治能力の減衰と朝廷公家の発言力の相対的な向上と成り、そこに周辺の譜代親藩や外様、下級武士や庶民の思惑や新たなリーダーの出現が相俟って、王政復古や権力クーデターの域を超えた新たな国体構築・維新への兆しとなって芽生え発展し、明治維新へのウネリと成って収斂していくのでしょうね・・・

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その他の回答 (4)

  • 回答No.4
  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)

光格天皇の即位 徳川幕府はだんだんと統治の自信をなくしていった時に、「なんだかんだと言って、天皇家ってすごいよね」というのを明確にしたのが光格天皇。 荻生徂徠などは18世の頭の段階で「しっかり天皇家を抑えておかないと、統治論的にまずいことになりまっせ」などと警告を発していた。 光格天皇が、天皇号の復活や、新嘗祭や大嘗祭などを古式に基づいて復活させた。 もし光格天皇これらのことがなかったら 山内容堂が「玉の取り合いかよ」と揶揄したように玉をとりあうような権威も発生しておらず、豊臣家→徳川家 と政権交代したように島津家なり毛利家が将軍になっていたかもしれない。あるいは将軍位をめぐって内乱が発生していたかもしれない。

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質問者からのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 >光格天皇の即位 徳川幕府はだんだんと統治の自信をなくしていった時に、「なんだかんだと言って、天皇家ってすごいよね」というのを明確にしたのが光格天皇。 119代天皇でしたね、将軍は家治10代から家斉11代、寛政の改革や倹約令・尊号一件、ロシアの艦船の択捉・国後や利尻への来航や上陸と近藤重蔵の択捉調査や間宮林蔵の樺太探査他、現在の北方領土問題に関連した時代でもあったようですね。 確かに、幕政も統治能力に陰りが出て来ており(享保の改革等で一時的な威信回復も周期的にあるが)、外様雄藩の発言力が出て来た、維新へのマグマが溜まり始めた頃なのかも・・・ それが、一気に加速するのが121代孝明天皇時代であり、触媒&発破としては黒船来航なのでしょうか・・・ 大変興味あるご考察であり、参考に成りました。 心より感謝とお礼を申し上げます。

  • 回答No.3
  • ify620
  • ベストアンサー率28% (224/787)

安政の大獄から 桜田門外の変   ではいかがですか? 幕府内の権力抗争の粛清の嵐、で幕府の機能がこう着してしまったと考えます。 つまり、刀で治めようとする、信じられないほど稚拙さがまかり通っていたことが周知されたのです。 二百数十年も続いてDNAにも刻み(?)込まれた道徳=文明に終止符を打つ必要が認められたのです。  と思います。

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質問者からのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 >安政の大獄から 桜田門外の変 譜代大名や老中・年寄りが幾ら知恵を絞っても、調停や公家に相談しても、みんなが国際感覚も時代認識も無い中で、己の保身だけで動けば何も決まらず決めれない、今の我が国の政権と同じかも・・・

  • 回答No.2

フェートン号事件かな 理由  オランダ一辺倒だった日本社会において,オランダではなくイギリスという文明国の存在を知る機会になり,実質的に幕府の外交権が露骨に動揺した最初の事件 異国船打払令を発令の発端の事件だし,維新のキーパーソン佐賀鍋島家の近代化を決定させた事件でもある  日本は初めて欧州情勢の余波を食らった意味でも事件の意義は大きいかな ペリー来航ってアメリカ情勢の関係だけで論説されるけど,フェートンは日本が文明国との関係に呑み込まれる最初の事件だから,維新のトリガーだと言えると思うね アヘン戦争などへの意識は,イギリスへの関心がないと説明できないし・・・オランダ一極から転換も大きいかな

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質問者からのお礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 >フェートン号事件かな 理由:オランダ一辺倒だった日本社会において,オランダではなくイギリスという文明国の存在を知る機会になり,実質的に幕府の外交権が露骨に動揺した最初の事件 ヒヤリハット的な意味合いでしょうか・・・それとも欧州での戦火がアジアでの利権に飛び火して太平の眠りに有った鍋島藩や長崎奉行所を驚かせ幕府の弱体化&リーダシップの無さが露呈した切っ掛けと言う意味では、時系列的な意義を過小評価してもいけないのかも。

  • 回答No.1

断髪ヘア、洋装化、陸軍、海軍、赤十字、叙勲制度は全て旗本などが明治になってから作ったもの 明治維新はただのクーデターです

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質問者からのお礼

>明治維新はただのクーデターです ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 そうですか、確かに将軍・幕藩体制から、外圧を利用して朝廷・薩長(外様)への実権移動なのかも

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