薩長同盟の真の発案者は中岡慎太郎???

このQ&Aのポイント
  • 薩長同盟は中岡慎太郎と坂本龍馬との共同発想ではなく、中岡慎太郎が発案した可能性が高いという指摘があります。
  • 中岡慎太郎と土方楠右衛門が薩摩藩邸を訪れて薩長同盟を力説し、後に中岡慎太郎が坂本龍馬と西郷隆盛に会い薩長同盟を説いています。
  • したがって、坂本龍馬は薩長同盟に動く前に中岡慎太郎によって発案され、薩摩を説得されたと考えられます。
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薩長同盟の真の発案者は坂本龍馬ではなく中岡慎太郎???

司馬遼太郎が「薩長同盟を発案したのは中岡慎太郎かもしれない。」 とある対談集で言っていました。 今まで、薩長同盟は中岡慎太郎と坂本龍馬との共同発想というのが一般的でした。 慶応元年4月初め、中岡慎太郎と土方楠右衛門が大阪の薩摩藩邸を訪ねて、薩長同盟を力説しています。 そのころ坂本龍馬は薩摩の西郷の下に預けられていたので、中岡と連絡はとれなかった。 5月6日に中岡は薩摩に出向き坂本龍馬と西郷隆盛に会い薩長同盟を説いています。 坂本龍馬が薩長同盟に動くのはそれからです。 閏5月1日に、坂本龍馬は下関で桂小五郎に会見して薩長同盟を説いた。 従って、薩長同盟発想者は中岡慎太郎の可能性が高いです。 ということは、坂本龍馬は長州を説得しただけで “中岡慎太郎”が薩長同盟を発案して、薩摩を説得したということでしょうか?

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  • sqwe-ir
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回答No.1

ある人が、中岡慎太郎を回顧した時、 「中岡先生は頭が良かった。殆どは先生が言った事だ。坂本先生は判を押すだけだった。」 こう口語で述べています。 これは、藩を押すのが坂本先生の仕事だった。とも受け取れます。 こう言う関係は、武将、参謀と言う関係でも多く見られ、自分は人を動かす統率力や魅力が無いので、ある武将にそれを委ねる。 と言うケースです。 まさに、坂本竜馬は、人を動かす力と、魅力に満ち溢れていました。 ある藩の殿に金5千両の出資させ、会社を設立し、 不可能と思われた薩長同盟も実現させました。 出来ぬ問題は、坂本に頼めば何とかしてくれる。 実現出来る力とエネルギーを持っていたと思います。

energyflow2005
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 役割分担という意味で、行動力のある坂本龍馬。 時代を読んで、新しい発想をする「中岡慎太郎」。 ということですね。

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